「曇天」までのいくつかの詩<19>初恋集3
「初恋集」の「むつよ」を
読み下しておきます。
先の「すずえ」とともに
「むつよ」も、
人並はずれて早熟な
若き詩人の初恋を歌っていて、
大岡昇平は、どこかで、
実在の女性であったことを指摘していますが、
詳しくは知られていないようです。
長谷川泰子以外の女性という点で
面白く、
なぜ、この時期に、
泰子以外の女性が歌われたのか、と、
考えながら読んでも
面白いでしょう。
あなたはぼくより一つ年上で
何かといっては、姉さん気取りでしたが、
ぼくのほうが、しっかりしていると、
いつもぼくは思っていました
ほんとに、今思えば幼い恋でしたよ
ぼくが13、あなたは14
その後、あなたはぼくから去りましたが
ぼくはいつまでか、あなたを思っていました……
しばらくして後、
野原に、ぼくの家の山羊が放し飼いしてあったのを
あなたは、長い時間、遊んでいたことがありました
ぼくは、背戸から
あなたを見ていたのでした
ぼくが、どんなにうれしくて
泣きたいような気持ちで
あなたが山羊と遊ぶのを見ていましたことでしょう
野原の若草に、夕日が斜めに射しているのですが
なんともきれいな、涙のような夕日だった
(つづく)
*
初恋集
すずえ
それは実際あつたことでせうか
それは実際あつたことでせうか
僕とあなたが嘗(かつ)ては愛した?
あゝそんなことが、あつたでせうか。
あなたはその時十四でした
僕はその時十五でした
冬休み、親戚で二人は会つて
ほんの一週間、一緒に暮した
あゝそんなことがあつたでせうか
あつたには、ちがひないけど
どうもほんとと、今は思へぬ
あなたの顔はおぼえてゐるが
あなたはその後遠い国に
お嫁に行つたと僕は聞いた
それを話した男といふのは
至極(しごく)普通の顔付してゐた
それを話した男といふのは
至極普通の顔してゐたやう
子供も二人あるといつた
亭主は会社に出てるといつた
むつよ
あなたは僕より年が一つ上で
あなたは何かと姉さんぶるのでしたが
実は僕のほうがしつかりしてると
僕は思つてゐたのでした
ほんに、思へば幼い恋でした
僕が十三で、あなたが十四だつた。
その後、あなたは、僕を去つたが
僕は何時まで、あなたを思つてゐた……
それから暫(しばら)くしてからのこと、
野原に僕の家(うち)の野羊(やぎ)が放してあつたのを
あなたは、暫く遊んでゐました
僕は背戸(せど)から、見てゐたのでした。
僕がどんなに泣き笑ひしたか、
野原の若草に、夕陽が斜めにあたつて
それはそれは涙のやうな、きれいな夕方でそれはあつた。
(一九三五・一・一一)
終歌
噛んでやれ、叩いてやれ。
吐き出してやれ。
吐き出してやれ!
噛んでやれ。(マシマロやい。)
噛んでやれ。
吐き出してやれ!
(懐かしや。恨めしや。)
今度会つたら、
どうしよか?
噛んでやれ。噛んでやれ。
叩いて、叩いて、
叩いてやれ!
(一九三五・一・一一)
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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