カテゴリー

2023年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

« 「曇天」までのいくつかの詩<23>「寒い!」と「我がヂレンマ」 | トップページ | 「曇天」までのいくつかの詩<25>我がヂレンマ »

2009年5月12日 (火)

「曇天」までのいくつかの詩<24>寒い!

「寒い!」は、
確かに、心境告白ありのままって感じで、
めんめんと内部を披瀝しています。

 

それを、
寒い、と、表現するところに
詩への意志はあり、
どうやら、それは
それほどスムースにはいっていない
友人との関係、
対社会関係、
政治的な人々との関係、
お調子ものたちとの関係
……
の中での、
詩人の嘆きであり
それらの関係を作り出すものへの
批判の意味も込められているようです。

 

青山学院は
中也にとって
居心地のよい場所ではなかったのではないか
と思わせるものさえ
ここから感じ取ることだって可能です。

 

毎日寒いなあ、寒くてやりきれんわ
瓦までが白ずんで、ものを言わねーよ
まったくもう
小鳥も鳴かないのに
犬っころだけは風の中で啼いてやがるよ

 

通りじゃ石つぶては飛ぶし、
地面は乾いちゃって
潤いがないし、
車のタイヤの色さえ寒々しいや
ぼくを追い越してぶっ飛ばしていく

 

山だってまったく殺風景だ
鈍いグレーな空には何にもない
部屋に引きこもっているぼくは
愚痴っぽくなるばっかりですよ

 

ああ、寒い寒い、こう寒くちゃやりきれんわ
お行儀のよい人々が
幸せ呆けしたうすら笑いを見せても
ぼくにゃ関係ない
大声あげて春を呼び戻すのだ

 

瓦、小鳥、犬っころ……
石つぶて、地、車……
山、グレーな空、部屋……
お行儀のよい人々の笑い……

 

これらの語句に
詩人は
どのような意味を込め
どのような心境を告白したのでしょうか
それらを
いったい、だれに向かって
言いたかったのでしょうか

 

(つづく)

 

 * 
 寒い!

 

毎日寒くてやりきれぬ。
瓦もしらけて物云はぬ。
小鳥も啼かないくせにして
犬なぞ啼きます風の中。

 

飛礫(つぶて)とびます往還は、
地面は乾いて艶(つや)もない。
自動車の、タイヤの色も寒々と
僕を追ひ越し走りゆく。

 

山もいたつて殺風景、
鈍色(にびいろ)の空にあつけらかん。
部屋は籠(こも)れば僕なぞは
愚痴つぽくなるばかりです。

 

かう寒くてはやりきれぬ。
お行儀のよい人々が、
笑はうとなんとかまはない
わめいて春を呼びませう……

 

 *
 我がヂレンマ

 

僕の血はもう、孤独をばかり望んでゐた。
それなのに僕は、屡々(しばしば)人と対坐してゐた。
僕の血は為(な)す所を知らなかつた。
気のよさが、独りで勝手に話をしてゐた。

 

後では何時でも後悔された。
それなのに孤独に浸ることは、亦(また)怖いのであつた。
それなのに孤独を棄(す)てることは、亦出来ないのであつた。
かくて生きることは、それを考へみる限りに於て苦痛であつた。

 

野原は僕に、遊べと云つた!
遊ばうと、僕は思つた。—しかしさう思ふことは僕にとつて、
既に余りに社会を離れることを意味してゐるのであつた。

 

かくて僕は野原にゐることもやめるのであつたが、
又、人の所にもゐなかつた……僕は書斎にゐた。
そしてくされる限りにくさつてゐた、そしてそれをどうすることも出来なかつた。
                 ——二・一九三五——

 

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

« 「曇天」までのいくつかの詩<23>「寒い!」と「我がヂレンマ」 | トップページ | 「曇天」までのいくつかの詩<25>我がヂレンマ »

024「在りし日の歌」曇天へ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「曇天」までのいくつかの詩<24>寒い!:

« 「曇天」までのいくつかの詩<23>「寒い!」と「我がヂレンマ」 | トップページ | 「曇天」までのいくつかの詩<25>我がヂレンマ »