秋の匂い/干物
「早大ノート」(1930〜1937)の1番目にある作品。
「干物」は、
鯵(あじ)や、カマスや、エボダイや
烏賊(いか)や、スルメなどを、
道端に設置した台に並べ
太陽光線に当てて、干すという
いわゆる、天日干し(てんぴぼし)をする風景が
すこし昔のこと
東京でも、
水辺の町や川筋の町などで
見られたものです。
できあがりが「干物」(ひもの)で
そこには、独特の香りが漂っていました。
外苑は神宮外苑のことで、現新宿区、
千駄ヶ谷は、現渋谷区の地名で、
どちらも、山の手の町ですから
干物の天日干しがあったかどうか……
乾物屋さんからの匂いなのかも知れませんが、
天日干しの風景が
なかったとは断言できません。
詩人は
干物を秋の風景として感じ
その香りを嗅ぎながら
午睡(ひるね)する
幸せな時間を歌います。
詩人は、
千駄ヶ谷や南新宿に住んだことがあり
神宮の森にはしばしば出かけたことが思われます。
潮の香りが
プンと鼻孔をくすぐり
海辺にいるような
やさしい時間です。
*
干物
秋の日は、干物の匂ひがするよ
外苑の舗道しろじろ、うちつづき、
千駄ヶ谷、森の梢のちろちろと
空を透かせて、われわれを
視守る 如し。
秋の日は、干物の匂ひがするよ
干物の、匂ひを嗅いで、うとうとと
秋蟬の鳴く声聞いて、われは睡る
人の世の、もの事すべて患らはし
匂ひ嗅いで睡ります、ひとびとよ、
秋の日は、干物の匂ひがするよ
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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「0001はじめての中原中也」カテゴリの記事
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中也の詩にある「干物の匂ひ」なんですが、私にはどうしても「ひもの」とは思えません。あんな魚くさい匂いの中で気持ちよく眠れるものでしょうが。あれは「ほしもの」と読んで、布団や洗濯物を干したあとの匂いではないでしょうか。それだと日向くさい匂いではありますが気持ちよく眠れそうです。
秋は特に光線が弱くなっていくので、日光のぬくもりと匂いは懐かしい感じがします。母親のエプロンの匂いを思い出します。「ほしもの」と読む人はいないのでしょうか。
投稿: 仁 | 2013年4月16日 (火) 13時24分
「ほしもの」と読む解釈も当然、あります。中也全集の解説も二つの読みを提案していますが、どちらかを断定していません。詩はそのよう多様な「読み」を許容してよし、とする味わい方があってもいいのではないでしょうか。私=合地は、「ひもの」と読んだわけを記しましたが、「文学」が多様な読みを許さないものであるなら、とうに「文学」などとはおさらばしています。ほのかに漂ってくる魚の干した匂いは、必ずしも「魚くさい」ばかりでなく、時に眠りの妨(さまた)げになるものでないこともあります。私は、特別、こうした
「読み」にこだわるものでもありません。石鹸の香りが含まれる風が運ぶ秋の昼下がりの光景と読んで、だれもとがめることもないはずだし、そう読んだほうが、この詩を深く味わえる、と考える人もいてよいのだと思います。アクセスいただいて、大変、うれしく感じています。ありがとう。また、遠慮なく、感想を聞かせてください。
投稿: 合地 | 2013年4月17日 (水) 05時50分