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2009年5月20日 (水)

秋の匂い/干物

「早大ノート」(1930〜1937)の1番目にある作品。

「干物」は、
鯵(あじ)や、カマスや、エボダイや
烏賊(いか)や、スルメなどを、
道端に設置した台に並べ
太陽光線に当てて、干すという
いわゆる、天日干し(てんぴぼし)をする風景が
すこし昔のこと
東京でも、
水辺の町や川筋の町などで
見られたものです。

できあがりが「干物」(ひもの)で
そこには、独特の香りが漂っていました。

外苑は神宮外苑のことで、現新宿区、
千駄ヶ谷は、現渋谷区の地名で、
どちらも、山の手の町ですから
干物の天日干しがあったかどうか……
乾物屋さんからの匂いなのかも知れませんが、
天日干しの風景が
なかったとは断言できません。

詩人は
干物を秋の風景として感じ
その香りを嗅ぎながら
午睡(ひるね)する
幸せな時間を歌います。

詩人は、
千駄ヶ谷や南新宿に住んだことがあり
神宮の森にはしばしば出かけたことが思われます。

潮の香りが
プンと鼻孔をくすぐり
海辺にいるような
やさしい時間です。


干物

秋の日は、干物の匂ひがするよ

外苑の舗道しろじろ、うちつづき、
千駄ヶ谷、森の梢のちろちろと
空を透かせて、われわれを
視守る 如し。

秋の日は、干物の匂ひがするよ

干物の、匂ひを嗅いで、うとうとと
秋蟬の鳴く声聞いて、われは睡る
人の世の、もの事すべて患らはし
匂ひ嗅いで睡ります、ひとびとよ、

秋の日は、干物の匂ひがするよ

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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0001はじめての中原中也」カテゴリの記事

コメント

中也の詩にある「干物の匂ひ」なんですが、私にはどうしても「ひもの」とは思えません。あんな魚くさい匂いの中で気持ちよく眠れるものでしょうが。あれは「ほしもの」と読んで、布団や洗濯物を干したあとの匂いではないでしょうか。それだと日向くさい匂いではありますが気持ちよく眠れそうです。
秋は特に光線が弱くなっていくので、日光のぬくもりと匂いは懐かしい感じがします。母親のエプロンの匂いを思い出します。「ほしもの」と読む人はいないのでしょうか。

「ほしもの」と読む解釈も当然、あります。中也全集の解説も二つの読みを提案していますが、どちらかを断定していません。詩はそのよう多様な「読み」を許容してよし、とする味わい方があってもいいのではないでしょうか。私=合地は、「ひもの」と読んだわけを記しましたが、「文学」が多様な読みを許さないものであるなら、とうに「文学」などとはおさらばしています。ほのかに漂ってくる魚の干した匂いは、必ずしも「魚くさい」ばかりでなく、時に眠りの妨(さまた)げになるものでないこともあります。私は、特別、こうした
「読み」にこだわるものでもありません。石鹸の香りが含まれる風が運ぶ秋の昼下がりの光景と読んで、だれもとがめることもないはずだし、そう読んだほうが、この詩を深く味わえる、と考える人もいてよいのだと思います。アクセスいただいて、大変、うれしく感じています。ありがとう。また、遠慮なく、感想を聞かせてください。

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