「曇天」までのいくつかの詩<18>初恋集ほか2
「初恋集」から
「すずえ」を読み下してみます。
早熟な中原中也の
初恋の記憶です。
この作品が、
昭和10年、1935年に作られた
ということが
中原中也的なことと言えるかもしれません。
この年、
天皇機関説事件が世の中を騒がし
翌年には、2・26事件が起こります
翌々年は、盧溝橋事件……と
戦争戦争戦争の時代へ
まっしぐらの
日本国でした
あなたと会ったということは
現実のことなのか
実際にあったことなのか
遠い日のことになってしまった
ぼくがあなたという女性と出会い
愛し愛されたというのは
本当のことでしょうか
あなたは14
ぼく15
冬休みでした
親戚の家でたまたま知って
1週間だけ、同じ屋根の下で暮らしたのでした
ああ、そんなことがあったのは本当のことなのか
そんなことがあったことは間違いないけれど
今は、本当には思えない
あなたの顔はくっきりと覚えているけど
あなたはその後、遠い外国のどこかへ
お嫁にいったと聞きました
それを話してくれた男は
ひとつも驚く風もなく
普通の顔付きで話すのでした
まったく普通の顔で
子どもも二人いて、
旦那は会社員だと話しました
(つづく)
*
初恋集
すずえ
それは実際あつたことでせうか
それは実際あつたことでせうか
僕とあなたが嘗(かつ)ては愛した?
あゝそんなことが、あつたでせうか。
あなたはその時十四でした
僕はその時十五でした
冬休み、親戚で二人は会つて
ほんの一週間、一緒に暮した
あゝそんなことがあつたでせうか
あつたには、ちがひないけど
どうもほんとと、今は思へぬ
あなたの顔はおぼえてゐるが
あなたはその後遠い国に
お嫁に行つたと僕は聞いた
それを話した男といふのは
至極(しごく)普通の顔付してゐた
それを話した男といふのは
至極普通の顔してゐたやう
子供も二人あるといつた
亭主は会社に出てるといつた
むつよ
あなたは僕より年が一つ上で
あなたは何かと姉さんぶるのでしたが
実は僕のほうがしつかりしてると
僕は思つてゐたのでした
ほんに、思へば幼い恋でした
僕が十三で、あなたが十四だつた。
その後、あなたは、僕を去つたが
僕は何時まで、あなたを思つてゐた……
それから暫(しばら)くしてからのこと、
野原に僕の家(うち)の野羊(やぎ)が放してあつたのを
あなたは、暫く遊んでゐました
僕は背戸(せど)から、見てゐたのでした。
僕がどんなに泣き笑ひしたか、
野原の若草に、夕陽が斜めにあたつて
それはそれは涙のやうな、きれいな夕方でそれはあつた。
(一九三五・一・一一)
終歌
噛んでやれ、叩いてやれ。
吐き出してやれ。
吐き出してやれ!
噛んでやれ。(マシマロやい。)
噛んでやれ。
吐き出してやれ!
(懐かしや。恨めしや。)
今度会つたら、
どうしよか?
噛んでやれ。噛んでやれ。
叩いて、叩いて、
叩いてやれ!
(一九三五・一・一一)
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より
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