「曇天」までのいくつかの詩<21>雲
「別離」(十一月十三日)「初恋集」(十年一月十一日)「雲」などの感傷詩では、
幼年時のはかない恋情に意味がつけられ、
と、大岡昇平は、
この3作品を同列に評しています。
感傷詩、というレッテルも貼っています。
「雲」は、批判的意志を含めて読めば
確かに、感傷詩と言えますが
詩人は、恋愛詩のつもりで
書いたものでありましょう。
「草稿詩篇」(1933年~1936年)の
「夜半の嵐」の次に配置されています。
喀痰(かくたん)すれば唇(くち)寒く
また床(とこ)に入り耳にきく
夜半の嵐の、かなしさよ……
それ、死の期(とき)もかからまし
と、「夜半の嵐」で歌ってから、
それほど時間はかかっていないはずの制作です。
山の上を雲が流れてゆくのを
ここ=平地から眺める詩人は
あそこで、お弁当を食べたことを思い出し、
一緒にいた女の子のその後を考え、
女性というものは
桜の花びらが
喜んで散っていくように
結婚していくものなんだ……
遠い過去も近い過去も
遠ければ遠いで手が届かないし
近ければ近いであまりに鮮やかであるし
同じことだ……
山の上で空を見るのも
ここであの山を見るのも
同じことだから
動かないでいいんだ
動くな動くな
これでいいんだ
枯れ草の上に寝て
やわらかなぬくもりを感じながら
空の青の、冷たく透き通ったのを見て
煙草を吸うなどができるということは
世界的幸福というもんだ
などと考えをめぐらします。
痰のからむ身体でありながら
煙草を一服しながら
どこかの野原の枯れ草に寝ころび
行く雲の流れを眺め
時には居眠りし……
というと、
詩友、高森文夫を
宮城県東臼杵郡東郷村の山奥に訪ねたときに
撮影された、
有名な写真のことを
思わずにいられませんが、
その時に作られた歌ではありません。
詩人は、
長男・文也の死を予感することはなくとも
自分の死を
意識することがあったのかもしれません。
この詩を、感傷と片付けるには
惜しい。
幸福などというものに
ほど遠かった詩人が
世界的幸福
などというのですから
ここには、やはり
悲しみに深さがあります。
(つづく)
*
雲
山の上には雲が流れてゐた
あの山の上で、お辨当を食つたこともある……
女の子なぞといふものは
由来桜の花瓣(はなびら)のやうに、
欣んで散りゆくものだ
近い過去も遠いい過去もおんなじこつた
近い過去はあんまりまざまざ顕現するし
遠い過去はあんまりもう手が届かない
山の上に寝て、空を見るのも
此処(ここ)にゐて、あの山をみるのも
所詮は同じ、動くな動くな
あゝ枯草を背に敷いて
やんわりむくもつてゐることは
空の青が、少し冷たくみえることは
煙草を喫ふなぞといふことは
世界的幸福である
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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コメント
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こんにちは。
私も、文章を書きますが、批判はつきもので・・・
全く無名でも、批判はあります。
精神的にきつい時もあります。
有名になり、書き続けるというのは本当に大変なのだろうなと思うのです。
作品というのは、書いた本人でなければ分からないことがあると思うからです。
いかがでしょうか・・・
投稿: 野々しおり | 2009年5月 6日 (水) 16時21分
自分が、こうだ、と思っていて、それを表現するということは、批判されようが、支持されようが、いま、そのようにしか表現できないのだから、それしかないのですよね。作品も、表現で、書くこともそれに似たところがあるのだけれど、批判にさらされても、作品で応えるしかないのが、作品ですよね。きついのは、しかたないですよね。新たな作品の中で、批判を超えていけばいいのではないですか。ということで、ヒントになりませんか。
投稿: 合地 | 2009年5月 6日 (水) 17時37分
温かいお返事をくださり、ありがとうございました。
私のどこか、愚痴のようなコメントを反省しております。
まだ若いのだと、自分を励ましつつ、書いて生きたいと思います。
投稿: 野々しおり | 2009年5月 7日 (木) 20時29分
ぶっきらぼうですいません。作品は、批判にさらされることもあれば、喜びをもって迎えられることもあります。どちらの場合であっても、適度なバランスを保つことは、創造者の日ごろの課題とでもいえましょうか。よい詩を、たくさん、書き続けてください。
投稿: 合地 | 2009年5月 8日 (金) 05時47分