「曇天」までのいくつかの詩<25>我がヂレンマ
Dilemmaは、
もとギリシア語で、
diは、二つのこと、
lemmaは、仮説のこと。
現代日本語では、ジレンマだが、
中也は、ヂレンマとしました。
板挟み(イタバサミ)の状態を表します。
俺の血は、もう、
孤独の方へ孤独の方へと
流れていた
けれど、
俺は、よくまあ、
人と会い、
人と議論することが多かった
俺の、孤独好きの血は、
だから、どうしてよいか、
戸惑うばかりだった
お人好しだから、
付き合いに乗り
酒がはいり、
くだらん話に熱中するのだった
後になって
いつも悔やむのだった
とはいうものの、
孤独に浸っていることも怖いのだった
とはいうものの、
孤独でいることを捨てられないのだった
このように
生きるってことは、
それについてを考えるだけで苦痛だった
閉じこもっていないで
野原に出て遊んだらどうか
という声があって
俺も、そう思い、
遊ぼう、遊ぼう、と思った。
でも、そう思うことが、すでに、俺が、
社会からますます遠ざかることになることだった
そうして俺は
野原に出ることもやめるのだったが
だからといって
人と付き合いをよくするということでもなかった
俺は、書斎にこもっていた
書斎で、腐っていた
腐っている自分をどうすることもできないでいた
*
我がヂレンマ
僕の血はもう、孤独をばかり望んでゐた。
それなのに僕は、屡々(しばしば)人と対坐してゐた。
僕の血は為(な)す所を知らなかつた。
気のよさが、独りで勝手に話をしてゐた。
後では何時でも後悔された。
それなのに孤独に浸ることは、亦(また)怖いのであつた。
それなのに孤独を棄(す)てることは、亦出来ないのであつた。
かくて生きることは、それを考へみる限りに於て苦痛であつた。
野原は僕に、遊べと云つた!
遊ばうと、僕は思つた。--しかしさう思ふことは僕にとつて、
既に余りに社会を離れることを意味してゐるのであつた。
かくて僕は野原にゐることもやめるのであつたが、
又、人の所にもゐなかつた……僕は書斎にゐた。
そしてくされる限りにくさつてゐた、そしてそれをどうすることも出来なかつた。
——二・一九三五——
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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