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2009年6月

2009年6月23日 (火)

「山羊の歌」の通奏低音/倦怠のメロディー

「倦怠に握られた男」、といい
「倦怠者」、といい、
「倦怠」が、この時期、
詩人の全生活を支配していたかのような
テーマであった、といっても
オーバーでもないようです。

倦怠の調べが、
同じ時期に書かれた「春の日の夕暮」に
流れ込まないわけがありません。

「倦怠者の持つ意志」の最終の2行、

思想と体が一緒に前進する
努力した意志ではないからです

は、「春の日の夕暮」の最終連、

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自らの 静脈管の中へです

に、通じるものがあります。

ダダ詩が、
「倦怠」と格闘していること自体が
大変に興味深いことですが
そのことよりも、
詩集「山羊の歌」の冒頭作品である「春の日の夕暮」が
「倦怠」のメロディーを奏でていることには
驚きを禁じ得ませんし、

「春の日の夕暮」ばかりか、
掉尾(とうび)を飾る「いのちの声」までの
多くの詩が「倦怠」を歌っているのは
ただごとではない、と、
言わざるをえませんし、
発見です!

「月」の、
あゝ忘られた運河の岸堤
胸に残つた戦車の地音
銹(さ)びつく鑵の煙草とりいで
月は懶(ものう)く喫つてゐる。

「朝の歌」の、
倦(う)んじてし 人のこころを
諫(いさ)めする なにものもなし。

「寒い夜の自我像」の、
蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)かは儀文めいた心地をもつて
われはわが怠惰を諌(いさ)める
寒月の下を往きながら。

「夏」の、
血を吐くやうな 倦(もの)うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡るがやうな悲しさに、み空をとほく
血を吐くやうな倦(もの)うさ、たゆけさ

「汚れつちまつた悲しみに…」の
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

「秋」の、
僕は倦怠を観念して生きてゐるのだよ、
煙草の味が三通りくらゐにする。
死ももう、とほくはないのかもしれない……

「憔悴」の、
腕にたるむだ私の怠惰
今日も日が照る 空は青いよ

ひよつとしたなら昔から
おれの手に負へたのはこの怠惰だけだつたかもしれぬ

真面目な希望も その怠惰の中から
憧憬(しようけい)したのにすぎなかつたかもしれぬ

「いのちの声」の、
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすつかり倦果てた。

と、「春の日の夕暮」にはじまり、
「いのちの声」に終わる
詩集「山羊の歌」を通じて
「倦怠=ケンタイ」(ケダイでもある)の調べが流れ、
冒頭から結末に至るまで
通奏低音のように響き渡っている、
というわけですから、
これを、驚きと言わず、
発見と言わない理由はありません。

 *
 倦怠に握られた男

俺は、俺の脚だけなして
脚だけ歩くのをみてゐよう--
灰色の、セメント菓子を噛みながら
風呂屋の多いみちをさまよへ--
流しの上で、茶碗と皿は喜ぶに
俺はかうまで三和土(タタキ)の土だ--

 *
 倦怠者の持つ意志

タタミの目
時計の音
一切が地に落ちた
だが圧力はありません

舌がアレました
ヘソが凝視(みつ)めます
一切がニガミを喜びました
だが反作用はありません

此の時
夏の日の海が現はれる!
思想と体が一緒に前進する
努力した意志ではないからです

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

2009年6月22日 (月)

ダダイズム詩の倦怠メロディー

「ノート1924」は
1924年(大正13年)から1928年(昭和3年)の
5年間、中原中也が使っていたノートで
大岡昇平ら新編中原中也全集の編集委員は
「未発表詩篇」の中に1項目として分類しています。

詩篇は、全部で51篇。
「春の日の夕暮」の草稿は、
前半部にあり、
その「春の日の夕暮」の数篇前に
「倦怠に握られた男」
「倦怠者の持つ意志」の2作品があります。

この「倦怠」は、
「けだい」であったかわかりませんが、
ルビは振られていないので
「けんたい」であったと考えるのが自然です。

「春の日の夕暮」の
気だるい調べと
この「倦怠2作品」が
同じ時期に作られたことは、
ダダイズムの詩と
「倦怠のメロディー」が、
同根であることの証(あかし)
を示しているものです。

さらに、「倦怠」は、
「生前発表作品」に
「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」と
「倦怠(へとへとの、わたしの肉体(からだ)よ)の
2作品があり、
発表作品であることをみても、
詩人の主要なテーマを形成していたことは
確かなことです。

「倦怠」は、
「朝の歌」を経て、
「汚れつちまつた悲しみに…」に至るまでも
歌い継がれていく
通奏低音もしくは主調音
といってもよいほどのものなのです。

(つづく)

 *
 倦怠に握られた男

俺は、俺の脚だけなして
脚だけ歩くのをみてゐよう——
灰色の、セメント菓子を噛みながら
風呂屋の多いみちをさまよへ——
流しの上で、茶碗と皿は喜ぶに
俺はかうまで三和土(タタキ)の土だ——

 *
 倦怠者の持つ意志

タタミの目
時計の音
一切が地に落ちた
だが圧力はありません

舌がアレました
ヘソが凝視(みつ)めます
一切がニガミを喜びました
だが反作用はありません

此の時
夏の日の海が現はれる!
思想と体が一緒に前進する
努力した意志ではないからです

  *    
 倦 怠

倦怠の谷間に落つる
この真ッ白い光は、
私の心を悲しませ、
私の心を苦しくする。

真ッ白い光は、沢山の
倦怠の呟(つぶや)きを掻消(かきけ)してしまひ、
倦怠は、やがて憎怨となる
かの無言なる惨(いた)ましき憎怨………

忽(たちま)ちにそれは心を石と化し
人はただ寝転ぶより仕方もないのだ
同時に、果されずに過ぎる義務の数々を
悔いながらにかぞへなければならないのだ。

はては世の中が偶然ばかりとみえてきて、
人はただ、絶えず慄(ふる)へる、木の葉のやうに
午睡から覚めたばかりのやうに
呆然(ぼうぜん)たる意識の裡(うち)に、眼(まなこ)光らせ死んでゆくのだ

 *
 倦 怠

へとへとの、わたしの肉体(からだ)よ、
まだ、それでも希望があるといふのか?
(洗ひざらした石の上(へ)に、
今日も日が照る、午後の日射しよ!)

市民館の狭い空地(あきち)で、
子供は遊ぶ、フットボールよ。
子供のジャケツはひどく安物、
それに夕陽はあたるのだ。

へとへとの、わたしの肉体(からだ)よ、
まだ、それでも希望があるといふのか?
(オヤ、お隣りでは、ソプラノの稽古、
たまらなく、可笑(おか)しくなるがいいものか?)

オルガンよ!混凝土(コンクリート)の上なる砂粒(さりふ)よ!
放課後の小学校よ! 下駄箱よ!
おお君等聖なるものの上に、
——僕は夕陽を拝みましたよ!

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

2009年6月20日 (土)

新刊情報

中原中也と維新の影

堀雅昭
税込価格: ¥2,310 (本体 : ¥2,200)
出版 : 弦書房
サイズ :  / 272
ISBN : 978-4-86329-022-8
発行年月 : 2009.6

維新の影を追い続けた長州藩士の末裔、中也。その詩に宿るキリスト教と東洋的美意識(もののあはれ)を読み解きながら幕末維新の精神史を探る異色の評伝。詩に綴られた奇抜にして不穏なことばから導かれる近代日本の矛盾を再考。

汚れつちまつた悲しみに…倦怠(けだい)の謎<3>

「憔悴」は、
「山羊の歌」の最終の章である
「羊の歌」に収められた3作品の一つです。

詩集の結末にある
「いのちの声」の一つ前に置かれ、
「いのちの声」に優るとも劣らない
絶唱の響きのある作品です。

その、第3節に、

それが私の堕落かどうか
どうして私に知れようものか

腕にたるむだ私の怠惰
今日も日が照る 空は青いよ

ひよつとしたなら昔から
おれの手に負へたのはこの怠惰だけだつたかもしれぬ

真面目な希望も その怠惰の中から
憧憬(しようけい)したのにすぎなかつたかもしれぬ

あゝ それにしてもそれにしても
ゆめみるだけの 男にならうとはおもはなかつた!

と、あるのは、
やはり、
「倦怠=けだい」のメロディーとして
聴くべきものです。
ここでは、「怠惰」とされていますが
まぎれもなく、これは、
「倦怠=けだい」の同義語・同類語なのです。

昔から
自分の手に負えたものは
怠惰だけだったかも知れない
と、いうときの「怠惰」は、
怠け者、ボンクラというだけではなく
そこから、
生まれてくるものがあることを
感じさせる、
詩作の源泉とでもいえるような
ポジティブな意味が含まれていることを
見逃してはなりますまい。

このように
「山羊の歌」という詩集の結末部で、
「倦怠=けだい」は歌われて、
中原中也の詩の
コアを占めている「感情」であることが
明らかなのですが、

詩集の結末ばかりでなく、
たとえば、
詩集の冒頭の作品である
「春の夕暮」にも、すでに、
「倦怠=けだい」の調べが
奏でられていることに気づかされて、
驚かざるをえません。

「春の夕暮」の「倦怠=けだい」は
未だ、「倦怠」と名づけられてはいませんが、
その気分は、プンプン匂っていて、
多くの人に感じられていることは
想像するのに難しくはありません。

ダダイズムの詩を書いていた
若き日の詩人は
すでに「倦怠の人」だった、
ということができそうです。

(つづく)

 *
 憔悴

  Pour tout homme, il vient une èpoque
  où l'homme languit. ―Proverbe.
  Il faut d'abord avoir soif……
       ――Cathèrine de Mèdicis.

私はも早、善い意志をもつては目覚めなかつた
起きれば愁(うれ)はしい 平常(いつも)のおもひ
私は、悪い意志をもつてゆめみた……
(私は其処(そこ)に安住したのでもないが、
其処を抜け出すことも叶(かな)はなかつた)
そして、夜が来ると私は思ふのだつた、
此の世は、海のやうなものであると。
私はすこししけてゐる宵の海をおもつた
其処を、やつれた顔の船頭は
おぼつかない手で漕ぎながら
獲物があるかあるまいことか
水の面(おもて)を、にらめながらに過ぎてゆく

   2

昔 私は思つてゐたものだつた
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

今私は恋愛詩を詠み
甲斐あることに思ふのだ

だがまだ今でもともすると
恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい

その心が間違つてゐるかゐないか知らないが
とにかくさういふ心が残つてをり

それは時々私をいらだて
とんだ希望を起させる

昔私は思つてゐたものだつた
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

けれどもいまでは恋愛を
ゆめみるほかに能がない

   3

それが私の堕落かどうか
どうして私に知れようものか

腕にたるむだ私の怠惰
今日も日が照る 空は青いよ

ひよつとしたなら昔から
おれの手に負へたのはこの怠惰だけだつたかもしれぬ

真面目な希望も その怠惰の中から
憧憬(しようけい)したのにすぎなかつたかもしれぬ

あゝ それにしてもそれにしても
ゆめみるだけの 男にならうとはおもはなかつた!

   4

しかし此の世の善だの悪だの
容易に人間に分りはせぬ

人間に分らない無数の理由が
あれをもこれをも支配してゐるのだ

山蔭の清水(しみづ)のやうに忍耐ぶかく
つぐむでゐれば愉(たの)しいだけだ

汽車からみえる 山も 草も
空も 川も みんなみんな

やがては全体の調和に溶けて
空に昇つて 虹となるのだらうとおもふ……

   5

さてどうすれば利するだらうか、とか
どうすれば哂(わら)はれないですむだらうか、とかと

要するに人を相手の思惑に
明けくれすぐす、世の人々よ、

僕はあなたがたの心も尤(もつと)もと感じ
一生懸命郷(がう)に従つてもみたのだが

今日また自分に帰るのだ
ひつぱつたゴムを手離したやうに

さうしてこの怠惰の窗(まど)の中から
扇のかたちに食指をひろげ

青空を喫(す)ふ 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙さながら水に泛(うか)んで

夜(よる)は夜(よる)とて星をみる
あゝ 空の奥、空の奥。

   6

しかし またかうした僕の状態がつづき、
僕とても何か人のするやうなことをしなければならないと思ひ、
自分の生存をしんきくさく感じ、
ともすると百貨店のお買上品届け人にさへ驚嘆する。

そして理窟はいつでもはつきりしてゐるのに
気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑の小屑(をくづ)が一杯です。
それがばかげてゐるにしても、その二つつが
僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです。

と、聞えてくる音楽には心惹かれ、
ちよつとは生き生きしもするのですが、
その時その二つつは僕の中に死んで、

あゝ 空の歌、海の歌、
ぼくは美の、核心を知つてゐるとおもふのですが
それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!

◇ローマ数字を、アラビア数字に変えました。(編者)

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より」)

2009年6月19日 (金)

中也関連新刊情報

中原中也 キリスト教とダダイズム

著者:長谷川 晃
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価格(税込)         ¥ 2,310

2009年6月22日発売

汚れつちまつた悲しみに…倦怠(けだい)の謎<2>

中原中也の、
自他ともに認める会心作
「朝の歌」に、すでに、
「汚れつちまつた悲しみに……」の
「倦怠=けだい」に通じる感情が
歌われていたのですが、

「山羊の歌」の「少年時」にある
「夏」には、
よりいっそう「倦怠=けだい」に
近い感情が歌われます。

第1連冒頭行の、
血を吐くやうな倦(もの)うさ、たゆけさ

同第3行の、
睡るがやうな悲しさに、

同第4行の、
血を吐くやうな倦(もの)うさ、たゆけさ

第2連最終行の、
血を吐くやうなせつなさに。

最終連最終行の、
血を吐くやうなせつなさかなしさ。

この詩では、倦怠の「倦」を、
倦(もの)うさ、と読ませています。
そして、この、倦(もの)うさに、
たゆけさ
悲しさ
せつなさ…
を並列し、
これらに、
ほとんど、同格の、
ほとんど、同じ意味を込めているのです。

たゆけさ、せつなさ、悲しさ…は、
倦(もの)うさの、
他の表情に過ぎず、
根は同じものなのです。

この詩にはありませんが
むなしさも
この中に入っておかしくはないでしょう。

しかし、ここで
気に留めておきたいのは
悲しさです。
倦怠=けだいは、
あきらかに
悲しみの系譜に属する感情である、
という一事です。

(つづく)

 *
 夏

血を吐くやうな 倦(もの)うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡るがやうな悲しさに、み空をとほく
血を吐くやうな倦(もの)うさ、たゆけさ

空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩しく光り
今日の日も陽は炎(も)ゆる、地は睡る
血を吐くやうなせつなさに。

嵐のやうな心の歴史は
終焉(をは)つてしまつたもののやうに
そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののやうに
燃ゆる日の彼方(かなた)に睡る。

私は残る、亡骸(なきがら)として――
血を吐くやうなせつなさかなしさ。

◇たゆけさ 緩んでしまりのない状態。だるさ。

 *
 朝の歌
          
天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
  手にてなす なにごともなし。
 
小鳥らの うたはきこえず 
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諌(いさ)めする なにものもなし。

樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
  うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな
 
ひろごりて たひらかの空、
  土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より」)

2009年6月18日 (木)

汚れつちまつた悲しみに…/倦怠の謎

「汚れつちまつた悲しみに……」は
繰り返し繰り返し読んでも
最後のところで謎((なぞ)が残り、
いったんは
その謎を追求することを止めて、
しばらく放っておくと、
ふっと、あっ、これだ、なんて
謎が解けた瞬間があるので、
また、思い出して読み返し、
そうして、もう一度、
読んでみると、
こんどは、ほかの謎が浮かんできて……

というわけで
ここで、
第3連第4行の
倦怠(けだい)のうちに死を夢む
の謎に迫ってみます。

そもそも、
初めてこの詩に触れ、
この行にさしかかって、
ケンタイではなくケダイなんだ、
何故かな? と
疑問を抱いたまま
そのままにしておきました。

普通は「けんたい」と読むところを
「けだい」と中原中也は読ませます。
何故でしょう?

多分、詩人は、
倦(う)み、飽きる、とか、
やる気が起きない、
気(け)だるい、
怠惰(たいだ)な気分、とか、

倦怠感ケンタイカンや
フランス語のアンニュイ(=倦怠)とか
一般に考えられるケンタイ=倦怠と
区別したかったのではないでしょうか

「山羊の歌」を注意深く読んでみると
倦怠=けだいに通じる詩句が、
詩人が詩人としてやっていける!
と自認した作品である
「朝の歌」の中に
すでに現れているのを
発見できます。

そうです
第2連の

小鳥らの うたはきこえず
   空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
   諌(いさ)めする なにものもなし。

です。

「朝の歌」と
「汚れつちまつた悲しみに……」は
作られた時期が違うし、
歌われた状況も違うし、
歌われている感情もまったく異なりますが、
「倦(う)んじてし」と
「倦怠(けだい)のうちに」とは、
通じるものがあります

(つづく)

 *
 朝の歌

天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず 
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諌(いさ)めする なにものもなし。

樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
  うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな

ひろごりて たひらかの空、
  土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より」

2009年6月15日 (月)

「汚れつちまつた悲しみに…」の透明感

小林秀雄が
中也の詩は、
出来不出来を論じても無意味だ、
というようなことを記したのは

中原中也という詩人によって作られた詩が
ことごとく
生まの肉体、生身の感動を経て
選び取られた言葉の切れ端であり
その切れ端は
他人によっては分解できない
血のようなものへと変成され
それを詩(うた)にした、
そのことを抜きに
巧拙を云々することの馬鹿馬鹿しさを
言いたかったからで、

だからといって、
中原中也の詩に出来不出来がなかった、
ということではありません。

中也の詩の一つ一つに
中也という詩人の血脈が流れ
作品のどれもが
斬れば血しぶきのほとばしるようなものばかりであっても
それらには、出来不出来が
当然のことながらありました。

詩人は
自作の出来不出来のために
日々、苦闘し、
大都会を彷徨(さまよ)い、
酒場に通い、
討論し、
とっくみあいの喧嘩もし……
と言えるほどに
「言葉」や「詩句」と
たたかいました。

たたかう、という言葉が最も相応しい、
と言えるほどに、
悲しみの詩人が
詩を生み出す有様は
まさに、傷だらけ、
満身創痍(まんしんそうい)でした。

それゆえにこそ
中也作品のことごとくが
あの、名指し得ない、
なんともいえない、
透明感を帯びるにいたったというわけであります。

というわけで
あまりにも有名過ぎて
その切れ端は
日本人のだれもが知っている
代表作「汚れつちまつた悲しみに……」の
詩作品の全体に
じっくりと
向かい合ってみましょう。

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より」

2009年6月10日 (水)

詩人論の詩<5>「寒い夜の自我像」と「修羅街輓歌」

「いのちの声」は
最終行の
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。
に至る全篇が
詩人論を展開している詩と
考えることができますし、

「曇天」の
ハタハタはためいている旗は
詩人そのものと考えることができますし、

「言葉なき歌」の
あれ、は、
詩そのものを表している、と、
考えることだってできます。

このように、
詩人論が述べられている詩と
考えて可能な作品は
中原中也にはたくさんありますが、
これらのほかに、
「山羊の歌」から、
もう二つの作品を
ここで、見ておきましょう。
「寒い夜の自我像」と
「修羅街輓歌」です。

「詩人は辛い」と
「現代と詩人」とは、
生前に中原中也が、
雑誌や新聞などで発表したものですから、
世の中に向かって
思い切って
詩人の立場を宣言した詩と
解することができるように

この、
「寒い夜の自我像」と「修羅街輓歌」の
2作品は
詩人自らが編集した詩集
「山羊の歌」に
選び取った作品なのですから
そこに詩人論が込められているとするなら
その叫びは
より強く
より完成度が高く
より出来のよいものと
いえるかもしれません。

 *

 寒い夜の自我像

きらびやかでもないけれど
この一本の手綱をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志明らかなれば
冬の夜を我は嘆かず
人々の憔懆(せうさう)のみの愁(かな)しみや
憧れに引廻される女等の鼻唄を
わが瑣細なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。

蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)かは儀文めいた心地をもつて
われはわが怠惰を諫(いさ)める
寒月の下を往きながら。

陽気で、坦々として、而(しか)も己を売らないことをと、
わが魂の願ふことであつた!

*儀文 形式、型のこと。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

 *

 修羅街輓歌
    関口隆克に

   序歌

忌(いま)はしい憶(おも)ひ出よ、
去れ! そしてむかしの
憐みの感情と
ゆたかな心よ、
返つて来い!

  今日は日曜日
  縁側には陽が当る。
  ――もういつぺん母親に連れられて
  祭の日には風船玉が買つてもらひたい、
  空は青く、すべてのものはまぶしくかゞやかしかつた……

  忌はしい憶ひ出よ、
  去れ!
     去れ去れ!

  2 酔生

私の青春も過ぎた、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
私の青春も過ぎた。

ほんに前後もみないで生きて来た……
私はあむまり陽気にすぎた?
――無邪気な戦士、私の心よ!

それにしても私は憎む、
対外意識にだけ生きる人々を。
――パラドクサルな人生よ。

いま茲(ここ)に傷つきはてて、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
おゝ、霜にしみらの鶏鳴よ……

   3 独語

器の中の水が揺れないやうに、
器を持ち運ぶことは大切なのだ。
さうでさへあるならば
モーションは大きい程いい。

しかしさうするために、
もはや工夫(くふう)を凝らす余地もないなら……
心よ、
謙抑にして神恵を待てよ。

   4

いといと淡き今日の日は
雨蕭々(せうせう)と降り洒(そそ)ぎ
水より淡(あは)き空気にて
林の香りすなりけり。

げに秋深き今日の日は
石の響きの如くなり。
思ひ出だにもあらぬがに
まして夢などあるべきか。

まことや我は石のごと
影の如くは生きてきぬ……
呼ばんとするに言葉なく
空の如くははてもなし。

それよかなしきわが心
いはれもなくて拳(こぶし)する
誰をか責むることかある?
せつなきことのかぎりなり。

*修羅 阿修羅。インド神話に登場する闘いの神。
*輓歌 人の死を悼み悲しむ歌。
*パラドクサル paradoxal(仏)逆説的な。奇妙な。
*しみらの ひっきりなしに続くこと。あるいは、凍りつくこと、沁みいること。
*謙抑 ひかえめにして自分を抑えること。
*蕭々 ものさびしく雨が降る様子。
*あらぬがに ないのだが

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より」

*ローマ数字は、アラビア数字に変えてあります。(編者)

2009年6月 5日 (金)

詩人論の詩<4>「秋の一日」のきれくづ

小林秀雄が、
どんな切れっぱしにも彼自身があった。
と、記すとき、
「秋の一日」という
中也の詩が頭にあったか、
この詩の最終連、

ぽけっとに手を突込んで
路次を抜け、波止場に出でて
今日の日の魂に合ふ
布切屑(きれくづ)をでも探して来よう。

を、思い出す人は多くいることに違いありません。

横浜に遊んだときの歌と
伝えられているこの作品、
中原中也の詩作法の一端を示していて
「山羊の歌」の中でも
印象に残るものの一つでしょうか、

散歩や遊興や旅行や……
詩人が動いているところには、
必ず、
詩を作ろうという意志があり、
詩の切れ端を捕まえようとする詩人があるのだな、と
誰もが、
この詩に触れて
詩人が、
まずは、詩の全体というより
詩の一部、
布の切れ屑が見つかれば
詩は生まれてくるもの、という
詩作法になじんでいることを知ります

すべての詩を
このように作ったとは言えないのでしょうが
詩句の1行でも浮かんだら
それを元にして
1篇の詩に作りあげていく詩人の姿が
目に浮かぶようで、
親しみが湧いてきます。

小林秀雄が言うのは
こうして得られた詩句の
どの一つにも
生ま身の詩人の声が通い
血が流れているから、
出来不出来などという
テクニックを云々することは意味のないことだ、
という洞察です。

 *
 秋の一日

こんな朝、遅く目覚める人達は
戸にあたる風と轍(わだち)との音によつて、
サイレンの棲む海に溺れる。 

夏の夜の露店の会話と、
建築家の良心はもうない。
あらゆるものは古代歴史と
花崗岩のかなたの地平の目の色。

今朝はすべてが領事館旗のもとに従順で、
私は錫(しやく)と広場と天鼓のほかのなんにも知らない。
軟体動物のしやがれ声にも気をとめないで、
紫の蹲(しやが)んだ影して公園で、乳児は口に砂を入れる。

(水色のプラットホームと
躁(はしや)ぐ少女と嘲笑(あざわら)ふヤンキイは
いやだ いやだ!)

ぽけっとに手を突込んで
路次を抜け、波止場に出でて
今日の日の魂に合ふ
布切屑(きれくづ)をでも探して来よう。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

2009年6月 2日 (火)

詩人論の詩<3>詩の出来不出来

タペストリーとは、
麻、羊毛(ウール)、絹などを使い、
風景や模様を織り出した
つづれ織りのことです。

表は、完成された「絵」になって、
その絵を壁掛けなどとして楽しむのですが、
裏側は、描きかけの絵のような、
未完成で、荒削りな
乱れた織り目や、
布くずが散らばっている状態です。

裏は、人目に触れないから、
それでよいのです。

裏は、
表を完成させるために存在し、
表は裏がなければ存在しませんし、
双方がそれぞれを必要としていて、
どちらかが「偉い」という
関係ではありません。

「山羊の歌」や「在りし日の歌」に
選ばれた詩篇が表なら、
発表されなかった詩篇は裏であり、
どちらも、中原中也が歌った歌に
違いはありません。

表と裏とを、
たとえ、出来不出来の関係と見なしたとしても、
どちらも
中原中也の作品であることは
変わりません。

このような意味で、
小林秀雄が、
次のように言っていることは、
すこぶる、
重大な指摘であります。

――詩の出来不出来なぞ元来この詩人には大した意味はない。それほど、詩は彼の生ま身の様なものになっていた。どんな切れっぱしにも彼自身があった。
(「中原中也の遺稿」昭和十二年十二月「文学界」)

 *

 いのちの声

もろもろの業(わざ)、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
――ソロモン

僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上がりの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
僕に押し寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。

僕はその寂漠の中にすつかり沈静してゐるわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めてゐる。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れてゐる。
そのためにははや、食慾も性慾もあつてなきが如くでさへある。

しかし、それが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それが二つあるとは思へない、ただ一つであるとは思ふ。
しかしそれが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それに行き著(つ)く一か八かの方途さへ、悉皆(すつかり)分つたためしはない。

時に自分を揶揄(からか)ふやうに、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいふのであらうか?

  Ⅱ
否何(いづ)れとさへそれはいふことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいふものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我が生は生くるに値するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらはるものはあらはるまゝによいといふこと!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかは)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このやうに無私の境(さかひ)のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称して阿呆(あほう)といふものであらう底のものとすれば、
めしをくはねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといはねばならぬ

だが、それが此(こ)の世といふものなんで、
其処(そこ)に我等は生きてをり、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よつ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端はないとて、一先ず休心するもよからう。

  Ⅲ
されば要は、熱情の問題である。
汝、心の底より立腹せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

  Ⅳ
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)


 曇天

 ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
 はたはた それは はためいて ゐたが、
音は きこえぬ 高きが ゆゑに。

 手繰り 下ろさうと 僕は したが、 
綱も なければ それも 叶(かな)はず、
 旗は はたはた はためく ばかり、
空の 奥処(おくが)に 舞ひ入る 如く。

 かかる 朝(あした)を 少年の 日も、
屡々(しばしば) 見たりと 僕は 憶(おも)ふ。
 かの時は そを 野原の 上に、
今はた 都会の 甍(いらか)の 上に。

 かの時 この時 時は 隔つれ、
此処(ここ)と 彼処(かしこ)と 所は 異れ、
 はたはた はたはた み空に ひとり、
いまも 渝(かは)らぬ かの 黒旗よ。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より」

 *
 言葉なき歌

あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼(あを)く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡(あは)い

決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女(むすめ)の眼(め)のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい

それにしてもあれはとほいい彼方(かなた)で夕陽にけぶつてゐた
号笛(フイトル)の音(ね)のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない

さうすればそのうち喘(あへ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

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