汚れつちまつた悲しみに…倦怠(けだい)の謎<2>
中原中也の、
自他ともに認める会心作
「朝の歌」に、すでに、
「汚れつちまつた悲しみに……」の
「倦怠=けだい」に通じる感情が
歌われていたのですが、
「山羊の歌」の「少年時」にある
「夏」には、
よりいっそう「倦怠=けだい」に
近い感情が歌われます。
第1連冒頭行の、
血を吐くやうな倦(もの)うさ、たゆけさ
同第3行の、
睡るがやうな悲しさに、
同第4行の、
血を吐くやうな倦(もの)うさ、たゆけさ
第2連最終行の、
血を吐くやうなせつなさに。
最終連最終行の、
血を吐くやうなせつなさかなしさ。
この詩では、倦怠の「倦」を、
倦(もの)うさ、と読ませています。
そして、この、倦(もの)うさに、
たゆけさ
悲しさ
せつなさ…
を並列し、
これらに、
ほとんど、同格の、
ほとんど、同じ意味を込めているのです。
たゆけさ、せつなさ、悲しさ…は、
倦(もの)うさの、
他の表情に過ぎず、
根は同じものなのです。
この詩にはありませんが
むなしさも
この中に入っておかしくはないでしょう。
しかし、ここで
気に留めておきたいのは
悲しさです。
倦怠=けだいは、
あきらかに
悲しみの系譜に属する感情である、
という一事です。
(つづく)
*
夏
血を吐くやうな 倦(もの)うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡るがやうな悲しさに、み空をとほく
血を吐くやうな倦(もの)うさ、たゆけさ
空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩しく光り
今日の日も陽は炎(も)ゆる、地は睡る
血を吐くやうなせつなさに。
嵐のやうな心の歴史は
終焉(をは)つてしまつたもののやうに
そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののやうに
燃ゆる日の彼方(かなた)に睡る。
私は残る、亡骸(なきがら)として――
血を吐くやうなせつなさかなしさ。
◇たゆけさ 緩んでしまりのない状態。だるさ。
*
朝の歌
天井に 朱(あか)きいろいで
戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
手にてなす なにごともなし。
小鳥らの うたはきこえず
空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
諌(いさ)めする なにものもなし。
樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな
ひろごりて たひらかの空、
土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。
*
汚れつちまつた悲しみに……
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より」)
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