汚れつちまつた悲しみに…/倦怠の謎
「汚れつちまつた悲しみに……」は
繰り返し繰り返し読んでも
最後のところで謎((なぞ)が残り、
いったんは
その謎を追求することを止めて、
しばらく放っておくと、
ふっと、あっ、これだ、なんて
謎が解けた瞬間があるので、
また、思い出して読み返し、
そうして、もう一度、
読んでみると、
こんどは、ほかの謎が浮かんできて……
というわけで
ここで、
第3連第4行の
倦怠(けだい)のうちに死を夢む
の謎に迫ってみます。
そもそも、
初めてこの詩に触れ、
この行にさしかかって、
ケンタイではなくケダイなんだ、
何故かな? と
疑問を抱いたまま
そのままにしておきました。
普通は「けんたい」と読むところを
「けだい」と中原中也は読ませます。
何故でしょう?
多分、詩人は、
倦(う)み、飽きる、とか、
やる気が起きない、
気(け)だるい、
怠惰(たいだ)な気分、とか、
倦怠感ケンタイカンや
フランス語のアンニュイ(=倦怠)とか
一般に考えられるケンタイ=倦怠と
区別したかったのではないでしょうか
「山羊の歌」を注意深く読んでみると
倦怠=けだいに通じる詩句が、
詩人が詩人としてやっていける!
と自認した作品である
「朝の歌」の中に
すでに現れているのを
発見できます。
そうです
第2連の
小鳥らの うたはきこえず
空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
諌(いさ)めする なにものもなし。
です。
「朝の歌」と
「汚れつちまつた悲しみに……」は
作られた時期が違うし、
歌われた状況も違うし、
歌われている感情もまったく異なりますが、
「倦(う)んじてし」と
「倦怠(けだい)のうちに」とは、
通じるものがあります
(つづく)
*
朝の歌
天井に 朱(あか)きいろいで
戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
手にてなす なにごともなし。
小鳥らの うたはきこえず
空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
諌(いさ)めする なにものもなし。
樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな
ひろごりて たひらかの空、
土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。
*
汚れつちまつた悲しみに……
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より」
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