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2009年6月10日 (水)

詩人論の詩<5>「寒い夜の自我像」と「修羅街輓歌」

「いのちの声」は
最終行の
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。
に至る全篇が
詩人論を展開している詩と
考えることができますし、

「曇天」の
ハタハタはためいている旗は
詩人そのものと考えることができますし、

「言葉なき歌」の
あれ、は、
詩そのものを表している、と、
考えることだってできます。

このように、
詩人論が述べられている詩と
考えて可能な作品は
中原中也にはたくさんありますが、
これらのほかに、
「山羊の歌」から、
もう二つの作品を
ここで、見ておきましょう。
「寒い夜の自我像」と
「修羅街輓歌」です。

「詩人は辛い」と
「現代と詩人」とは、
生前に中原中也が、
雑誌や新聞などで発表したものですから、
世の中に向かって
思い切って
詩人の立場を宣言した詩と
解することができるように

この、
「寒い夜の自我像」と「修羅街輓歌」の
2作品は
詩人自らが編集した詩集
「山羊の歌」に
選び取った作品なのですから
そこに詩人論が込められているとするなら
その叫びは
より強く
より完成度が高く
より出来のよいものと
いえるかもしれません。

 *

 寒い夜の自我像

きらびやかでもないけれど
この一本の手綱をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志明らかなれば
冬の夜を我は嘆かず
人々の憔懆(せうさう)のみの愁(かな)しみや
憧れに引廻される女等の鼻唄を
わが瑣細なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。

蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)かは儀文めいた心地をもつて
われはわが怠惰を諫(いさ)める
寒月の下を往きながら。

陽気で、坦々として、而(しか)も己を売らないことをと、
わが魂の願ふことであつた!

*儀文 形式、型のこと。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

 *

 修羅街輓歌
    関口隆克に

   序歌

忌(いま)はしい憶(おも)ひ出よ、
去れ! そしてむかしの
憐みの感情と
ゆたかな心よ、
返つて来い!

  今日は日曜日
  縁側には陽が当る。
  ――もういつぺん母親に連れられて
  祭の日には風船玉が買つてもらひたい、
  空は青く、すべてのものはまぶしくかゞやかしかつた……

  忌はしい憶ひ出よ、
  去れ!
     去れ去れ!

  2 酔生

私の青春も過ぎた、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
私の青春も過ぎた。

ほんに前後もみないで生きて来た……
私はあむまり陽気にすぎた?
――無邪気な戦士、私の心よ!

それにしても私は憎む、
対外意識にだけ生きる人々を。
――パラドクサルな人生よ。

いま茲(ここ)に傷つきはてて、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
おゝ、霜にしみらの鶏鳴よ……

   3 独語

器の中の水が揺れないやうに、
器を持ち運ぶことは大切なのだ。
さうでさへあるならば
モーションは大きい程いい。

しかしさうするために、
もはや工夫(くふう)を凝らす余地もないなら……
心よ、
謙抑にして神恵を待てよ。

   4

いといと淡き今日の日は
雨蕭々(せうせう)と降り洒(そそ)ぎ
水より淡(あは)き空気にて
林の香りすなりけり。

げに秋深き今日の日は
石の響きの如くなり。
思ひ出だにもあらぬがに
まして夢などあるべきか。

まことや我は石のごと
影の如くは生きてきぬ……
呼ばんとするに言葉なく
空の如くははてもなし。

それよかなしきわが心
いはれもなくて拳(こぶし)する
誰をか責むることかある?
せつなきことのかぎりなり。

*修羅 阿修羅。インド神話に登場する闘いの神。
*輓歌 人の死を悼み悲しむ歌。
*パラドクサル paradoxal(仏)逆説的な。奇妙な。
*しみらの ひっきりなしに続くこと。あるいは、凍りつくこと、沁みいること。
*謙抑 ひかえめにして自分を抑えること。
*蕭々 ものさびしく雨が降る様子。
*あらぬがに ないのだが

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より」

*ローマ数字は、アラビア数字に変えてあります。(編者)

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