ダダのデザイン<6>道化の臨終<5>
「道化の臨終(Etude Dadaistique)」は
1934年(昭和9年)に作られ、
1937年(昭和12年)「日本歌人」9月号に発表されました。
制作された1934年は、
中也27歳の年ですが、
制作の年よりも
発表された1937年は、
詩人が死去する年である
ということには、
おやっと、
思わずにいられないものがあります。
世の中に向けて発表するということは
その作品が遠い過去に作られたものであっても、
その作品の現在を示すものである以上
「道化の臨終(Etude Dadaistique)」は、
中原中也という詩人の
最晩年の作品に属するということなのですから。
ダダイズムの詩が
詩人の死去する3年前に作られ
死去するおよそ2か月前に発表された、
ということは大変興味深いことです。
詩人の死は、
1937年10月22日です。
大岡昇平は、
やや驚愕気味に
この事実をもって
中原中也はダダイストであったか、どうか
という問いを自ら立て
中也評伝では最後になった「中原中也・1」を
1971年から書きはじめましたが、
途中でプツンとやめてしまいました。
この論考「中原中也・1」を所収している
「中原中也」(1974年初版、角川書店)のあとがきには
この間の経緯が次のように記されています。
私は本巻五巻を通して解説を書き、また新しい観点を強いられる結果になりました。例えば『朝の歌』に「日本のダダイスムは中原がそこから出て来たも のとしてしか興味はない」と書きましたが、案外そこに中原の生に対する基本的態度があるのではないか、という疑問が生じました。そこで一九七一年から再出 発したのが「中原中也・1」ですが、ここで私の根気はぷっつり切れた感じになりました。
かくて、結論は出されずじまいになったのですが
「道化の臨終」について、
「ダダ的ではあるが、ダダイズムそのものではない」と
書いたのはこの「中原中也・1」の中でのことでした。
中也のダダイズムへの関わりについて
例によって
骨までしゃぶるような論究が展開されたのですが、
「道化の臨終」については、
(Etude Dadaistique)の
傍題があるにもかかわらず
最後まで、「ダダ的」とし、
そのほかの「朝の歌」以降の作品についても
「ダダ的」とする以上の断言をしませんでした。
*
道化の臨終(Etude Dadaistique)
序 曲
君ら想はないか、夜毎何処(どこ)かの海の沖に、
火を吹く龍がゐるかもしれぬと。
君ら想はないか、曠野(こうや)の果に、
夜毎姉妹の灯ともしてゐると。
君等想はないか、永遠の夜(よる)の浪、
其処(そこ)に泣く無形(むぎやう)の生物(いきもの)、
其処に見開く無形(むぎやう)の瞳、
かの、かにかくに底の底……
心をゆすり、ときめかし、
嗚咽(おえつ)・哄笑一時(いつとき)に、肝に銘じて到るもの、
清浄こよなき漆黒のもの、
暖(だん)を忘れぬ紺碧(こんぺき)を……
* *
*
空の下(もと)には 池があつた。
その池の めぐりに花は 咲きゆらぎ、
空はかほりと はるけくて、
今年も春は 土肥やし、
雲雀(ひばり)は空に 舞ひのぼり、
小児が池に 落つこつた。
小児は池に仰向(あおむ)けに、
池の縁〈ふち〉をば 枕にて、
あわあわあわと 吃驚(びつくり)し、
空もみないで 泣きだした。
僕の心は 残酷な、
僕の心は 優婉(ゆうえん)な、
僕の心は 優婉な、
僕の心は 残酷な、
涙も流さず 僕は泣き、
空に旋毛(つむじ)を 見せながら、
紫色に 泣きまする。
僕には何も 云はれない。
発言不能の 境界に、
僕は日も夜も 肘(ひじ)ついて、
僕は砂粒に 照る日影だの、
風に揺られる 雑草を、
ジツと瞶(みつ)めて をりました。
どうぞ皆さん僕といふ、
はてなくやさしい 痴呆症、
抑揚の神の 母無(おやな)し子(ご)、
岬の浜の 不死身貝、
そのほか色々 名はあれど、
命題・反対命題の、
能(あた)ふかぎりの 止揚場(しやうぢやう)、
天(あめ)が下なる 「衛生無害」、
昔ながらの薔薇(ばら)の花、
ばかげたものでも ござりませうが、
大目にあづかる 為体(ていたらく)。
かく申しまする 所以(ゆえん)のものは、
泣くも笑ふも 朝露の命、
星のうちなる 星の星……
砂のうちなる 砂の砂……
どうやら舌は 縺(もつ)れまするが、
浮くも沈むも 波間の瓢(ひさご)、
格別何も いりませぬ故、
笛のうちなる 笛の笛、
——次第に舌は 縺れてまゐる——
至上至福の 臨終(いまは)の時を、
いやいや なんといはうかい、
一番お世話になりながら、
一番忘れてゐられるもの……
あの あれを……といつて、
それでは誰方(どなた)も お分りがない……
では 忘恩悔ゆる涙とか?
えゝまあ それでもござりまするが……
では——
えイ、じれつたや
これやこの、ゆくもかへるも
別れては、消ゆる移り香、
追ひまはし、くたびれて、
秋の夜更に 目が覚めて、
天井板の 木理(もくめ)みて、
あなやと叫び 呆然(ぼうぜん)と……
さて われに返りはするものの、
野辺の草葉に 盗賊の、
疲れて眠る その腰に、
隠元豆の 刀あり、
これやこの 切れるぞえ、
と 戸の面(おもて)、丹下左膳がこつち向き、
——狂つた心としたことが、
何を云ひ出すことぢややら……
さはさりながら さらばとて、
正気の構へを とりもどし、
人よ汝(いまし)が「永遠」を、
恋することのなかりせば、
シネマみたとてドツコイシヨのシヨ、
ダンスしたとてドツコイシヨのシヨ。
なぞと云つたら 笑はれて、
ささも聴いては 貰へない、
さればわれ、明日は死ぬ身の、
今茲(ここ)に 不得要領……
かにかくに 書付けましたる、
ほんのこれ、心の片端〈はしくれ〉、
不備の点 恕(ゆる)され給ひて、
希(ねが)はくは お道化(どけ)お道化て、
ながらへし 小者にはあれ、
冥福の 多かれかしと、
神にはも 祈らせ給へ。
(一九三四・六・二)
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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