ダダのデザイン<8>サーカス
幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました
と、はじまる「サーカス」には、
道化は登場しませんが、
サーカスのイメージには
道化、ピエロ、クラウン……を
欠かすことはできませんから、
「サーカス」には
見えない道化の存在が感じられます、
と言ってしまえば、
荒唐無稽(こうとうむけい)なことでしょうか。
「山羊の歌」の
3番目におかれ、
ダダの影響から
抜け出た作品と言われる
「朝の歌」より前におかれた「サーカス」は、
ダダの詩だとは到底言えませんし、
ダダの詩などとわざわざ言う必要もありませんが、
ダダの世界に無縁とも言えません。
そこに
「道化」がいるからです。
「サーカス」には
道化は登場しませんが
サーカスという場の設定自体が
すでに
道化の存在を想像させますし、
「サーカス」という作品に、
道化の眼差しは希薄であっても
道化の気配を嗅ぎ取ることは容易です。
そこには
「道化」がいる、
と言ってもおかしくはないでしょう。
「サーカス」に出てこなかった
「道化」は、
やがて、
色々なところに
登場することになりますが、
とりわけ、1934年(昭和9年)には、
数多く現れます。
ここでまた、大岡昇平が「中原中也・1」で
書いているところに
注目しておきましょう。
ただし「道化の臨終」はダダ的なのであって、ダダそのものではない。この作品が書かれた1934年はほかに「ピチベの哲学」(2月発表、新発見)、「玩具の賦」(2月)、「狂気の手紙」(4月)、「お道化うた」(6月、これもほとんど確認された)、「秋岸清涼居士」(10月)、「星とピエロ」(12月)など、同じ傾向の道化歌が集中している。
時間と空間、対象と人称を意識的に混乱さすことによって、異様な嘲笑的で歪んだ詩的空間を造り出しているので、出まかせを言うダダの技法が、長々しいくどきとなって一つの完成したスタイルに達する。
一方あらゆる粉飾を捨て去ったような「骨」が書かれるのもこの狂燥の最中の4月28日である。
1年の後、「秋岸清涼居士」の凄惨な道化は、低温課程の中で、「含羞」の優雅な階調に転換される。
(略)
(略)多くの新発見の作品から見ると、ダダが彼が最も手足を伸び伸びと延ばせる環境であったこともたしかなようである。(略)
(大岡昇平「中原中也」角川書店、昭和49年、「中原中也・1」より)
*漢数字を洋数字に変えたり、改行を加えたりしています。
*
サーカス
幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました
幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました
幾時代かがありまして
今夜此処(ここ)での一(ひ)と殷盛(さか)り
今夜此処での一と殷盛り
サーカス小屋は高い梁(はり)
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ
頭倒(さか)さに手を垂れて
汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
それの近くの白い灯が
安値(やす)いリボンと息を吐き
観客様はみな鰯(いわし)
咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
屋外(やぐわい)は真ッ闇(くら) 闇(くら)の闇(くら)
夜は劫々と更けまする
落下傘奴(らくかがさめ)のノスタルヂアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)
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