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2009年9月

2009年9月28日 (月)

ダダのデザイン<17>玩具の賦・その5

「玩具の賦(昇平に)」に関しての作品論を、
献呈された大岡昇平が展開することは、
ほとんどなかったのですが、
中原中也1934年制作の作品を論じ、
道化歌を論じて、
「道化の臨終」
「ピチベの哲学」
「狂気の手紙」
「お道化うた」
「秋岸清涼居士」
「星とピエロ」などとひっくるめて、

時間と空間、対象と人称を意識的に混乱さすことによって、異様な嘲笑的で歪んだ詩的空間を造り出しているので、出まかせを言うダダの技法が、長々しいくどきとなって一つの完成したスタイルに達する。

と、コメントしているのが、
「玩具の賦」に関する
唯一といってもよい「作品論」なのです。

自分のことを批判した内容の詩を
作品とみなしたくなかったからか、
そもそも詩として認められなかったからか、

「朝の歌」や「いのちの声」などの詩と比べて
大岡昇平が「玩具の賦(昇平に)」を
作品の「格」としては
より低く評価していることは明らかですが
はてさて
それでよかったのだろうか……

「玩具の賦(昇平に)」という作品は
作品としても
非常に優れた詩である、
よい詩である、
ということは、
疑いようもないことですし、

ことさら
道化の歌である「玩具の賦」が
完成の域に達し、
一つのスタイルを形成し、
中原中也という詩人の
いはば、
27歳現在のダダイズムそのもの
といってもおかしくはない作品である、
という視点からみればなおさら
気がかりなことです。

 *
 玩具の賦
    昇平に
どうともなれだ
俺には何がどうでも構はない
どうせスキだらけぢやないか
スキの方を減(へら)さうなんてチャンチャラ可笑(をか)しい
俺はスキの方なぞ減らさうとは思はぬ
スキでない所をいつそ放りつぱなしにしてゐる
それで何がわるからう
俺にはおもちやが要るんだ
おもちやで遊ばなくちやならないんだ
利権と幸福とは大体は混(まざ)る
だが究極では混りはしない
俺は混ざらないとこばつかり感じてゐなけあならなくなつてるんだ
月給が増(ふ)えるからといつておもちやが投げ出したくはないんだ
俺にはおもちやがよく分つてるんだ
おもちやのつまらないとこも
おもちやがつまらなくもそれを弄(もてあそ)べることはつまらなくはないことも
俺にはおもちやが投げ出せないんだ
こつそり弄べもしないんだ
つまり余技ではないんだ
おれはおもちやで遊ぶぞ
おまへは月給で遊び給へだ
おもちやで俺が遊んでゐる時
あのおもちやは俺の月給の何分の一の値段だなぞと云ふはよいが
それでおれがおもちやで遊ぶことの値段まで決まつたつもりでゐるのは
滑稽だぞ
俺はおもちやで遊ぶぞ
一生懸命おもちやで遊ぶぞ
贅沢(ぜいたく)なぞとは云ひめさるなよ
おれ程おまへもおもちやが見えたら
おまへもおもちやで遊ぶに決つてゐるのだから
文句なぞを云ふなよ
それどころか
おまへはおもちやを知つてないから
おもちやでないことも分りはしない
おもちやでないことをただそらんじて
それで月給の種なんぞにしてやがるんだ
それゆゑもしも此(こ)の俺がおもちやも買へなくなった時には
写字器械奴(め)!
云はずと知れたこと乍(なが)ら
おまへが月給を取ることが贅沢だと云つてやるぞ
行つたり来たりしか出来ないくせに
行つても行つてもまだ行かうおもちや遊びに
何とか云へるものはないぞ
おもちやが面白くもないくせに
おもちやを商ふことしか出来ないくせに
おもちやを面白い心があるから成立つてゐるくせに
おもちやを遊んでゐらあとは何事だ
おもちやで遊べることだけが美徳であるぞ
おもちやで遊べたら遊んでみてくれ
おまえに遊べる筈はないのだ
おまへにはおもちやがどんなに見えるか
おもちやとしか見えないだろう
俺にはあのおもちやこのおもちやと、おもちやおもちやで面白いんぞ
おれはおもちや以外のことは考へてみたこともないぞ
おれはおもちやが面白かつたんだ
しかしそれかと云つておまへにはおもちや以外の何か面白いことといふのがあるのか
ありそうな顔はしとらんぞ
あると思ふのはそれや間違ひだ
北叟笑(にやあツ)とするのと面白いのとは違ふんぞ
ではおもちやを面白くしてくれなんぞと云ふんだろう
面白くなれあ儲かるんだといふんでな
では、ああ、それでは
やつぱり面白くはならない写字器械奴(め)!
――こんどは此のおもちやの此処(ここ)ンところをかう改良(なほ)して来い! トットといつて云つたやうにして来い!                      
(1934.2.)
(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより」

2009年9月25日 (金)

ダダのデザイン<16>玩具の賦・その4

「玩具の賦(昇平に)」を
献呈された大岡昇平が、
この詩について論評したことは
そう多くはありませんし、
したとしても詳しいものではなく、
作品論とまで言えるほどのものでは
ありません。

繰り返し取り上げてきましたが、
「道化の臨終」をきっかけに、
1934年の作品を論じ、
道化歌を論じた「中原中也・1」の中の、次の部分、

ただし「道化の臨終」はダダ的なのであって、ダダそのものではない。この作品が書かれた1934年はほかに「ピチベの哲学」(2月発表、新発見)、 「玩具の賦」(2月)、「狂気の手紙」(4月)、「お道化うた」(6月、これもほとんど確認された)、「秋岸清涼居士」(10月)、「星とピエロ」(12 月)など、同じ傾向の道化歌が集中している。

時間と空間、対象と人称を意識的に混乱さすことによって、異様な嘲笑的で歪んだ詩的空間を造り出しているので、出まかせを言うダダの技法が、長々しいくどきとなって一つの完成したスタイルに達する。

と、述べたくだりが、
「玩具の賦」に関する
唯一といってもよい「作品論」です。

ここでも、
「作品の内部」に立ち入って
詳しく論じられているわけではありませんが、
大岡昇平が全体重をかけて、
これらの作品を読み解いた結果があります。

このほかにも、
幾度か、
「玩具の賦」が引き合いにされることがあるのですが、
中でも、
「中原中也」所収の
「Ⅵ『中原中也全集』解説」の
「翻訳」の章の末尾に、

「全集刊行中に判明或いは訂正した伝記的事実」として
「玩具の賦」(昇平に)を
中原中也が「文学界」に送付した事実に関する
やや詳細な記述があるのには、
興味津々とさせられるものがあります。

ここに、それを
引用しておきます。

(以下、上掲書より引用)
 なお本全集刊行中判明或いは訂正した伝記的事実がある。その一つに「玩具の賦」(昇平に)を「文学界」に送附した件がある。これは私は知らなかったのであるが、「近代文学」が昭和35年10—11月に行った、私に関する座談会での、中村光夫の次の発言として文献になっていた。

 「『文学界』でぼくらが手伝っていた時分に(略)中原の詩が廻って来た。昇平のことを書いた詩なんです。喧嘩のあとで書いているんです」(戦後文学の批判と認識(7)「大岡昇平—その仕事と人間」<上>10月号)。昭和12年8月私が杉山平助と論争していた間のことで、私がそれを見て「今月はやられちゃったなあ」といったという。

 これを憶えていなければならないのは、無論私であった。私は無論この座談会は発表当時読んだのだが、私自身に記憶がなく、中村の証言のほかの部分に誤りがあったので、彼の勘違いと速断し、そのまま忘れてしまったのである。本全集編集中も思い出さなかった。文献は表題が私に関するものだったので、他の編者の探索もそこまで及ばず、一月前吉田凞生が偶然見附けたのであった。

 私がこの原稿を見たことは、いまだに思い出せずにいるし、小林秀雄も河上徹太郎も忘れている。しかし当時の「文学界」編集者式場俊三の記憶に残っており、原稿はやはり送られていたのである。

 ほぼ「玩具の賦」(昇平に)のままであろうが、中村は「昇平に」という題だったと覚えている。「秋岸清涼居士」に青山二郎宛の「月下の告白」があったように異文があったということが考えられるのである。前触れもなく、突然持って来たものであった。ただし式場の記憶では昭和12年ではなく、11年である。12年には河上徹太郎を中心とする「企劃委員会」ができていたので、自由に持ち込みはできなくなっていた。原稿は私には見せずに、小林と相談して不掲載としたという。

 私が見たか見ないかは中原に関しないが、彼の経歴にこういうやり方はほかに例がなく、私に対する害意はなみなみならぬものであったことが察せられる。

*漢数字を洋数字にしたり、1行空きを加えるなど、改めた箇所があります。(編者)

2009年9月10日 (木)

ダダのデザイン<15>玩具の賦・その3

どうにでもなれだよ、そんなこと
俺には、そんなこと、どうなったって構わないさ
どうせ、人間てのは、スキだらけなのさ
スキの方を減らそうなんて、チャンチャラおかしいよ
俺はスキの方を減らそうなんて思いもしないよ
スキじゃないところこそ、放りっぱなしにしているのさ
それで何が悪いもんか

「玩具の賦」のはじまりは
まっこうから対立するものの存在を
スキと、スキじゃないところ、という言い方で
いきなり、読者の前に
突きつけてきます。

1934年という年、
昇平こと大岡昇平は25歳で、
新聞社の社員でした。
詩人中原中也は27歳、
所帯持ちで
長男文也が生まれた年でした。

俺にはおもちゃが必要なんだ
おもちゃで遊ばなくちゃならないんだ

利権と幸福は追究すれば
だいたいは混ざって同じようなことになりそうだがね
だがね、究極では混ざりはしないよ
俺は、そこの、混ざらないところばかりを感じていなけりゃならなくなっているんだ

月給が増えるからといっておもちゃを投げ出したくはないのさ
俺にはおもちゃがよくわかっているんだ
おもちゃのつまらないところも知ってる

おもちゃがつまらなくたって
おもちゃをもてあそべればつまらなくはないんだ
俺にはおもちゃが投げ出せない
こっそりもてあそぶなんてこともできない
つまり、余技じゃないんだ

俺はおもちゃで遊ぶ
お前は月給で遊び給えだ
おもちゃで俺が遊んでいる時
あのおもちゃは私の月給の何分の一の値段だなんて言うのはいいけど
それで俺がおもちゃで遊ぶことに値段までつけたつもりにはなりなさんなよ
そりゃ滑稽だぞ

俺はおもちゃで遊ぶぞ
一生懸命おもちゃで遊ぶぞ

贅沢だなどと言いなさるなよ
俺ほどにお前にもおもちゃが見えたなら
お前もおもちゃで遊ぶに決まっているのだから
文句なぞ言うなよ

それどころか
お前はおもちゃを知っていないから
おもちゃでないことまで分からなくなっている

おもちゃでないことをただ暗記して
それで月給の糧なんぞにしてやがるんだ

だから、もし俺がおもちゃも買えなくなった時には
このコピー屋め!
言わずと知れたことだけど
お前が月給をもらっていることを贅沢だ、と言ってやるからな

行ったり来たりしかできないくせに
行っても行ってもまだ行くしかないおもちゃ遊びに対してさあ
何も文句言えるものなんてないのだぞ

おもちゃが面白くもないくせに
おもちゃを商うことしかできないくせに

おもちゃを面白く感じられる心があるからなりたっているくせに
おもちゃを遊んでいらあ、とは何事だ
おもちゃを遊んでいられることだけが美徳なんだぞ
おもちゃで遊べたら遊んでみてくれよ
お前に遊べるはずはない

お前にはおもちゃがどんなふうに見えるのか
おもちゃとしか見えておらんのだろ
俺には、あのおもちゃもこのおもちゃも、
ひとつひとつのおもちゃがおもちゃで面白いのだぞ

俺はおもちゃ以外のことは考えてみたこともないのだぞ
俺はおもちゃが面白かったのだ
しかしそれかといって、お前にはおもちゃ以外の何か面白いことがあるのかね
ありそうな顔はしとらんがな
あると思ったらそりゃ間違いだ
ニヤッとするのと面白いのとは違うのだ

じゃおもちゃを面白くしてくれなどと言うのだろ
面白くなれば儲かるとか言うんだろう
では、ああ、それでは……
やっぱり面白くならないコピー野郎め!

こんどはこのおもちゃのここのところをこう直してこい!
とっとと行って言ったようにしてこい!

 *
 玩具の賦
    昇平に

どうともなれだ
俺には何がどうでも構はない
どうせスキだらけぢやないか
スキの方を減(へら)さうなんてチャンチャラ可笑(をか)しい
俺はスキの方なぞ減らさうとは思はぬ
スキでない所をいつそ放りつぱなしにしてゐる
それで何がわるからう

俺にはおもちやが要るんだ
おもちやで遊ばなくちやならないんだ
利権と幸福とは大体は混(まざ)る
だが究極では混りはしない
俺は混ざらないとこばつかり感じてゐなけあならなくなつてるんだ
月給が増(ふ)えるからといつておもちやが投げ出したくはないんだ
俺にはおもちやがよく分つてるんだ
おもちやのつまらないとこも
おもちやがつまらなくもそれを弄(もてあそ)べることはつまらなくはないことも
俺にはおもちやが投げ出せないんだ
こつそり弄べもしないんだ
つまり余技ではないんだ
おれはおもちやで遊ぶぞ
おまへは月給で遊び給へだ
おもちやで俺が遊んでゐる時
あのおもちやは俺の月給の何分の一の値段だなぞと云ふはよいが
それでおれがおもちやで遊ぶことの値段まで決まつたつもりでゐるのは
滑稽だぞ
俺はおもちやで遊ぶぞ
一生懸命おもちやで遊ぶぞ
贅沢(ぜいたく)なぞとは云ひめさるなよ
おれ程おまへもおもちやが見えたら
おまへもおもちやで遊ぶに決つてゐるのだから
文句なぞを云ふなよ
それどころか
おまへはおもちやを知つてないから
おもちやでないことも分りはしない
おもちやでないことをただそらんじて
それで月給の種なんぞにしてやがるんだ
それゆゑもしも此(こ)の俺がおもちやも買へなくなった時には
写字器械奴(め)!
云はずと知れたこと乍(なが)ら
おまへが月給を取ることが贅沢だと云つてやるぞ
行つたり来たりしか出来ないくせに
行つても行つてもまだ行かうおもちや遊びに
何とか云へるものはないぞ
おもちやが面白くもないくせに
おもちやを商ふことしか出来ないくせに
おもちやを面白い心があるから成立つてゐるくせに
おもちやを遊んでゐらあとは何事だ
おもちやで遊べることだけが美徳であるぞ
おもちやで遊べたら遊んでみてくれ
おまえに遊べる筈はないのだ

おまへにはおもちやがどんなに見えるか
おもちやとしか見えないだろう
俺にはあのおもちやこのおもちやと、おもちやおもちやで面白いんぞ
おれはおもちや以外のことは考へてみたこともないぞ
おれはおもちやが面白かつたんだ
しかしそれかと云つておまへにはおもちや以外の何か面白いことといふのがあるのか
ありそうな顔はしとらんぞ
あると思ふのはそれや間違ひだ
北叟笑(にやあツ)とするのと面白いのとは違ふんぞ

ではおもちやを面白くしてくれなんぞと云ふんだろう
面白くなれあ儲かるんだといふんでな
では、ああ、それでは
やつぱり面白くはならない写字器械奴(め)!
――こんどは此のおもちやの此処(ここ)ンところをかう改良(なほ)して来い! トットといつて云つたやうにして来い!                      (1934.2.)

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより」

2009年9月 8日 (火)

ダダのデザイン<14>玩具の賦・その2

「玩具の賦」は、
大岡昇平の感性では
「道化歌」に分類されるのですが、
この詩は、
「昇平に」と献辞の付けられた
献呈詩でもあり、
なおかつ、
その献呈の相手が
大岡昇平本人であるという点に、
二重三重の意味はあり、
その意味を探っていくと、
さらに大きな意味が輝きはじめるような
構図が見えてくる
コアのような作品です。

とは、だれにも指摘されてはいないのですが
そう思うとますます
重大な作品であることがわかる作品です。

そもそも

時間と空間、対象と人称を意識的に混乱さすことによって、異様な嘲笑的で歪んだ詩的空間を造り出しているので、出まかせを言うダダの技法が、長々しいくどきとなって一つの完成したスタイルに達する。

と、大岡昇平が記したのは、
「道化歌」全般についての評言でしたが
「玩具の賦」を読んでみて、
そして、もう一度この評言を、
分解して、
丁寧に、

時間と空間、対象と人称を意識的に混乱さすことによって

異様な嘲笑的で歪んだ詩的空間を造り出しているので、

出まかせを言うダダの技法が、

長々しいくどきとなって

一つの完成したスタイルに達する。

と、読み返せば、
これは、「玩具の賦」についての
個別の評言としても
読み取れることがわかってきます。

大岡昇平は、
この評言のすぐ後で

多くの新発見の作品から見ると、ダダが彼が最も手足を伸び伸びと延ばせる環境であったこともたしかなようである。

と、中也のダダイズムについて
的確なコメントを加えるのですが、
道化歌に関する、この評言には、
さりげないようでありながら、
意図して体重がかけられていることが感じられてなりません。

意識的に混乱さす
異様で嘲笑的で歪んだ
出まかせを言う
長々しいくどき

などの、マイナスイメージの後で、
一つの完成したスタイルに達する、と、
道化歌に、
ことさら「玩具の賦」に、
肯定的な評価を与えたように受け取れるのです。

(この稿、つづく)

 *
 玩具の賦
    昇平に

どうともなれだ
俺には何がどうでも構はない
どうせスキだらけぢやないか
スキの方を減(へら)さうなんてチャンチャラ可笑(をか)しい
俺はスキの方なぞ減らさうとは思はぬ
スキでない所をいつそ放りつぱなしにしてゐる
それで何がわるからう

俺にはおもちやが要るんだ
おもちやで遊ばなくちやならないんだ
利権と幸福とは大体は混(まざ)る
だが究極では混りはしない
俺は混ざらないとこばつかり感じてゐなけあならなくなつてるんだ
月給が増(ふ)えるからといつておもちやが投げ出したくはないんだ
俺にはおもちやがよく分つてるんだ
おもちやのつまらないとこも
おもちやがつまらなくもそれを弄(もてあそ)べることはつまらなくはないことも
俺にはおもちやが投げ出せないんだ
こつそり弄べもしないんだ
つまり余技ではないんだ
おれはおもちやで遊ぶぞ
おまへは月給で遊び給へだ
おもちやで俺が遊んでゐる時
あのおもちやは俺の月給の何分の一の値段だなぞと云ふはよいが
それでおれがおもちやで遊ぶことの値段まで決まつたつもりでゐるのは
滑稽だぞ
俺はおもちやで遊ぶぞ
一生懸命おもちやで遊ぶぞ
贅沢(ぜいたく)なぞとは云ひめさるなよ
おれ程おまへもおもちやが見えたら
おまへもおもちやで遊ぶに決つてゐるのだから
文句なぞを云ふなよ
それどころか
おまへはおもちやを知つてないから
おもちやでないことも分りはしない
おもちやでないことをただそらんじて
それで月給の種なんぞにしてやがるんだ
それゆゑもしも此(こ)の俺がおもちやも買へなくなった時には
写字器械奴(め)!
云はずと知れたこと乍(なが)ら
おまへが月給を取ることが贅沢だと云つてやるぞ
行つたり来たりしか出来ないくせに
行つても行つてもまだ行かうおもちや遊びに
何とか云へるものはないぞ
おもちやが面白くもないくせに
おもちやを商ふことしか出来ないくせに
おもちやを面白い心があるから成立つてゐるくせに
おもちやを遊んでゐらあとは何事だ
おもちやで遊べることだけが美徳であるぞ
おもちやで遊べたら遊んでみてくれ
おまえに遊べる筈はないのだ

おまへにはおもちやがどんなに見えるか
おもちやとしか見えないだろう
俺にはあのおもちやこのおもちやと、おもちやおもちやで面白いんぞ
おれはおもちや以外のことは考へてみたこともないぞ
おれはおもちやが面白かつたんだ
しかしそれかと云つておまへにはおもちや以外の何か面白いことといふのがあるのか
ありそうな顔はしとらんぞ
あると思ふのはそれや間違ひだ
北叟笑(にやあツ)とするのと面白いのとは違ふんぞ

ではおもちやを面白くしてくれなんぞと云ふんだろう
面白くなれあ儲かるんだといふんでな
では、ああ、それでは
やつぱり面白くはならない写字器械奴(め)!
――こんどは此のおもちやの此処(ここ)ンところをかう改良(なほ)して来い! トットといつて云つたやうにして来い!                      (1934.2.)
(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより」

2009年9月 7日 (月)

ダダのデザイン<13>玩具の賦

大岡昇平は、
1974年(昭和49年)に刊行した
「中原中也」(角川書店)所収の「中原中也・1」で

ただし「道化の臨終」はダダ的なのであって、ダダそのものではない。この作品が書かれた1934年はほかに「ピチベの哲学」(2月発表、新発見)、 「玩具の賦」(2月)、「狂気の手紙」(4月)、「お道化うた」(6月、これもほとんど確認された)、「秋岸清涼居士」(10月)、「星とピエロ」(12 月)など、同じ傾向の道化歌が集中している。

時間と空間、対象と人称を意識的に混乱さすことによって、異様な嘲笑的で歪んだ詩的空間を造り出しているので、出まかせを言うダダの技法が、長々しいくどきとなって一つの完成したスタイルに達する。

一方あらゆる粉飾を捨て去ったような「骨」が書かれるのもこの狂燥の最中の4月28日である。
1年の後、「秋岸清涼居士」の凄惨な道化は、低温課程の中で、「含羞」の優雅な階調に転換される。 (略)

(略)多くの新発見の作品から見ると、ダダが彼が最も手足を伸び伸びと延ばせる環境であったこともたしかなようである。(略)

と書き、

「中原中也必携」(学燈社「別冊国文学NO4、1979夏季号」で
編著者・吉田凞生は、

昭和9年は「お道化うた」のような「道化」の作品が目立つ年である。

列挙すると、2月「ピチベの哲学」を「紀元」に発表、 4月「狂気の手紙」「骨」、 6月「道化の臨終」、 10月「秋岸清涼居士」「月下の告白」、 12月「星とピエロ」「誘蛾燈詠歌」を書くといった工合である。

「道化の臨終」は「Etude Dadaistique」と副題されていて、これらの詩の「お道化」が京都時代のダダイズムと結びついていることを思わせる。
あるいはこの昭和9年を第2の出発期と考えるべきかもしれない。

と、書きました。

大岡昇平は、「など」として、
全てではなく「例示」し、
吉田凞生は、「列挙すると」として
すべてをとりあげているようですが、
吉田凞生がとりあげず、
大岡昇平がとりあげている作品があります。

それは、
「昇平に」と献辞のある
「玩具の賦」で、
言うまでもなく、
この昇平とは、
大岡昇平のことです。

「玩具の賦」を加えると、
1934年の「道化の歌」のすべてということになり、
これを一覧すると
中原中也の
1934年という時点の
ダダイズムのデザインの全貌が
みえてきます。

 *
 玩具の賦
    昇平に

どうともなれだ
俺には何がどうでも構はない
どうせスキだらけぢやないか
スキの方を減(へら)さうなんてチャンチャラ可笑(をか)しい
俺はスキの方なぞ減らさうとは思はぬ
スキでない所をいつそ放りつぱなしにしてゐる
それで何がわるからう

俺にはおもちやが要るんだ
おもちやで遊ばなくちやならないんだ
利権と幸福とは大体は混(まざ)る
だが究極では混りはしない
俺は混ざらないとこばつかり感じてゐなけあならなくなつてるんだ
月給が増(ふ)えるからといつておもちやが投げ出したくはないんだ
俺にはおもちやがよく分つてるんだ
おもちやのつまらないとこも
おもちやがつまらなくもそれを弄(もてあそ)べることはつまらなくはないことも
俺にはおもちやが投げ出せないんだ
こつそり弄べもしないんだ
つまり余技ではないんだ
おれはおもちやで遊ぶぞ
おまへは月給で遊び給へだ
おもちやで俺が遊んでゐる時
あのおもちやは俺の月給の何分の一の値段だなぞと云ふはよいが
それでおれがおもちやで遊ぶことの値段まで決まつたつもりでゐるのは
滑稽だぞ
俺はおもちやで遊ぶぞ
一生懸命おもちやで遊ぶぞ
贅沢(ぜいたく)なぞとは云ひめさるなよ
おれ程おまへもおもちやが見えたら
おまへもおもちやで遊ぶに決つてゐるのだから
文句なぞを云ふなよ
それどころか
おまへはおもちやを知つてないから
おもちやでないことも分りはしない
おもちやでないことをただそらんじて
それで月給の種なんぞにしてやがるんだ
それゆゑもしも此(こ)の俺がおもちやも買へなくなった時には
写字器械奴(め)!
云はずと知れたこと乍(なが)ら
おまへが月給を取ることが贅沢だと云つてやるぞ
行つたり来たりしか出来ないくせに
行つても行つてもまだ行かうおもちや遊びに
何とか云へるものはないぞ
おもちやが面白くもないくせに
おもちやを商ふことしか出来ないくせに
おもちやを面白い心があるから成立つてゐるくせに
おもちやを遊んでゐらあとは何事だ
おもちやで遊べることだけが美徳であるぞ
おもちやで遊べたら遊んでみてくれ
おまえに遊べる筈はないのだ

おまへにはおもちやがどんなに見えるか
おもちやとしか見えないだろう
俺にはあのおもちやこのおもちやと、おもちやおもちやで面白いんぞ
おれはおもちや以外のことは考へてみたこともないぞ
おれはおもちやが面白かつたんだ
しかしそれかと云つておまへにはおもちや以外の何か面白いことといふのがあるのか
ありそうな顔はしとらんぞ
あると思ふのはそれや間違ひだ
北叟笑(にやあツ)とするのと面白いのとは違ふんぞ

ではおもちやを面白くしてくれなんぞと云ふんだろう
面白くなれあ儲かるんだといふんでな
では、ああ、それでは
やつぱり面白くはならない写字器械奴(め)!
――こんどは此のおもちやの此処(ここ)ンところをかう改良(なほ)して来い! トットといつて云つたやうにして来い!                      (1934.2.)
(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより」

2009年9月 4日 (金)

ダダのデザイン<12>星とピエロ

「星とピエロ」は
「ピチベの哲学」が、
発表された2月に、
遠くはない1934年のいつか、
制作された作品です。

この2作品は相似形であり、
兄弟のようなものであり、
どちらも道化の口振りです。
内容までしても
片や月、片や星、を
歌っています。

月の美しさを
「ピチベの哲学」は歌いましたが、
「星とピエロ」は、
星の偽物(にせもの)っぽさを歌うかのようです。
あれはな、空に吊るした銀紙ぢやよ、と。

が、そんなことを
詩人が言いたいわけではありません。
道化だから
そう言っているだけに過ぎません。
星が銀紙で出来ている、
と言えば、
人々は、馬鹿扱いするに決まっているから
わざと、そう言うのが道化です。

そんなこと
凡俗どもは、
考えてみたこともないだろ、
と言いたいのが道化です
詩人です。

この口振りは、
「道化の臨終」の口振りと
同じものです。

君ら想はないか、夜毎何処(どこ)かの海の沖に、
火を吹く龍がゐるかもしれぬと。
君ら想はないか、曠野(こうや)の果に、
夜毎姉妹の灯ともしてゐると。

と、想像力を欠いた凡俗を
挑発するかのように歌った詩人が
ここにもいます。

コチンコチンに堅い頭を
少し柔らかくして
想像の羽根を広げてみてはどうかね
キミ!

キミとは、
ここでは、学者共のことです。

ボール紙を剪(き)つて、それに銀紙を張る、
それを綱(あみ)か何かで、空に吊るし上げる、
するとそれが夜になつて、空の奥であのやうに
光るのぢや。

こう言って、
道化は、
非常識をひけらかし
学者共を挑発します。

銀河系とか
地球のほかにもっと大きな星があることを、
この道化は
知らないかのように
主張します。

(つづく)

 

 *
 星とピエロ

何、あれはな、空に吊るした銀紙ぢやよ
かう、ボール紙を剪(き)つて、それに銀紙を張る、
それを綱(あみ)か何かで、空に吊るし上げる、
するとそれが夜になつて、空の奥であのやうに
光るのぢや。分つたか、さもなけれあ空にあんあものはないのぢや

それあ学者共は、地球のほかにも地球があるなぞといふが
そんなことはみんなウソぢや、銀河系なぞといふのもあれは
女(をなご)共の帯に銀紙を擦(す)り付けたものに過ぎないのぢや
ぞろぞろと、だらしもない、遠くの方ぢやからええやうなものの
ぢやによつて、俺(わし)なざあ、遠くの方はてんきりみんぢやて

見ればこそ腹も立つ、腹が立てば怒りたうなるわい
それを怒らいでジツと我慢してをれば、神秘だのとも云ひたくなる
もともと神秘だのと云ふ連中(やつ)は、例の八ッ当りも出来ぬ弱虫ぢやで
誰怒るすぢもないとて、あんまり始末がよすぎる程の輩(やから)どもが
あんなこと発明をしよつたのぢやわい、分かつたらう

分からなければまだ教へてくれる、空の星が銀紙ぢやないといふても
銀でないものが銀のやうに光りはせぬ、青光りがするつてか
それや青光りもするぢやろう、銀紙ぢやから喃(なう)
向きによつては青光りすることもあるぢや、いや遠いつてか
遠いには正に遠いいが、それや吊し上げる時綱を途方もなう長うしたからのことぢや

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

 

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