ダダのデザイン<12>星とピエロ
「星とピエロ」は
「ピチベの哲学」が、
発表された2月に、
遠くはない1934年のいつか、
制作された作品です。
この2作品は相似形であり、
兄弟のようなものであり、
どちらも道化の口振りです。
内容までしても
片や月、片や星、を
歌っています。
月の美しさを
「ピチベの哲学」は歌いましたが、
「星とピエロ」は、
星の偽物(にせもの)っぽさを歌うかのようです。
あれはな、空に吊るした銀紙ぢやよ、と。
が、そんなことを
詩人が言いたいわけではありません。
道化だから
そう言っているだけに過ぎません。
星が銀紙で出来ている、
と言えば、
人々は、馬鹿扱いするに決まっているから
わざと、そう言うのが道化です。
そんなこと
凡俗どもは、
考えてみたこともないだろ、
と言いたいのが道化です
詩人です。
この口振りは、
「道化の臨終」の口振りと
同じものです。
君ら想はないか、夜毎何処(どこ)かの海の沖に、
火を吹く龍がゐるかもしれぬと。
君ら想はないか、曠野(こうや)の果に、
夜毎姉妹の灯ともしてゐると。
と、想像力を欠いた凡俗を
挑発するかのように歌った詩人が
ここにもいます。
コチンコチンに堅い頭を
少し柔らかくして
想像の羽根を広げてみてはどうかね
キミ!
キミとは、
ここでは、学者共のことです。
ボール紙を剪(き)つて、それに銀紙を張る、
それを綱(あみ)か何かで、空に吊るし上げる、
するとそれが夜になつて、空の奥であのやうに
光るのぢや。
こう言って、
道化は、
非常識をひけらかし
学者共を挑発します。
銀河系とか
地球のほかにもっと大きな星があることを、
この道化は
知らないかのように
主張します。
(つづく)
*
星とピエロ
何、あれはな、空に吊るした銀紙ぢやよ
かう、ボール紙を剪(き)つて、それに銀紙を張る、
それを綱(あみ)か何かで、空に吊るし上げる、
するとそれが夜になつて、空の奥であのやうに
光るのぢや。分つたか、さもなけれあ空にあんあものはないのぢや
それあ学者共は、地球のほかにも地球があるなぞといふが
そんなことはみんなウソぢや、銀河系なぞといふのもあれは
女(をなご)共の帯に銀紙を擦(す)り付けたものに過ぎないのぢや
ぞろぞろと、だらしもない、遠くの方ぢやからええやうなものの
ぢやによつて、俺(わし)なざあ、遠くの方はてんきりみんぢやて
見ればこそ腹も立つ、腹が立てば怒りたうなるわい
それを怒らいでジツと我慢してをれば、神秘だのとも云ひたくなる
もともと神秘だのと云ふ連中(やつ)は、例の八ッ当りも出来ぬ弱虫ぢやで
誰怒るすぢもないとて、あんまり始末がよすぎる程の輩(やから)どもが
あんなこと発明をしよつたのぢやわい、分かつたらう
分からなければまだ教へてくれる、空の星が銀紙ぢやないといふても
銀でないものが銀のやうに光りはせぬ、青光りがするつてか
それや青光りもするぢやろう、銀紙ぢやから喃(なう)
向きによつては青光りすることもあるぢや、いや遠いつてか
遠いには正に遠いいが、それや吊し上げる時綱を途方もなう長うしたからのことぢや
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
« ダダのデザイン<11>狂気の手紙 | トップページ | ダダのデザイン<13>玩具の賦 »
「0011中原中也のダダイズム詩」カテゴリの記事
- 「ノート1924」幻の処女詩集の世界<51>無題(緋のいろに心はなごみ)(2011.05.17)
- 「ノート1924」幻の処女詩集の世界<50>秋の日(2011.05.16)
- 「ノート1924」幻の処女詩集の世界<49>(かつては私も)(2011.05.15)
- 「ノート1924」幻の処女詩集の世界<48>(秋の日を歩み疲れて)(2011.05.14)
- 「ノート1924」幻の処女詩集の世界<47-2>無題(あゝ雲はさかしらに)(2011.05.12)
コメント