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2009年10月

2009年10月29日 (木)

ダダのデザイン<22>何無ダダ<3>番外編

何無 ダダ
足駄なく、傘なく
  青春は、降り込められて、

しょっぱなの3行にめぐり合い、
どこかで見覚えのある情景だと感じ、
ふと、その情景が

都会には♪
自殺する♪
若者が増えている♪

という歌詞ではじまる
井上陽水の「傘がない」を思い出す人は、
団塊の世代に限るものではなさそうです

行かなくちゃ♪
君に逢いに行かなくちゃ♪

このあたりで、
「傘がない」は
ラブソングとして聴かれ
若い人に広まっていったらしいのですが

「傘がない」に登場する「君」を、
中原中也の草稿作品である
(何無 ダダ)に出てくる
「色町の女」とかぶせて読むと
読みは、
一転し、
深まりをみせます。

自殺者の増加を報じる新聞を読んだけれど
ぼくに差し迫った問題は、
いま降り止まない雨であって、
君の所へ行こうにも
傘がなくて行けないんだ
この冷たい雨の中、
ぼくは、ますます、
君のことばかりを考えているよ
それはいけないことかな?

通常のラブソングなら
ここまで読むのが精一杯ですね

中也のダダ詩(何無 ダダ)の女を
「傘がない」の君に重ねると
ありきたりのラブソングは
陰翳に富んだ物語へと転回し、
まったく異なった貌を現しはじめます。

これは、
幻想かもしれません、
妄想かもしれませんから
その貌についての想像の翅(はね)を
ここで広げることは控えますが……

「傘がない」という状況の
誰しも経験する
ありふれた劇(ドラマ)と
青春のイメージを結びつけた
二つの「詩」に、
共通するものがあることは
間違いありません。

 *
 (何無 ダダ)
何無 ダダ
足駄なく、傘なく
  青春は、降り込められて、

水溜り、泡(あぶく)は
  のがれ、のがれゆく。

人よ、人生は、騒然たる沛雨(はいう)に似てゐる
  線香を、焚いて
       部屋にはゐるべきこと。

色町の女は愛嬌、
 この雨の、中でも挨拶をしてゐる
青い傘

  植木鉢も流れ、
    水盤も浮かみ、
 池の鯉はみな、逃げてゆく。

永遠に、雨の中、町外れ、出前持ちは猪突(ちよとつ)し、
        私は、足駄なく傘なく、
     茲(ここ)、部屋の中に香を焚いて、
 チウインガムも噛みたくはない。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

2009年10月26日 (月)

ダダのデザイン<21>何無ダダ<2>

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
ナンマイダナンマイダ
なもあみだぶつなもあみだぶつ
ナモアミダナモアミダ

「何無」については、
意味を追わないほうがよいでしょう

キリスト教の「アーメン」同様、
たどれば、深遠な意味がある語句のはずですが、
おまじないの言葉くらいにとらえておいて、
さほど、的外れではないでしょう。

オー、マイ、ゴッド!
ああ ダダよ!
ほどの感じ。

しかし、
この詩の内容は
陰惨で、
宗教的な響きすら感じさせます。

雨は降り止むことがなく、
履く物もなく、
傘もなく、
青春そのものが
ずぶ濡れになっちまった詩人は
茫然として、
水たまりの、あぶくが、
流れて行く様子を眺めています。

心の中まで
ビショビショに濡れているのに
健気な詩人は

人生は騒然たる沛雨に似ている
人生はザーザー降りの雨のようなものだ
だから、
線香を焚いて
部屋の中で
じっとしていなければならないことだってあるのさ
と、自ら励ますかのようです

詩人は、
歓楽の町にやってきて
雨にやられたのでしょうか
今しがた
青い傘をさした女が
通りに出て、
愛嬌を振りまいているのを目撃しました

大雨で、浸水した通りは
民家の植木鉢も水盤も流され
飼われていた鯉も流され、
出前持ちは
降りしきる雨の中を
走り抜けていきます

足駄というのは、
この場合、長靴か、
私は、
履く物もなく、
傘もなく、
こうして、
部屋の中で、
線香を焚いて
神妙にしているばかりで、
チューインガムも噛みたくないのです。

 *
 (何無 ダダ)
何無 ダダ
足駄なく、傘なく
  青春は、降り込められて、

水溜り、泡(あぶく)は
  のがれ、のがれゆく。

人よ、人生は、騒然たる沛雨(はいう)に似てゐる
  線香を、焚いて
       部屋にはゐるべきこと。

色町の女は愛嬌、
 この雨の、中でも挨拶をしてゐる
青い傘

  植木鉢も流れ、
    水盤も浮かみ、
 池の鯉はみな、逃げてゆく。

永遠に、雨の中、町外れ、出前持ちは猪突(ちよとつ)し、
        私は、足駄なく傘なく、
     茲(ここ)、部屋の中に香を焚いて、
 チウインガムも噛みたくはない。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

2009年10月24日 (土)

ダダのデザイン<20>何無ダダ

昭和9年、1934年という年の中原中也が
ダダに傾斜し、
多くの「道化歌」を作った、というのなら、
それまでの作品に
ダダイズムはなかったのだろうか、
という疑問が
当然、湧いて来ます。

「ダダ手帖(1923年―1924年)」や
「ノート1924(1924年―1928年)」に
収められている詩と
1934年に作られた詩との間に、
ダダイズム作品は作られていないのでしょうか。

大正15年、1926年に、
「朝の歌」を作って以後、
ダダイズムの詩は、
1934年の「道化歌」群が生まれるまで、
中原中也から
消え去ってしまったのでしょうか。

そこで、
「中原中也全詩集」(角川ソフィア文庫)の
目次を眺めてみますと、
すぐさま、
目に付くのは
「早大ノート(1930年―1937年)」の中の
(何無 ダダ)という作品です。

「早大ノート」には、
42篇の草稿・作品が収められていますが、
真ん中あたりに
(ポロリポロリと死んでいく)、
(疲れやつれた美しい顔よ)、
「死別の翌日」と、
弟・恰三の死を悼んだ詩が並び、
これらの詩から10篇ほど進んだところに
(何無 ダダ)はあります。

さらに後ろの方に
1936.10.1の日付をもつ
「酒場にて」(定稿)がありますから、
(何無 ダダ)は、
恰三が死んだ1931年(昭和6年)より後で
1936年よりも前に
作られた詩であることがわかります。

 *
 (何無 ダダ)

何無 ダダ
足駄なく、傘なく
  青春は、降り込められて、

水溜り、泡(あぶく)は
  のがれ、のがれゆく。

人よ、人生は、騒然たる沛雨(はいう)に似てゐる
  線香を、焚いて
       部屋にはゐるべきこと。

色町の女は愛嬌、
 この雨の、中でも挨拶をしてゐる
青い傘

  植木鉢も流れ、
    水盤も浮かみ、
 池の鯉はみな、逃げてゆく。

永遠に、雨の中、町外れ、出前持ちは猪突(ちよとつ)し、
        私は、足駄なく傘なく、
     茲(ここ)、部屋の中に香を焚いて、
 チウインガムも噛みたくはない。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

2009年10月16日 (金)

中也関連新刊情報

東京詩 藤村から宇多田まで

清岡智比古(著)

単行本(ソフトカバー):
436ページ
出版社:
左右社
ISBN-10: 4903500195
ISBN-13:
978-4903500195
発売日:
2009/10/20

〔内容紹介
石川啄木、与謝野晶子、金子光晴、中原中也から、
吉本隆明、谷川俊太郎、伊藤比呂美、
さらに松任谷由実、宇多田ヒカルまで。
東京を描いた56篇の詩のアンソロジー。
そして詩人の目を通した東京の変遷を解説する。

吉本隆明氏推薦
「詩人たちの東京をモチーフにした詩を
東京という都市の〈地誌〉として
作り出そうという試みである」      

(目次)

序 『新体詩抄』と藤村

Ⅰ 東京詩の出現

1 鉄道唱歌 大和田建樹
2 眠れる都 石川啄木
3 日比谷公園 岩野泡明
4 青服 清水橘村
5 暮色 三木露風
6 一握の砂 石川啄木
7 空しき日 与謝野晶子
8 再会 国木田独歩
9 夏の日のなまけもの 堀口大学
10 物理学校裏 島崎藤村
11 『赤光』/『あらたま』 斉藤茂吉
12 狂者の詩 高村光太郎
13 九段坂 与謝野晶子
14 『東京紅燈集』 吉井勇
15 第二の故郷 室生犀星
16 群衆の中を求めて歩く 萩原朔太郎
17 青猫 萩原朔太郎
18 日比谷 萩原恭次郎

Ⅱ 震災から大戦まで

19 東京哀傷詩篇(関東大震災に) 金子光晴
20 焦土の帝都 野口雨情
21 わが東京 岡本かの子
22 孤独な蛹 梶浦正之
23 橋の上の自画像 富永太郎
24 東京行進曲 西条八十
25 洒落男 坂井透
26 銀座の雨 田中冬二
27 ビルディング風景 植村諦
28 私の街よ、さらば 森山啓
29 お会式の夜 中原中也
30 帝国ホテル 中野重治
31 街の伊達男 耕治人
32 妹へおくる手紙 山之口獏
33 地下鉄 小熊秀雄

Ⅲ 戦後、そして二一世紀へ

34 昭和二十年八月十五日午後東京駅
正面降車場広場 及川均
35 消える焦土 岡本潤
36 ここは東京 三好達治
37 赤身の詩 東京の廃墟に 金子光晴
38 一九四五年秋Ⅱ 中桐雅夫
39 白痴 鮎川信夫
40 九月の風 黒田三郎
41 六月 吉野弘
42 佃渡しで 吉本隆明
43 東京環七 三木卓
44 終電車の風景 鈴木志郎康
45 中央フリーウェイ 松任谷由実
46 想い出はサンシャイン60で 山本博道
47 四ッ谷快晴 崔華国
48 神田讃歌 谷川俊太郎
49 小田急線喜多見駅周辺 伊藤比呂美
50 隣人の森へ 小長谷清美
51 水のまち 新井豊美
52 きみたちこそが与太者である 清水哲男
53 小さなアパートの階段から 木坂亮
54 SAUDI-ARABIAは遠い 川口晴美
55 東京の空 森原涼子
56 東京 NIGHTS 宇多田ヒカル

あとがきにかえて

補・「東京」の成立

2009年10月12日 (月)

ダダのデザイン<19>玩具の賦・その7

大岡昇平が
1988年という年の12月17日という日、
それは、中原中也が死去して50年の後で、
大岡昇平は79歳という年齢に達し、
死去する8日前のことになる日に、
口述した記録の一部が、
講談社文芸文庫「中原中也」の巻末付録で読めるのですが、

この口述記録「著者から読者へ『中原中也のこと』」は、
文庫のページでわずか6ページ弱ながら
大岡昇平という作家の
あくまで作家としての思いと
親友としての思いとが
ほとんど同心円で重なるように近づき、
もはや、
これをしか文学というしかない、
もはや、
これをしか人間の付き合いというしかない
と言えるような「ヒューマニティー」をさえ
感じさせるものになっていて、

あらためて、
大岡昇平を通じた中原中也と、
中原中也を通じた大岡昇平とを、
読み返してみたくなるように
衝き動かされるものになっています。

結論じみたことはさておき、
大岡昇平は、ここで、
中原中也を
「お前」「おまえさん」と呼びかけ、
自分を、
「俺」と呼び、
心は昭和初期にあり、
しかし、「レイテ戦記」を経験した現代人の眼差しで、
若き詩人に語りかけています。

中の一部に、
「玩具の賦(昇平に)」への言及はあります。
全文をぜひ読んでほしいことを願いますが、
ここに、
あたかも、口述の中途でありながら、
この記録の末尾となっている部分を
引用しておきます。

(同書338ページ)
 俺も中原中也では全集の編集の歩合とか、金が入る。戦後四十年たって、おまえについての伝記が、一番長いのは、大岡は中原のことを書いているのか、どんなことを書いているのかなというので読まれる。また戦争時代は、俺はスタンダールを訳していたけど、それで注目してたと言っている若い評論家もいる。おまえが偉くなくなっちゃ困るなんてこともないんだけど、おまえは俺に喧嘩を吹っかけて、俺が評論などでちょっと頭を出かけると「昇平に」(「玩具の賦」)という詩を書いたり、それを「文学界」に持ち込んだりした。おまえの方にも嫉妬(やきもち)がある。まあ俺に対する軽蔑を伴ってるが。俺 がひょっと頭を出かけるとおまえは出て来て、あいつは駄目な男だと言う。そういうことはあったので、まあお互いさまだと思ってくれ。
 しかし、死んでから、もう没後五十年で、おまえも印税が切れる。俺もこの三月で八十になってしまう。

 *
 玩具の賦
    昇平に
どうともなれだ
俺には何がどうでも構はない
どうせスキだらけぢやないか
スキの方を減(へら)さうなんてチャンチャラ可笑(をか)しい
俺はスキの方なぞ減らさうとは思はぬ
スキでない所をいつそ放りつぱなしにしてゐる
それで何がわるからう
俺にはおもちやが要るんだ
おもちやで遊ばなくちやならないんだ
利権と幸福とは大体は混(まざ)る
だが究極では混りはしない
俺は混ざらないとこばつかり感じてゐなけあならなくなつてるんだ
月給が増(ふ)えるからといつておもちやが投げ出したくはないんだ
俺にはおもちやがよく分つてるんだ
おもちやのつまらないとこも
おもちやがつまらなくもそれを弄(もてあそ)べることはつまらなくはないことも
俺にはおもちやが投げ出せないんだ
こつそり弄べもしないんだ
つまり余技ではないんだ
おれはおもちやで遊ぶぞ
おまへは月給で遊び給へだ
おもちやで俺が遊んでゐる時
あのおもちやは俺の月給の何分の一の値段だなぞと云ふはよいが
それでおれがおもちやで遊ぶことの値段まで決まつたつもりでゐるのは
滑稽だぞ
俺はおもちやで遊ぶぞ
一生懸命おもちやで遊ぶぞ
贅沢(ぜいたく)なぞとは云ひめさるなよ
おれ程おまへもおもちやが見えたら
おまへもおもちやで遊ぶに決つてゐるのだから
文句なぞを云ふなよ
それどころか
おまへはおもちやを知つてないから
おもちやでないことも分りはしない
おもちやでないことをただそらんじて
それで月給の種なんぞにしてやがるんだ
それゆゑもしも此(こ)の俺がおもちやも買へなくなった時には
写字器械奴(め)!
云はずと知れたこと乍(なが)ら
おまへが月給を取ることが贅沢だと云つてやるぞ
行つたり来たりしか出来ないくせに
行つても行つてもまだ行かうおもちや遊びに
何とか云へるものはないぞ
おもちやが面白くもないくせに
おもちやを商ふことしか出来ないくせに
おもちやを面白い心があるから成立つてゐるくせに
おもちやを遊んでゐらあとは何事だ
おもちやで遊べることだけが美徳であるぞ
おもちやで遊べたら遊んでみてくれ
おまえに遊べる筈はないのだ
おまへにはおもちやがどんなに見えるか
おもちやとしか見えないだろう
俺にはあのおもちやこのおもちやと、おもちやおもちやで面白いんぞ
おれはおもちや以外のことは考へてみたこともないぞ
おれはおもちやが面白かつたんだ
しかしそれかと云つておまへにはおもちや以外の何か面白いことといふのがあるのか
ありそうな顔はしとらんぞ
あると思ふのはそれや間違ひだ
北叟笑(にやあツ)とするのと面白いのとは違ふんぞ
ではおもちやを面白くしてくれなんぞと云ふんだろう
面白くなれあ儲かるんだといふんでな
では、ああ、それでは
やつぱり面白くはならない写字器械奴(め)!
――こんどは此のおもちやの此処(ここ)ンところをかう改良(なほ)して来い! トットといつて云つたやうにして来い!                      
(1934.2.)
(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより」

2009年10月11日 (日)

中也関連新刊情報

中原中也私論
中村稔 著

価格: ¥2,940 (税込)

単行本
出版社:思想社
発売日: 2009/10/13
ISBN: 4783716560

2009年10月10日 (土)

ダダのデザイン<18>「玩具の賦」・その6

「中原中也」所収の
「Ⅵ『中原中也全集』解説」の
「翻訳」の章で、
大岡昇平は、
「玩具の賦(昇平に)」という作品には
異文(バリアント)があり、
それが、1937年、
「文学界」へ持ち込まれたが、
河上徹太郎ら当時の企画委員会は
不掲載と決めた、という
「全集刊行中に判明或いは訂正した伝記的事実」を
記しました。

そして、この記事を、

 私が見たか見ないかは中原に関しないが、彼の経歴にこういうやり方はほかに例がなく、私に対する害意はなみなみならぬものであったことが察せられる。

と、結びました。

「害意」とは、
同人誌「白痴群」の解散の
きっかけとなった
中原中也と大岡昇平の喧嘩以来、
生涯にわたって
中原中也が大岡昇平に抱いていた
と、大岡昇平が感じ取った
悪感情のことです。
大岡は、
これを「害意」と表現したのです。

このことが記された
「中原中也全集・翻訳・解説」の初出は、
1968年4月ですが、
この時よりずっと後の1988年に
大岡昇平が、再び、
同じようなことを発言しているのを知るとき
おおきな驚きを感じるとともに
感動といってよいものを覚えます。

同じことが記されているのは
講談社文芸文庫の「中原中也」の中の
「著者から読者へ『中原中也のこと』」という項です。

この文章は、
書き原稿ではなく、
入院中の順天堂医院での口述筆記で、
この口述の8日後に
大岡昇平は他界したことが
同文庫編集部により注釈されています。

中原中也に関する
大岡昇平最後の発言ということで
極めて注目されるものなのですが
その内容の一部で
「玩具の賦(昇平に)」に言及しているという事実に
大岡昇平という作家の内部に
終生、この「事件」の占めていたであろう大きさが
物語られていて
思わず、身を乗り出さずにはいられません。

 *
 玩具の賦

    昇平に

どうともなれだ
俺には何がどうでも構はない

どうせスキだらけぢやないか

スキの方を減(へら)さうなんてチャンチャラ可笑(をか)しい

俺はスキの方なぞ減らさうとは思はぬ

スキでない所をいつそ放りつぱなしにしてゐる

それで何がわるからう

俺にはおもちやが要るんだ
おもちやで遊ばなくちやならないんだ

利権と幸福とは大体は混(まざ)る

だが究極では混りはしない

俺は混ざらないとこばつかり感じてゐなけあならなくなつてるんだ

月給が増(ふ)えるからといつておもちやが投げ出したくはないんだ

俺にはおもちやがよく分つてるんだ

おもちやのつまらないとこも

おもちやがつまらなくもそれを弄(もてあそ)べることはつまらなくはないことも

俺にはおもちやが投げ出せないんだ

こつそり弄べもしないんだ

つまり余技ではないんだ

おれはおもちやで遊ぶぞ

おまへは月給で遊び給へだ

おもちやで俺が遊んでゐる時

あのおもちやは俺の月給の何分の一の値段だなぞと云ふはよいが

それでおれがおもちやで遊ぶことの値段まで決まつたつもりでゐるのは

滑稽だぞ

俺はおもちやで遊ぶぞ

一生懸命おもちやで遊ぶぞ

贅沢(ぜいたく)なぞとは云ひめさるなよ

おれ程おまへもおもちやが見えたら

おまへもおもちやで遊ぶに決つてゐるのだから

文句なぞを云ふなよ

それどころか

おまへはおもちやを知つてないから

おもちやでないことも分りはしない

おもちやでないことをただそらんじて

それで月給の種なんぞにしてやがるんだ

それゆゑもしも此(こ)の俺がおもちやも買へなくなった時には

写字器械奴(め)!

云はずと知れたこと乍(なが)ら

おまへが月給を取ることが贅沢だと云つてやるぞ

行つたり来たりしか出来ないくせに

行つても行つてもまだ行かうおもちや遊びに

何とか云へるものはないぞ

おもちやが面白くもないくせに

おもちやを商ふことしか出来ないくせに

おもちやを面白い心があるから成立つてゐるくせに

おもちやを遊んでゐらあとは何事だ

おもちやで遊べることだけが美徳であるぞ

おもちやで遊べたら遊んでみてくれ
おまえに遊べる筈はないのだ

おまへにはおもちやがどんなに見えるか
おもちやとしか見えないだろう

俺にはあのおもちやこのおもちやと、おもちやおもちやで面白いんぞ

おれはおもちや以外のことは考へてみたこともないぞ

おれはおもちやが面白かつたんだ

しかしそれかと云つておまへにはおもちや以外の何か面白いことといふのがあるのか

ありそうな顔はしとらんぞ

あると思ふのはそれや間違ひだ

北叟笑(にやあツ)とするのと面白いのとは違ふんぞ

ではおもちやを面白くしてくれなんぞと云ふんだろう
面白くなれあ儲かるんだといふんでな

では、ああ、それでは

やつぱり面白くはならない写字器械奴(め)!

――こんどは此のおもちやの此処(ここ)ンところをかう改良(なほ)して来い! トットといつて云つたやうにして来い!                      

(1934.2.)
(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより」

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