ダダのデザイン<22>何無ダダ<3>番外編
何無 ダダ
足駄なく、傘なく
青春は、降り込められて、
しょっぱなの3行にめぐり合い、
どこかで見覚えのある情景だと感じ、
ふと、その情景が
都会には♪
自殺する♪
若者が増えている♪
という歌詞ではじまる
井上陽水の「傘がない」を思い出す人は、
団塊の世代に限るものではなさそうです
行かなくちゃ♪
君に逢いに行かなくちゃ♪
このあたりで、
「傘がない」は
ラブソングとして聴かれ
若い人に広まっていったらしいのですが
「傘がない」に登場する「君」を、
中原中也の草稿作品である
(何無 ダダ)に出てくる
「色町の女」とかぶせて読むと
読みは、
一転し、
深まりをみせます。
自殺者の増加を報じる新聞を読んだけれど
ぼくに差し迫った問題は、
いま降り止まない雨であって、
君の所へ行こうにも
傘がなくて行けないんだ
この冷たい雨の中、
ぼくは、ますます、
君のことばかりを考えているよ
それはいけないことかな?
通常のラブソングなら
ここまで読むのが精一杯ですね
中也のダダ詩(何無 ダダ)の女を
「傘がない」の君に重ねると
ありきたりのラブソングは
陰翳に富んだ物語へと転回し、
まったく異なった貌を現しはじめます。
これは、
幻想かもしれません、
妄想かもしれませんから
その貌についての想像の翅(はね)を
ここで広げることは控えますが……
「傘がない」という状況の
誰しも経験する
ありふれた劇(ドラマ)と
青春のイメージを結びつけた
二つの「詩」に、
共通するものがあることは
間違いありません。
*
(何無 ダダ)
何無 ダダ
足駄なく、傘なく
青春は、降り込められて、
水溜り、泡(あぶく)は
のがれ、のがれゆく。
人よ、人生は、騒然たる沛雨(はいう)に似てゐる
線香を、焚いて
部屋にはゐるべきこと。
色町の女は愛嬌、
この雨の、中でも挨拶をしてゐる
青い傘
植木鉢も流れ、
水盤も浮かみ、
池の鯉はみな、逃げてゆく。
永遠に、雨の中、町外れ、出前持ちは猪突(ちよとつ)し、
私は、足駄なく傘なく、
茲(ここ)、部屋の中に香を焚いて、
チウインガムも噛みたくはない。
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
最近のコメント