ダダのデザイン<18>「玩具の賦」・その6
「中原中也」所収の
「Ⅵ『中原中也全集』解説」の
「翻訳」の章で、
大岡昇平は、
「玩具の賦(昇平に)」という作品には
異文(バリアント)があり、
それが、1937年、
「文学界」へ持ち込まれたが、
河上徹太郎ら当時の企画委員会は
不掲載と決めた、という
「全集刊行中に判明或いは訂正した伝記的事実」を
記しました。
そして、この記事を、
私が見たか見ないかは中原に関しないが、彼の経歴にこういうやり方はほかに例がなく、私に対する害意はなみなみならぬものであったことが察せられる。
と、結びました。
「害意」とは、
同人誌「白痴群」の解散の
きっかけとなった
中原中也と大岡昇平の喧嘩以来、
生涯にわたって
中原中也が大岡昇平に抱いていた
と、大岡昇平が感じ取った
悪感情のことです。
大岡は、
これを「害意」と表現したのです。
このことが記された
「中原中也全集・翻訳・解説」の初出は、
1968年4月ですが、
この時よりずっと後の1988年に
大岡昇平が、再び、
同じようなことを発言しているのを知るとき
おおきな驚きを感じるとともに
感動といってよいものを覚えます。
同じことが記されているのは
講談社文芸文庫の「中原中也」の中の
「著者から読者へ『中原中也のこと』」という項です。
この文章は、
書き原稿ではなく、
入院中の順天堂医院での口述筆記で、
この口述の8日後に
大岡昇平は他界したことが
同文庫編集部により注釈されています。
中原中也に関する
大岡昇平最後の発言ということで
極めて注目されるものなのですが
その内容の一部で
「玩具の賦(昇平に)」に言及しているという事実に
大岡昇平という作家の内部に
終生、この「事件」の占めていたであろう大きさが
物語られていて
思わず、身を乗り出さずにはいられません。
*
玩具の賦
昇平に
どうともなれだ
俺には何がどうでも構はない
どうせスキだらけぢやないか
スキの方を減(へら)さうなんてチャンチャラ可笑(をか)しい
俺はスキの方なぞ減らさうとは思はぬ
スキでない所をいつそ放りつぱなしにしてゐる
それで何がわるからう
俺にはおもちやが要るんだ
おもちやで遊ばなくちやならないんだ
利権と幸福とは大体は混(まざ)る
だが究極では混りはしない
俺は混ざらないとこばつかり感じてゐなけあならなくなつてるんだ
月給が増(ふ)えるからといつておもちやが投げ出したくはないんだ
俺にはおもちやがよく分つてるんだ
おもちやのつまらないとこも
おもちやがつまらなくもそれを弄(もてあそ)べることはつまらなくはないことも
俺にはおもちやが投げ出せないんだ
こつそり弄べもしないんだ
つまり余技ではないんだ
おれはおもちやで遊ぶぞ
おまへは月給で遊び給へだ
おもちやで俺が遊んでゐる時
あのおもちやは俺の月給の何分の一の値段だなぞと云ふはよいが
それでおれがおもちやで遊ぶことの値段まで決まつたつもりでゐるのは
滑稽だぞ
俺はおもちやで遊ぶぞ
一生懸命おもちやで遊ぶぞ
贅沢(ぜいたく)なぞとは云ひめさるなよ
おれ程おまへもおもちやが見えたら
おまへもおもちやで遊ぶに決つてゐるのだから
文句なぞを云ふなよ
それどころか
おまへはおもちやを知つてないから
おもちやでないことも分りはしない
おもちやでないことをただそらんじて
それで月給の種なんぞにしてやがるんだ
それゆゑもしも此(こ)の俺がおもちやも買へなくなった時には
写字器械奴(め)!
云はずと知れたこと乍(なが)ら
おまへが月給を取ることが贅沢だと云つてやるぞ
行つたり来たりしか出来ないくせに
行つても行つてもまだ行かうおもちや遊びに
何とか云へるものはないぞ
おもちやが面白くもないくせに
おもちやを商ふことしか出来ないくせに
おもちやを面白い心があるから成立つてゐるくせに
おもちやを遊んでゐらあとは何事だ
おもちやで遊べることだけが美徳であるぞ
おもちやで遊べたら遊んでみてくれ
おまえに遊べる筈はないのだ
おまへにはおもちやがどんなに見えるか
おもちやとしか見えないだろう
俺にはあのおもちやこのおもちやと、おもちやおもちやで面白いんぞ
おれはおもちや以外のことは考へてみたこともないぞ
おれはおもちやが面白かつたんだ
しかしそれかと云つておまへにはおもちや以外の何か面白いことといふのがあるのか
ありそうな顔はしとらんぞ
あると思ふのはそれや間違ひだ
北叟笑(にやあツ)とするのと面白いのとは違ふんぞ
ではおもちやを面白くしてくれなんぞと云ふんだろう
面白くなれあ儲かるんだといふんでな
では、ああ、それでは
やつぱり面白くはならない写字器械奴(め)!
――こんどは此のおもちやの此処(ここ)ンところをかう改良(なほ)して来い! トットといつて云つたやうにして来い!
(1934.2.)
(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより」
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