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2009年10月26日 (月)

ダダのデザイン<21>何無ダダ<2>

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
ナンマイダナンマイダ
なもあみだぶつなもあみだぶつ
ナモアミダナモアミダ

「何無」については、
意味を追わないほうがよいでしょう

キリスト教の「アーメン」同様、
たどれば、深遠な意味がある語句のはずですが、
おまじないの言葉くらいにとらえておいて、
さほど、的外れではないでしょう。

オー、マイ、ゴッド!
ああ ダダよ!
ほどの感じ。

しかし、
この詩の内容は
陰惨で、
宗教的な響きすら感じさせます。

雨は降り止むことがなく、
履く物もなく、
傘もなく、
青春そのものが
ずぶ濡れになっちまった詩人は
茫然として、
水たまりの、あぶくが、
流れて行く様子を眺めています。

心の中まで
ビショビショに濡れているのに
健気な詩人は

人生は騒然たる沛雨に似ている
人生はザーザー降りの雨のようなものだ
だから、
線香を焚いて
部屋の中で
じっとしていなければならないことだってあるのさ
と、自ら励ますかのようです

詩人は、
歓楽の町にやってきて
雨にやられたのでしょうか
今しがた
青い傘をさした女が
通りに出て、
愛嬌を振りまいているのを目撃しました

大雨で、浸水した通りは
民家の植木鉢も水盤も流され
飼われていた鯉も流され、
出前持ちは
降りしきる雨の中を
走り抜けていきます

足駄というのは、
この場合、長靴か、
私は、
履く物もなく、
傘もなく、
こうして、
部屋の中で、
線香を焚いて
神妙にしているばかりで、
チューインガムも噛みたくないのです。

 *
 (何無 ダダ)
何無 ダダ
足駄なく、傘なく
  青春は、降り込められて、

水溜り、泡(あぶく)は
  のがれ、のがれゆく。

人よ、人生は、騒然たる沛雨(はいう)に似てゐる
  線香を、焚いて
       部屋にはゐるべきこと。

色町の女は愛嬌、
 この雨の、中でも挨拶をしてゐる
青い傘

  植木鉢も流れ、
    水盤も浮かみ、
 池の鯉はみな、逃げてゆく。

永遠に、雨の中、町外れ、出前持ちは猪突(ちよとつ)し、
        私は、足駄なく傘なく、
     茲(ここ)、部屋の中に香を焚いて、
 チウインガムも噛みたくはない。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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