ダダのデザイン<19>玩具の賦・その7
大岡昇平が
1988年という年の12月17日という日、
それは、中原中也が死去して50年の後で、
大岡昇平は79歳という年齢に達し、
死去する8日前のことになる日に、
口述した記録の一部が、
講談社文芸文庫「中原中也」の巻末付録で読めるのですが、
この口述記録「著者から読者へ『中原中也のこと』」は、
文庫のページでわずか6ページ弱ながら
大岡昇平という作家の
あくまで作家としての思いと
親友としての思いとが
ほとんど同心円で重なるように近づき、
もはや、
これをしか文学というしかない、
もはや、
これをしか人間の付き合いというしかない
と言えるような「ヒューマニティー」をさえ
感じさせるものになっていて、
あらためて、
大岡昇平を通じた中原中也と、
中原中也を通じた大岡昇平とを、
読み返してみたくなるように
衝き動かされるものになっています。
結論じみたことはさておき、
大岡昇平は、ここで、
中原中也を
「お前」「おまえさん」と呼びかけ、
自分を、
「俺」と呼び、
心は昭和初期にあり、
しかし、「レイテ戦記」を経験した現代人の眼差しで、
若き詩人に語りかけています。
中の一部に、
「玩具の賦(昇平に)」への言及はあります。
全文をぜひ読んでほしいことを願いますが、
ここに、
あたかも、口述の中途でありながら、
この記録の末尾となっている部分を
引用しておきます。
(同書338ページ)
俺も中原中也では全集の編集の歩合とか、金が入る。戦後四十年たって、おまえについての伝記が、一番長いのは、大岡は中原のことを書いているのか、どんなことを書いているのかなというので読まれる。また戦争時代は、俺はスタンダールを訳していたけど、それで注目してたと言っている若い評論家もいる。おまえが偉くなくなっちゃ困るなんてこともないんだけど、おまえは俺に喧嘩を吹っかけて、俺が評論などでちょっと頭を出かけると「昇平に」(「玩具の賦」)という詩を書いたり、それを「文学界」に持ち込んだりした。おまえの方にも嫉妬(やきもち)がある。まあ俺に対する軽蔑を伴ってるが。俺 がひょっと頭を出かけるとおまえは出て来て、あいつは駄目な男だと言う。そういうことはあったので、まあお互いさまだと思ってくれ。
しかし、死んでから、もう没後五十年で、おまえも印税が切れる。俺もこの三月で八十になってしまう。
*
玩具の賦
昇平に
どうともなれだ
俺には何がどうでも構はない
どうせスキだらけぢやないか
スキの方を減(へら)さうなんてチャンチャラ可笑(をか)しい
俺はスキの方なぞ減らさうとは思はぬ
スキでない所をいつそ放りつぱなしにしてゐる
それで何がわるからう
俺にはおもちやが要るんだ
おもちやで遊ばなくちやならないんだ
利権と幸福とは大体は混(まざ)る
だが究極では混りはしない
俺は混ざらないとこばつかり感じてゐなけあならなくなつてるんだ
月給が増(ふ)えるからといつておもちやが投げ出したくはないんだ
俺にはおもちやがよく分つてるんだ
おもちやのつまらないとこも
おもちやがつまらなくもそれを弄(もてあそ)べることはつまらなくはないことも
俺にはおもちやが投げ出せないんだ
こつそり弄べもしないんだ
つまり余技ではないんだ
おれはおもちやで遊ぶぞ
おまへは月給で遊び給へだ
おもちやで俺が遊んでゐる時
あのおもちやは俺の月給の何分の一の値段だなぞと云ふはよいが
それでおれがおもちやで遊ぶことの値段まで決まつたつもりでゐるのは
滑稽だぞ
俺はおもちやで遊ぶぞ
一生懸命おもちやで遊ぶぞ
贅沢(ぜいたく)なぞとは云ひめさるなよ
おれ程おまへもおもちやが見えたら
おまへもおもちやで遊ぶに決つてゐるのだから
文句なぞを云ふなよ
それどころか
おまへはおもちやを知つてないから
おもちやでないことも分りはしない
おもちやでないことをただそらんじて
それで月給の種なんぞにしてやがるんだ
それゆゑもしも此(こ)の俺がおもちやも買へなくなった時には
写字器械奴(め)!
云はずと知れたこと乍(なが)ら
おまへが月給を取ることが贅沢だと云つてやるぞ
行つたり来たりしか出来ないくせに
行つても行つてもまだ行かうおもちや遊びに
何とか云へるものはないぞ
おもちやが面白くもないくせに
おもちやを商ふことしか出来ないくせに
おもちやを面白い心があるから成立つてゐるくせに
おもちやを遊んでゐらあとは何事だ
おもちやで遊べることだけが美徳であるぞ
おもちやで遊べたら遊んでみてくれ
おまえに遊べる筈はないのだ
おまへにはおもちやがどんなに見えるか
おもちやとしか見えないだろう
俺にはあのおもちやこのおもちやと、おもちやおもちやで面白いんぞ
おれはおもちや以外のことは考へてみたこともないぞ
おれはおもちやが面白かつたんだ
しかしそれかと云つておまへにはおもちや以外の何か面白いことといふのがあるのか
ありそうな顔はしとらんぞ
あると思ふのはそれや間違ひだ
北叟笑(にやあツ)とするのと面白いのとは違ふんぞ
ではおもちやを面白くしてくれなんぞと云ふんだろう
面白くなれあ儲かるんだといふんでな
では、ああ、それでは
やつぱり面白くはならない写字器械奴(め)!
――こんどは此のおもちやの此処(ここ)ンところをかう改良(なほ)して来い! トットといつて云つたやうにして来い!
(1934.2.)
(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより」
« 中也関連新刊情報 | トップページ | 中也関連新刊情報 »
「0011中原中也のダダイズム詩」カテゴリの記事
- 「ノート1924」幻の処女詩集の世界<51>無題(緋のいろに心はなごみ)(2011.05.17)
- 「ノート1924」幻の処女詩集の世界<50>秋の日(2011.05.16)
- 「ノート1924」幻の処女詩集の世界<49>(かつては私も)(2011.05.15)
- 「ノート1924」幻の処女詩集の世界<48>(秋の日を歩み疲れて)(2011.05.14)
- 「ノート1924」幻の処女詩集の世界<47-2>無題(あゝ雲はさかしらに)(2011.05.12)
はじめまして。ももと申します。中原中也が大好きで、いまは、影響を受けたと言われているランボーの詩(堀口大學訳)をよんでます。
もうご存じかもしれませんが、中原中也の書簡や、生前の言葉だけをまとめた本が、たのしかったです。
『おれ、いちろう』
↑子供の頃の口癖だそうです。
微笑ましく感じました。
まっすぐな瞳。
物事の形にとらわれず、本質をとらえる、みごとなみずみずしい感性に脱帽するばかりです。
投稿: もも | 2009年10月13日 (火) 01時03分
『おれ、いちろう』って、はじめて会うひとごとに、自己紹介してたのですね。成人して、「中原中也です」と名乗る詩人のイメージとつながりますよ。いいこと、教えてくれました。ズバリ!ですね。
投稿: 合地 | 2009年10月14日 (水) 09時46分