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2009年11月11日 (水)

ダダのデザイン<23>「朝の歌」前後

ダダイズムとは何か
中原中也のダダイズム詩とは何か
……

学問くさい問いは
あえて排して、
(何無 ダダ)は、
中原中也が、
「ダダ」と表現しているのだから
ダダの詩、
と認める以外にありません。

これが作られたのは、
1931年(昭和6年)から1936年の間でしたが、
何年と特定できるものではなく、
「道化歌」が集中して作られた
1934年(昭和9年)の作品のグループと
同じ流れに入れて間違いはないことでしょう。

中原中也は、
1934年以降も、
「道化歌」と呼んでよい詩を数多く書きますが、

そのあたりの事情は、
たとえば、
昭和11年4月12日付けで
松田利勝という人に宛てた手紙の中に、
「毎月ダダの詩を発表するのにも疲れ 田舎へでも引込みたいと年中空想してゐます」
などと記していることと
考え合わせて汲み取ることができるなら、

大岡昇平らが「道化歌」と呼んだ詩と
ダダイズムの詩は
同じものであることが
了解できます。

このようにして、
1934年(昭和9年)以後に
多量に現れる「道化歌」を
ダダイズムの詩とするならば、

こんどは、
「朝の歌」が作られた
1927年(大正15年)以後に
それまで盛んに作られていた
ダダイズムの詩は
中原中也から
忽然(こつぜん)と消えてしまったのか、
という疑問へと焦点は移動します。

 *
 (何無 ダダ)
何無 ダダ
足駄なく、傘なく
  青春は、降り込められて、

水溜り、泡(あぶく)は
  のがれ、のがれゆく。

人よ、人生は、騒然たる沛雨(はいう)に似てゐる
  線香を、焚いて
       部屋にはゐるべきこと。

色町の女は愛嬌、
 この雨の、中でも挨拶をしてゐる
青い傘

  植木鉢も流れ、
    水盤も浮かみ、
 池の鯉はみな、逃げてゆく。

永遠に、雨の中、町外れ、出前持ちは猪突(ちよとつ)し、
        私は、足駄なく傘なく、
     茲(ここ)、部屋の中に香を焚いて、
 チウインガムも噛みたくはない。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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