ダダのデザイン<26>「朝の歌」のダダ
大岡昇平の次の記述、
「土手づたひ きえてゆく」という比喩は再びわかりにくいが、恐らくここで我々を焦立ちから救うものは、「土手づたひ」という俗にして稚拙な成句である。
は、
「朝の歌」の詩句を
一字一句味わった挙句に、
「土手づたひ」という用語を
「俗にして稚拙な成句」と断じ、
さらに、
少年時から我々に馴染深いこういう句を、中原はダダの時代から慣用していたから、お経の文句が坊主の口から出て来るように、すぐ筆に乗って来たに相違ない。
と、
解釈してみせます。
「土手づたひ」という語句は、
完成の域に達していた
ソネット文語七語調にしっくりとは馴染まない。
それは、
中原中也が
京都時代に身に着けた
ダダの癖を現したものだ
坊主がお経の文句を吐き出すような
習慣が
ついつい口をついて出たものに違いない
と、
断定するのですが、
さらに加えて、
そして中原はその誇称する「手間」にも拘らずそういう風に出て来た句を、推敲で圧し殺した形跡はない。むしろ自分の独創のしるしとして、そのまま「破格」として詩の中に残すことを、彼の中の隠れた力が命じたに違いないのである。
と、
結論するところの
優れて深い洞察を
見逃してはなりません。
簡単に要約すれば
「土手づたひ」という詩句の選択は、
詩人が「よかれ!」と自己に命じた方法、
破格という意識された方法であった、
と、
大岡昇平は言っているのであります。
「彼の中の隠れた力が命じたに違いない」
というのは、
ダダと言われても構うものか、
と命じるものが
詩人の心の中にあったのだ、
ということを言っているのです。
このことを
消極的に
「ダダの痕跡」というのなら
それは
「痕跡」には違いありませんが
積極的になれば
「ダダのデザイン」と
捕らえなおすことは可能ではありませんか。
大岡昇平は
この「朝の歌」から
10数年を経た1969年に、
「中原中也・1」(「季刊芸術」第9号)を発表し、
中原中也のダダイスムを考察するのですが、
そこでも
最後は
「しかしこれらはもっと慎重に検討すべき問題である。」
と筆を置きます。
ついに
結論を出さなかったのですが、
中原中也自身が
ダダイズムを否定したことがなかったことを
否定することはなく、
「朝の歌」の中に
ダダを嗅ぎ出す
法律家のような感性でもって、
「中原の思考はダダ的方向において、最も自由に働くことが一貫して認められる」
と、
中原中也のダダイズムを
認めているのです。
*
朝の歌
天井に 朱(あか)きいろいで
戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
手にてなす なにごともなし。
小鳥らの うたはきこえず
空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
諫(いさ)めする なにものもなし。
樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな
ひろごりて たひらかの空、
土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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