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2009年12月15日 (火)

1931年の詩篇<1>(われ等のヂェネレーションには仕事がない)<その2>

20091028_010

 

(われ等のヂェネレーションには仕事がない)は、
完成した作品ではないので
鑑賞したり、
味わったりというものでもありませんが、

中原の思考はダダ的方向において、最も自由に働くことが一貫して認められる

と記す、
大岡昇平の洞察に従って読んでみれば、
また、楽しからずや!
でありまして、

中原中也という詩人は、
カドリールも
回虫も
蜻蛉も猫も
旅順も
リンカーンも
陪臣も
ゴムまりも
煙突も…

どんなことでも
題材にしたのですし、
どんなことも歌ったのですし、
どんな制約もなく
自由に歌うことを、
ダダで見つけたのです。

詩人が生活する範囲の
何物にも
感じようとしたのですし
感じられないものに取り囲まれては
悲鳴をあげました。

1931年は、
満州事変が起きた年です。

戦争へ戦争へと突き進んでいく時代であり、
東北、北海道は
凶作、飢饉に見舞われ、
都会は、
大学は出たけれど、
就職口が見つからない
若者が多量にいましたし、
若者ばかりか、
一家を背負う所帯持ちにも
失業者があふれた時代でしたし、
自殺者のニュースも、
詩人の耳に入りました

この詩篇が書かれたころ、
ある友人宛に
次のような手紙を出しています。

「僕は翻訳をやってゐます。詩はその後殆んど書けません。芸術などといふ仕事は金に苦労を感じないでゐられる時代のもののやうです。(中略)僕も今の学校で大いに勉強して、大使館書記生の試験を受けます。さうでもしなければ、僕にできさうな仕事はありません」
(昭6・11・17付松田利勝宛)

 *
(われ等のヂェネレーションには仕事がない)

われ等のヂェネレーションには仕事がない。
急に隠居が流行(はや)らなくなつたことも原因であらう。

若い者はみな、スポーツでもしていゐより仕方がない。
文学者だつてさうである。

年寄同様何にも出来ぬ。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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