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2009年12月29日 (火)

1931年の詩篇<9・10>夜空と酒場・夜店

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「夜空と酒場」は、
「早大ノート」(1930~1937)の
1931年制作(推定)詩篇としては6番目にあり、
「夜店」は、
その次に続きます。

「夜空と酒場」は、
今年2009年5月15日に
「酔えない詩人」の見出しを付けて
一度読みました。

「夜店」も
5月21日に
「孤独な散歩」の見出しを付けて
読みました。

両作品は、
詩人が
この作品を作った当時襲われていた
孤絶感、孤独感、虚無感……

それは、この詩人が
生涯にわたって
抱え込んだ
悲しみや空しさや倦怠感……の
一つのバリエーションに過ぎませんが

その感情を
まっすぐに歌っている、
という点で
兄弟のような作品です。

酒がだんだん身体に回っていっても
ついに酔っ払えない詩人……。

呆然として歩いていて、
何ものもおもしろいと思えるものはなく
それでも、
部屋に閉じこもっているのよりましだと思いながら
歩いているのだけれど
電車にも人通りにも
繋(つな)がりを感じられない詩人……

飲んでも飲んでも
酔えない詩人。

歩いても歩いても
満たされない詩人。


夜空と酒場

夜の空は、広大であつた。
その下に一軒の酒場があつた。

空では星が閃めいて(きらめいて)ゐた。
酒場では女が、馬鹿笑ひしてゐた。

夜風は無情な、大浪のやうであつた。
酒場の明りは、外に洩れてゐた。

私は酒場に、這入つて行つた。
おそらく私は、馬鹿面さげてゐた。

だんだん酒は、まはつていつた。
けれども私は、酔ひきれなかつた。

私は私の愚劣を思つた。
けれどもどうさへ、仕方はなかつた。

夜空は大きく、星はあつた。
夜風は無情な、波浪に似てゐた。


夜店

アセチリンをともして、
低い台の上に商品を竝(なら)べてゐた、
僕は昔の夜店を憶ふ。
万年草を売りに出てゐた、
植木屋の爺々(じじい)を僕は憶ふ。

あの頃僕は快活であつた、
僕は生きることを喜んでゐた。

今、夜店はすべて電気を用ひ、
台は一般に高くされた。

僕は呆然(ぼうぜん)と、つまらなく歩いてゆく。
部屋(うち)にゐるよりましだと想ひながら。
僕にはなんだつて、つまらなくつて仕方がない。
それなのに今晩も、かうして歩いてゐる。
電車にも、人通りにも、僕は関係がない。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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