1931年の詩篇<1>(われ等のヂェネレーションには仕事がない)<その1>
「朝の歌」以後も
ダダイズムの痕跡を残した詩は
数多く見つけることができますが、
それを探す姿勢になっていると
なんだか
学問をする姿勢になってくるようなので
ここらへんで
中原中也のダダイズムを
追いかけるのは、
止めておきます。
中原中也の詩を味わうために
中原中也がダダイストであったか、なかったか
宗教詩人であったか、なかったか
抒情詩人であったか、なかったか
自然詩人であったか、なかったか
……
そういう眼差しを
否定するものではありませんが
ここではそういうアプローチや
問いの立て方はいたしません。
ダダは
京都時代に
中原中也が拠り所にさえしていた
イデオロギーみたいなものですが
「朝の歌」以降
消えてしまったわけではなく
より深いところに血肉となり
時には
中原中也の詩に
独特の強度を与えます。
そうした作品に出くわした時、
その詩を
もはや
ダダイズム云々と明言するまでもなく
ああ、あれだ、あれだ、と
詩人のたくらみに思いを馳せれば、
親しみの湧いてくるだけで
詩人の詩を楽しんだことになります
たとえば
「早大ノート」所収の
昭和6年、1931年秋に作られた
と、推定されている草稿作品に
こんなのがあります
*
(われ等のヂェネレーションには仕事がない)
われ等のヂェネレーションには仕事がない。
急に隠居が流行(はや)らなくなつたことも原因であらう。
若い者はみな、スポーツでもしてゐるより仕方がない。
文学者だつてさうである。
年寄同様何にも出来ぬ。
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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