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2009年12月20日 (日)

1931年の詩篇ラインナップ

20091219_0022

 

1931年は、
「白痴群」解散や
長谷川泰子の出産などの事件があった
前年1930年のショックを引きずって、
あまりパッとしない年と
受け取られているようですが、
年譜を見ておきましょう。

昭和6年(1931) 24歳
この年から翌7年まで詩作はほとんどなし。
2月、高田博厚渡仏。長谷川泰子とともに東京駅で見送る。
4月、東京外国語学校専修科仏語に入学。
5月、青山二郎を知る。
7月、千駄ヶ谷に転居。
9月、弟恰三死去、19歳。戒名は秋岸清涼居士。葬儀のため帰省。
10月、小林佐規子(長谷川泰子)「グレタ・ガルボに似た女性」の審査で一等に当選。
冬、高森文夫を知る。
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

9月の、弟恰三の死去という事件は、
詩人の詩作に顕著な影響を与えたことが
大岡昇平をはじめとする
さまざまな研究で明らかにされており、
「在りし日の歌」につながる
「死」のテーマへのきっかけの一つとして
論じられてきました。

それゆえにか、
恰三の死を悼む詩ばかりが目立ち
「この年から翌7年まで詩作はほとんどなし。」と、
この年の不作が強調されがちですが、
詩作がなかったわけではありません。

「早大ノート」の中だけでも、
(そのうすいくちびると)から
「秋の日曜」までの22篇が
1931年制作と推定されています。

「早大ノート」にラインナップされているのは
以下の作品です。

干物
いちぢくの葉
カフェーにて
(休みなされ)
砂漠の渇き
(そのうすいくちびると)
(孤児の肌に唾吐きかけて)
(風のたよりに、沖のこと 聞けば)
Qu'est-ce que c'est que moi?
さまざま人
夜空と酒場
夜店
悲しき画面
雨と風
風雨
(吹く風を心の友と)
(秋の夜に)
(支那といふのは、吊鐘の中に這入つてゐる蛇のやうなもの)
(われ等のヂェネレーションには仕事がない)
(月はおぼろにかすむ夜に)
(ポロリ、ポロリと死んでゆく)
(疲れやつれた美しい顔よ)
死別の翌日
コキューの憶ひ出
細心
マルレネ・ディートリッヒ
秋の日曜
(ナイアガラの上には、月が出て)
(汽笛が鳴つたので)
(七銭でバットを買つて)
(それは一時の気の迷ひ)
(僕達の記憶力は鈍いから)
(何無 ダダ)
(頭を、ボーズにしてやらう)
(自然といふものは、つまらなくはない)
(月の光は音もなし)
(他愛もない僕の歌が)
嬰児
(宵に寝て、秋の夜中に目が覚めて)
酒場にて(初稿)
酒場にて(定稿)
こぞの雪今いづこ

「早大ノート」計42篇の
5割21篇が1931年制作と推定され、
このうち、弟の死を
ストレートなモチーフとしているのは、
(ポロリ、ポロリと死んでゆく)
(疲れやつれた美しい顔よ)
「死別の翌日」の3篇ですから、
間断なく
詩作は続けられていた、
と見てもおかしくはありません。

タイトルを付けるまでに
至っていない
未完成稿が多いのは事実ですが、
それで詩作が活発ではなかった
ということにはなりません。

 *
 ポロリ、ポロリと死んでゆく
      俺の全身(ごたい)よ、雨に濡れ、
      富士の裾野に倒れたれ
              読人不詳               
ポロリ、ポロリと死んでゆく。
みんな別れてしまふのだ。
呼んだつて、帰らない。
なにしろ、此の世とあの世とだから叶はない。

今夜にして、僕はやつとこ覚るのだ、
白々しい自分であつたこと。
そしてもう、むやみやたらにやりきれぬ、
(あの世からでも、僕から奪へるものでもあつたら奪つてくれ)

それにしてもが過ぐる日は、なんと浮はついてゐたことだ。
あますなきみじめな気持である時も、
随分いい気でゐたもんだ。
(おまへの訃報に遇ふまでを、浮かれてゐたとはどうもはや。)

風が吹く、
あの世も風は吹いてるか?
熱にほてつたその頬に、風をうけ、
正直無比な目を以つて、
おまへは私に話したがつているのかも知れない……

——その夜、私は目を覚ます。
障子は破れ、風は吹き、
まるでこれでは戸外に寝ているも同然だ。

それでも僕はかまはない。
それでも僕はかまはない。
どうなつたつてかまはない。
なんで文句を云ふものか……

 *
疲れやつれた美しい顔

疲れやつれた美しい顔よ、
私はおまへを愛す。
さうあるべきがよかつたかも知れない多くの元気な顔たちの中に、
私は容易におまへを見付ける。

それはもう、疲れしぼみ、
悔とさびしい微笑としか持つてはをらぬけれど、
それは此の世の親しみのかずかずが、
縺れ合ひ、香となつて蘢る壺なんだ。

そこに此の世の喜びの話や悲しみの話は、
彼のためには大きすぎる声で語られ、
彼の瞳はうるみ、
語り手は去つてゆく。

彼が残るのは、十分諦めてだ。
だが諦めとは思はないでだ。
その時だ、その壺が花を開く、
その花は、夜の部屋にみる、三色菫(さんしきすみれ)だ。

 *
 死別の翌日

生きのこるものはづうづうしく、
死にゆくものはその清純さを漂はせ
物云いたげな瞳を床にさまよはすだけで、
親を離れ、兄弟を離れ、
最初から独りであつたもののやうに死んでゆく。

さて、今日は良いお天気です。
街の片側は翳り(かげり)、片側は日射しをうけて、あつたかい
けざやかにもわびしい秋の午前です。

空は昨日までの雨に拭はれて、すがすがしく、
それは海の方まで続いてゐることが分ります。

その空をみながら、また街の中をみながら、
歩いてゆく私はもはや此の世のことを考へず、
さりとて死んでいつたもののことも考へてはゐないのです。
みたばかりの死に茫然(ぼうぜん)として、
卑怯にも似た感情を抱いて私は歩いてゐたと告白せねばなりません。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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