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2010年1月 9日 (土)

1931年の詩篇<17、18、19>(ポロリ、ポロリと死んでゆく)(疲れやつれた美しい顔よ)死別の翌日

20091028_061

満州事変のニュースに
中原中也は
どのようにして接したのでしょうか
ラジオでしょうか
新聞でしょうか……

(秋の夜に)
(支那といふのは、吊鐘の中に這入つてゐる蛇のやうなもの)
(われ等のヂェネレーションには仕事がない)の3作を書いて
詩人は、
明らかに
戦争へ向かう時代の空気に反応しましたが……

反戦を叫ぶでもなく
戦争なんて関係ない、
と不貞腐(ふてくさ)れるのでもなく
これまで通り
詩を書いて生きていくための方策を探し求めて
真剣でした
精一杯でした

さしあたっては
フランスへ渡ることを計画し
前年1930年には
中央大学予科へ編入学
この年1931年4月には
東京外国語学校仏語専修科に入学するなど
フランス語の修得に力を注ぎました

そんな矢先
弟・恰三の死に遭います。

このあたりを
大岡昇平の
簡潔にして要を得た解説は、

(略)恰三は、明治45年10月生れ、5歳年下の長男である。長男中也に医師になる意志も見込みもなく、次男亜郎は夭折していたので、中原病院を継ぐために医学を志した。幼時より剣道野球を好み、快活な性格であった。昭和5年4月、両親の期待に応えて日本医大予科に入学したが、恐らく受験勉強の過労の結果であろう、肺を悪くして帰郷する。急に病状が進んでこの年9月27日に死んだ。(中原中也全集解説「詩Ⅱ」)

と、記しています。

*この年9月27日、とある、この年は昭和6年のこと。また、恰三の死亡日は、後の研究で、9月26日とされるようになりました。(編者)

中也は、
世田ヶ谷の豪徳寺の酒場で深酒、
帰宅して弔電を読みます。

こうして
追悼の詩が
いくつか書かれましたが
「早大ノート」に書きとめられたのは
次の3作です。

 *
 (ポロリ、ポロリと死んでゆく)

      俺の全身(ごたい)よ、雨に濡れ、
      富士の裾野に倒れたれ
              読人不詳
                
ポロリ、ポロリと死んでゆく。
みんな別れてしまふのだ。
呼んだつて、帰らない。
    なにしろ、此の世とあの世とだから叶(かな)はない。

今夜(いま)にして、僕はやつとこ覚(さと)るのだ、
白々しい自分であつたこと。
そしてもう、むやみやたらにやりきれぬ、
(あの世からでも、僕から奪へるものでもあつたら奪つてくれ。

それにしてもが過ぐる日は、なんと浮はついてゐたことだ。
あますなきみじめな気持である時も
随分いい気でゐたもんだ。
   (おまへの訃報(ふほう)に遇(あ)ふまでを、浮かれてゐたとはどうもはや。

風が吹く、
あの世も風は吹いてるか?
熱にほてつたその頬に、風をうけ、
正直無比な目で以て
おまへは私に話したがつているのかも知れない……

————その夜、私は目を覚ます。
障子は破れ、風は吹き、
まるでこれでは戸外に寝ているも同様だ。

それでも俺はかまはない。
それでも俺はかまはない。
   どうなつたつてかまはない。
なんで文句を云ふものか……

 *
 (疲れやつれた美しい顔よ)

疲れやつれた美しい顔よ、
私はおまへを愛す。
さうあるべきがよかつたかも知れない多くの元気な顔たちの中に、
私は容易におまへを見付ける。

それはもう、疲れしぼみ、
悔とさびしい微笑としか持つてはをらぬけれど、
それは此の世の親しみのかずかずが、
縺(もつ)れ合ひ、香となつて籠る壺なんだ。

そこに此の世の喜びの話や悲しみの話は、
彼のためには大きすぎる声で語られ、
彼の瞳はうるみ、
語り手は去つてゆく。

彼が残るのは、十分諦めてだ。
だが諦めとは思はないでだ。
その時だ、その壺が花を開く、
その花は、夜の部屋にみる、三色菫(さんしきすみれ)だ。

 *
 死別の翌日

生きのこるものはづうづうしく、
死にゆくものはその清純さを漂はせ、
物言いたげな瞳を床にさまよはすだけで、
親を離れ、兄弟を離れ、
最初から独りであつたもののやうに死んでゆく。

さて、今日は良いお天気です。
街の片側は翳り(かげり)、片側は日射しをうけて、あつたかい、
けざやかにもわびしい秋の午前です。
空は昨日までの雨に拭はれてすがすがしく、
それは海の方まで続いてゐることが分ります。

その空をみながら、また街の中をみながら、
歩いてゆく私はもはや此の世のことを考へず、
さりとて死んでいつたもののことも考へてはゐないのです。
みたばかりの死に茫然として、
卑怯にも似た感情を抱いて私は歩いてゐたと告白せねばなりません。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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