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2010年1月17日 (日)

1931年の詩篇<27>羊の歌 安原喜弘に

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「早大ノート」の中の
1931年制作(推定)の詩篇を読み、
「草稿詩篇(1931年―1937年)」の中の
1931年制作(推定)の詩篇を読めば、
すべての
1931年制作(推定)の詩篇を読んだことになるか
というと、そうではなく、
もう一つの
決定的に重要な作品が
1931年に書かれていることに
気づかないわけにはいきません。

その詩こそ、
第一詩集「山羊の歌」の中の
「羊の歌 安原喜弘に」です。
この詩は
すでに
2008年8月17日に読んでいますが
その読みは
いまもほとんど変わっていないので
ここに再録しておきます。

<以下2008年8月17日の記事の再録>
詩集「山羊の歌」の
最終章「羊の歌」は
三つの詩で成ります。
一つ目が章タイトルと同じ「羊の歌」
二つ目が「憔悴」
三つ目が「いのちの声」です。

「羊の歌」は
安原喜弘へ献じられています。

中也晩年を最も親しく生きた
と、言われている安原は
「白痴群」の同人であり、
成城グループの一人です。

後年、というのは、昭和54年(1979年)
「中原中也の手紙」を
発表します。

詩集の終わりに当たって
詩人は
いきなり
自らの死をうたいはじめます

1の章は「祈り」と章題が付され、

死の時には私が仰向かんことを!
この小さな顎が、小さい上にも小さくならんことを!

それというのも
僕は僕が感じることのできなかったせいで
罰せられて、死が僕にやってきたと、思うから。

仰向けの姿勢で死にたい!
うつ伏せの姿勢で死にたくはない!

せめて、死ぬときくらい、
僕は仰向けになって
すべてを感じる者でありたいのだ!

2の章は
思惑、交際、疑い……
これら、詩人の対外関係を

古めかしい空気(思惑)
汚辱の許容(交際)
己の外をあまりに信じる心(疑い)

と、否定し
自分の内部から
これらが消え去ることを願う
詩人のスタンスが述べられます

3の章は、ボードレールの詩句

我が生は恐ろしい嵐のやうであつた、
其処此処に時々陽の光も落ちたとはいへ。

を、添えて

第1連
9歳の子どもと僕の
遠い日のことが語られるのです

女の子どもです
この子どもは泰子と思われます
泰子であったほうが自然です

第2連
冬の日の天気のよい午前
僕の部屋には陽がいっぱい当たり
彼女が首を傾げると
耳朶(みみたぶ)が陽に透けて
綺麗な赤になりました
と、彼女との幸福の時間を歌います

第3連も
僕はすべての用事も忘れて
この時ばかりはゆるやかに時間を熟読玩味しました
と、幸福な時間を歌います

最終の4の章は、
急激に転調します。
暗転します。

下宿の独り暮らしで
単調であって、
相手のない
つましい、心だけの連弾を
毎夜、奏している僕

汽車のピーという笛の音も聞こえてくるので
昔した旅を思い、幼き日のことを思い

いや、違う
幼き日のことも旅のことも思わずに
旅と見えるだけの、
幼き日のことと思えることだけを

……

……

寂莫(しじま)にほとぶ、は
沈黙の世界にどっぷりとつかっている、
くらいの意味でしょうか

さびしい
さびしい
思いなき思いが
綿々と
綴られます

 *
 羊の歌
   安原喜弘に

   Ⅰ 祈り

死の時には私が仰向(あふむ)かんことを!
この小さな顎(あご)が、小さい上にも小さくならんことを!
それよ、私は私が感じ得なかつたことのために、
罰されて、死は来たるものと思ふゆゑ。
あゝ、その時私の仰向かんことを!
せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!

   Ⅱ

思惑よ、汝 古く暗き気体よ、
わが裡(うち)より去れよかし!
われはや単純と静けき呟(つぶや)きと、
とまれ、清楚のほかを希(ねが)はず。

交際よ、汝陰鬱なる汚濁(をぢよく)の許容よ、
更(あらた)めてわれを目覚ますことなかれ!
われはや孤寂に耐へんとす、
わが腕は既に無用の有(もの)に似たり。

汝、疑ひとともに見開く眼(まなこ)よ
見開きたるまゝに暫しは動かぬ眼よ、
あゝ、己の外をあまりに信ずる心よ、

それよ思惑、汝 古く暗き空気よ、
わが裡より去れよかし去れよかし!
われはや、貧しきわが夢のほかに興ぜず

   Ⅲ

我が生は恐ろしい嵐のやうであつた、
其処此処(そこここ)に時々陽の光も落ちたとはいへ。
                    ボードレール

九歳の子供がありました
女の子供でありました
世界の空気が、彼女の有(いう)であるやうに
またそれは、凭(よ)つかかられるもののやうに
彼女は頸をかしげるのでした
私と話してゐる時に。

私は炬燵(こたつ)にあたつてゐました
彼女は畳に坐つてゐました
冬の日の、珍しくよい天気の午前
私の室(へや)には、陽がいつぱいでした
彼女が頸かしげると
彼女の耳朶(みみのは) 陽に透きました。

私を信頼しきつて、安心しきつて
かの女の心は蜜柑(みかん)の色に
そのやさしさは氾濫(はんらん)するなく、かといつて
鹿のやうに縮かむこともありませんでした
私はすべての用件を忘れ
この時ばかりはゆるやかに時間を熟読翫味(ぐわんみ)しました。

   IIII

さるにても、もろに佗(わび)しいわが心
夜な夜なは、下宿の室(へや)に独りゐて
思ひなき、思ひを思ふ 単調の
つまし心の連弾よ……

汽車の笛聞こえもくれば
旅おもひ、幼き日をばおもふなり
いなよいなよ、幼き日をも旅をも思はず
旅とみえ、幼き日とみゆものをのみ……

思ひなき、おもひを思ふわが胸は
閉ざされて、醺(かび)生(は)ゆる手匣(てばこ)にこそはさも似たれ
しらけたる脣(くち)、乾きし頬
酷薄の、これな寂莫(しじま)にほとぶなり……

これやこの、慣れしばかりに耐へもする
さびしさこそはせつなけれ、みづからは
それともしらず、ことやうに、たまさかに
ながる涙は、人恋ふる涙のそれにもはやあらず……

*醺 「醺」は「酔う」の意。「かび」の意味ならば「醭」の誤記か。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)

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