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2010年1月 4日 (月)

1931年の詩篇<12>Tableau Triste

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「Tableau Triste A・O・に。」は、
「悲しき画面」のタイトルを
フランス語に変えた作品で、
内容は同じものです。

「早大ノート」に書きとめた
「悲しき画面」を
詩人は、
昭和6年12月4日付け
安原喜弘宛書簡に
同封した時、
「Tableau Triste A・O・に。」と
改題したのです。

このため、
「新編中原中也全集」の編集委員会は、
「未完詩篇」の編集にあたって、
「早大ノート」中の
「悲しき画面」と
「草稿詩篇(1931年―1932年)」中の
「Tableau Triste A・O・に。」とを、
独立して扱うことにしました。

これを受け取った
安原喜弘は、

十二月四日付でまた一篇の美しい詩が送られている。それは『Tableau Triste』と題され、『A・Oに』と付記されている。『A・O』については私には心当りがない。この詩も彼によって未発表のまゝに遺された詩の一つである。
(1979年、玉川大学出版部、「中原中也の手紙」より)

と記しています。

いっぽう、
安原の「中原中也の手紙」が刊行される前に、
この詩の改題について、
大岡昇平は、

「Tableau Triste」の題名を採用したのは、友人に送ることを一種の公表と見做す方針からである。(1967年、「詩Ⅱ」)

と断言的に書いています。

両者の解釈の違いみたいなことが
ここに感じられるのですが、
そのこと自体が
一つの詩作品の味わいを
豊かにする材料になっている
とも言えるようなのは
きっと
詩の力あればこそだからに違いありません。


Tableau Triste
A・O・に。

私の心の、『過去』の画面の、右の端には、
女の額の、大きい額のプロフィルがみえ、
それは、野兎色のラムプの光に仄照らされて、
嘲弄的な、その生(は)え際(ぎは)に隈取られてゐる。

その眼眸(まなざし)は、画面の中には見出せないが、恐らくは
窮屈げに、あでやかな笑(ゑみ)に輝いて、中立地帶に向けられてゐる。
そして、なぜか私は、彼の女の傍(そば)に、
騎兵のサーベルと、長靴を感ずる――

読者よ、これは、その性情の無辜のために、
いためられ、弱くされて、それの個性は、
それの個性の習慣を形づくるに至らなかつた、
一人の男の、かなしい心の、『過去』の画面、……

今宵も、心の、その画面の右の端には、
その額、大きい額のプロフィルがみえ、
野兎色の、ラムプの光に仄照らされて、
ラムプの焔の消長に、消長につれてゆすれてゐる。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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