1932-1934年の詩篇<9>(月の光は音もなし)
(月の光は音もなし)は、
「早大ノート」では、この前の作である
(自然といふものは、つまらなくはない)とは
ガラリと詩風を変え、
文語ですます調で
端然とした七五調、
1連3行×4=12行詩です
形の変化は
内容の変化をともなうもののようで
この詩も、
月(とその光)と
蟲(とその声)に託して
詩の役割、
詩人のあり方、
詩人論……が
歌われます
最終連、
私は蟲の紹介者の
「蟲の」の「の」は、
同格を表わす格助詞「の」であり、
目的格の「の」ではありません
蟲である紹介者の意味であり、
蟲を紹介する者ではありません
蟲は、詩人であり
では、
月は、何を示しているでしょうか
月は、何のメタファーでしょうか
詩人の中には、
幼少の頃から
天上的なもの
超常的なもの
絶対的なもの
形而上的なもの
空
神
……
を見る眼差しがありました
蟲は、
はじめ、
草の上で鳴いているだけで、
月には聞こえず、
下界のために鳴いているしかないのですが、
鳴くことをなかなか止めないでいると、
やがては
月にも聞こえるようになります
こうなったとき、
蟲=私=詩人は、
下界の紹介者であり、
月(の世界)の下僕であります、
と、告白するかのように、
詩のありかを
明らかにするのです
*
(月の光は音もなし)
月の光は音もなし、
蟲の鳴いてる草の上
月の光は溜ります
蟲はなかなか鳴きまする
月ははるかな空にゐて
見てはゐますが聞こえない
蟲は下界のためになき、
月は上界照らすなり、
蟲は草にて鳴きまする。
やがて月にも聞えます、
私は蟲の紹介者
月の世界の下僕です。
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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