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2010年2月10日 (水)

1932-1934年の詩篇<9>(月の光は音もなし)

20091126_121

(月の光は音もなし)は、
「早大ノート」では、この前の作である
(自然といふものは、つまらなくはない)とは
ガラリと詩風を変え、
文語ですます調で
端然とした七五調、
1連3行×4=12行詩です

形の変化は
内容の変化をともなうもののようで
この詩も、
月(とその光)と
蟲(とその声)に託して
詩の役割、
詩人のあり方、
詩人論……が
歌われます

最終連、
私は蟲の紹介者の
「蟲の」の「の」は、
同格を表わす格助詞「の」であり、
目的格の「の」ではありません

蟲である紹介者の意味であり、
蟲を紹介する者ではありません

蟲は、詩人であり
では、
月は、何を示しているでしょうか
月は、何のメタファーでしょうか

詩人の中には、
幼少の頃から
天上的なもの
超常的なもの
絶対的なもの
形而上的なもの


……
を見る眼差しがありました

蟲は、
はじめ、
草の上で鳴いているだけで、
月には聞こえず、
下界のために鳴いているしかないのですが、
鳴くことをなかなか止めないでいると、
やがては
月にも聞こえるようになります

こうなったとき、
蟲=私=詩人は、
下界の紹介者であり、
月(の世界)の下僕であります、
と、告白するかのように、
詩のありかを
明らかにするのです

*
(月の光は音もなし)

月の光は音もなし、
蟲の鳴いてる草の上
月の光は溜ります

蟲はなかなか鳴きまする
月ははるかな空にゐて
見てはゐますが聞こえない

蟲は下界のためになき、
月は上界照らすなり、
蟲は草にて鳴きまする。

やがて月にも聞えます、
私は蟲の紹介者
月の世界の下僕です。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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