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2010年2月 9日 (火)

1932-1937年の詩篇<8>(自然といふものは、つまらなくはない)

P1042336_3

(自然といふものはつまらなくはない)は、
(何無 ダダ)、
(頭を、ボーズにしてやらう)の2作と
詩内容が類似している、
という判断で、
「新編中原中也全集」の編集委員は
この3作を
同時期の制作と推定しました

沈鬱(ちんうつ)で重厚な
(何無 ダダ)と、
解放感を感じさせ元気な
(頭を、ボーズにしてやらう)とが、
対照的とさえ受け止められるのに
(自然といふものはつまらなくはない)を加えて
3作の内容は類似している、
とは、
どのような読みの結果なのか
よくわかりません

自然といふものは、つまらなくはない、と
わざわざ、二重否定をもって
自然は面白い、ということを
詩人は歌いたかったのでしょうか

そもそも
自然って、この場合
何をさしているのか
ぼやーっとしています

何かに
怒っている感じが
伝わってきますが
「歯医者の女房」というメタファーが
中也独特で

この「歯医者の女房」が
あんなにしらばっくれている、
けれども
一歩下がって好意的に考えてあげれば
あいつらにもあいつらなりの感情の世界があるのだし

どっちみち
心悸亢進が近いことだろうし
そのうち隠居するってことなんだ

つまりさあ、
馬鹿じゃなければこの世を生きるには問題はない
問題がなければこの世を生きていられない

この最終2行に
この詩の重心がありそうですが
なかなか
伝わってきません

敢えて言えば
ダダっぽい
とは言えるのかもしれませんが
こんなにも
くっきりしないダダなんて
中也は書いたことはありませんし……

(何無 ダダ)と
(頭を、ボーズにしてやらう)とが持っている
明確なメッセージが
伝わってくるには
不十分です

冒頭の二重否定が
失敗に終わり、
結末の二重否定にも
あいまいさを
引きずりました

  *
(自然といふものは、つまらなくはない)

自然といふものは、つまらなくはない、
歯医者の女房なぞといふのが、つまらないのだ。

よくもまああんなにしらばつくれてる、
でもね、あいつらにはあいつらで感情の世界があるのだ。

どつちみち心悸亢進(しんきこうしん)には近づきつつあるのだが、
そのうち隠居するといふ寸法なんだ。

つまりまあ馬鹿でなければ此の世に問題はない。
問題がなければ生きてはゐられない。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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