1932-1937年の詩篇<10>(他愛もない僕の歌が)
「早大ノート」中で、
(他愛もない僕の歌が)は、
(月の光は音もなし)に続けて書かれた作品
と推定されていますが、
詩内容も
詩や詩人についてであるのは、
この頃、
第一詩集「山羊の歌」の出版が
ままならなかったことによるものでしょうか。
詩や詩人を理解しない世間へ向けて
泣き言の一つを
言いたくなった詩人の姿を
容易に想像することができますが、
これは泣き言ではなく、
一つの立派な詩論ですし
詩人論でもあります
詩を書くことを
自問しなければならない状況に
詩人は追い込まれていたのです
形への意志に満ちていた
(月の光は音もなし)と同じく
(他愛もない僕の歌が)にも
4-4-3-3のソネットという
形へのこだわりがありますが、
こちらの内容は
直情的で
あからさまです
第1連の
僕は死んだ方がましだと昨日思ひました
は、詩人の内部に
そのような感情が去来したことを
偽りなく表している、
と読めるのが、
最終連で
いとも壮麗な死に際を演じてごらんにいれます。
と、ややお道化て、
突き放している感じになっているのは、
この間、
恢復が起こったことを想像できるので
やはり胸を打つものがあります
芸術(=詩作)は、
つまるところ
生活に余裕があった上で
当たるも八卦でしかない希望だ
義理人情の世間に関心をもっても
詩人には何の役にも立ちはしないのさ
詩で食っていけなくても
コチコチのパンを寝床でかじって
水飲んで
でも、
僕は、清貧なんて柄じゃないよ
ギター協奏曲バンバン鳴らして
泣いて笑って、
ついでに洟(はな)もかんでやったりして
壮麗な死に際を演出してみせまさあ
否!
詩人は
いつもこんな気持ちを抱いて
夜の街を
酒場を
彷徨(さまよ)っていたのかもしれません
このように
命がけで
詩を書こうとしていたのですから……
*
(他愛もない僕の歌が)
他愛もない僕の歌が
何かの役には立つのでせうか?
僕の気は余り確かではありません
僕は死んだ方がましだと昨日思ひました
芸術とは、畢に生活の余裕の
アナルキスチイクな希望です。
世話場への関心は、
詩人には何の利益をも齎(もたら)しません。
この上もう一段余裕がなくなれば、
カチカチのパンを寝床の上でかぢりながら、
汲み置きの水を飲みながら、
ギタアのレコードかけて、
泣き笑ひしたり、洟をかんだり、
いとも壮麗な死に際を演じてごらんににいれます。
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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