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2010年2月11日 (木)

1932-1937年の詩篇<10>(他愛もない僕の歌が)

20091025_060_2

「早大ノート」中で、   
(他愛もない僕の歌が)は、   
(月の光は音もなし)に続けて書かれた作品   
と推定されていますが、   
詩内容も   
詩や詩人についてであるのは、   
この頃、   
第一詩集「山羊の歌」の出版が   
ままならなかったことによるものでしょうか。

詩や詩人を理解しない世間へ向けて   
泣き言の一つを   
言いたくなった詩人の姿を   
容易に想像することができますが、 
これは泣き言ではなく、 
一つの立派な詩論ですし 
詩人論でもあります

詩を書くことを   
自問しなければならない状況に   
詩人は追い込まれていたのです

形への意志に満ちていた   
(月の光は音もなし)と同じく
(他愛もない僕の歌が)にも
4-4-3-3のソネットという
形へのこだわりがありますが、 
こちらの内容は   
直情的で   
あからさまです

第1連の   
僕は死んだ方がましだと昨日思ひました   
は、詩人の内部に   
そのような感情が去来したことを   
偽りなく表している、   
と読めるのが、

最終連で   
いとも壮麗な死に際を演じてごらんにいれます。   
と、ややお道化て、   
突き放している感じになっているのは、   
この間、   
恢復が起こったことを想像できるので   
やはり胸を打つものがあります

芸術(=詩作)は、
つまるところ
生活に余裕があった上で
当たるも八卦でしかない希望だ
義理人情の世間に関心をもっても
詩人には何の役にも立ちはしないのさ

詩で食っていけなくても   
コチコチのパンを寝床でかじって   
水飲んで   
でも、   
僕は、清貧なんて柄じゃないよ
   
ギター協奏曲バンバン鳴らして   
泣いて笑って、   
ついでに洟(はな)もかんでやったりして   
壮麗な死に際を演出してみせまさあ

否!   
詩人は   
いつもこんな気持ちを抱いて   
夜の街を   
酒場を   
彷徨(さまよ)っていたのかもしれません

このように 
命がけで 
詩を書こうとしていたのですから……

*
(他愛もない僕の歌が)

他愛もない僕の歌が
何かの役には立つのでせうか?
僕の気は余り確かではありません
僕は死んだ方がましだと昨日思ひました

芸術とは、畢に生活の余裕の
アナルキスチイクな希望です。
世話場への関心は、
詩人には何の利益をも齎(もたら)しません。

この上もう一段余裕がなくなれば、
カチカチのパンを寝床の上でかぢりながら、
汲み置きの水を飲みながら、

ギタアのレコードかけて、
泣き笑ひしたり、洟をかんだり、
いとも壮麗な死に際を演じてごらんににいれます。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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