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2010年2月21日 (日)

早大ノート以外の1932年詩篇<3>脱毛の秋 Études

20091114_011

 

「脱毛の秋 Études」は、
合計9章からなる長編ですが、
全行数が長いというのではなく
章立ての数が多いという作品です。

そうなったわけは簡単で、
長期にわたって書きためた詩篇を
再構成して
一つにまとめ合わせたからです。

なぜ
「脱毛の秋 Études」という
タイトルがつけられたのか
詩句に
「脱毛」も「秋」も見当たらず、
これを読む手がかりは
ほとんどありません

というか
作品そのものにしか
手がかりはありませんから
ある意味で
作品というものの
あからさまな形=原型が
ここにある、ということかもしれません

1行1行を読むことにしか
この詩を読み
味わうすべはなく、


それは冷たい。石のやうだ
過去を抱いてゐる。
力も入れないで
むつちり緊(しま)つてゐる。
と、読み出していけば、

12行目
それよ、人の命の聴く歌だ。
にぶつかり、
なにやら、
歌についての措辞(そじ)の列。
すでに
詩論、詩人論への
展開が予感されます


それから、わたしには疑問が遺つた。
と、読んでいくと、

コークスをだつて、強(あなが)ち莫迦(ばか)には出来ないと思つた。
とぶつかり、

これはダダか
あえてダダととらなくてもよさそうだが
コークスに託して
馬鹿にしてはいけないものを
馬鹿にしていたことを自戒しているらしい
詩論の範囲で
あながち馬鹿にできないものとは?

3に進むと、
イデエについて導かれるから、
これが、馬鹿にしてはいけないことなのか

僕は運用することを知らない、と
白状しているけれど
この辺が逆説かもしれない
イデエ論を展開したいのかも……

4は、
僕は僕の無色の時間の中に投入される諸現象を、
まづまあ面白がる。
とはじまり、
やはり、イデエ論がはじまっている
それは
詩論、詩人論の一つでありそうで
無色の時間という切り口で
はじめられた

次のⅤへ進み、
瀝青(チヤン)の空があった。
という1行で
詩にであう!

中也さんがここにいる
はなだ色の空でないだけだ
チャンも青のうちだ

歩く詩人もいる!
ダダっぽい中也さんだけれど
さほど難解ではない

歩いていて
ショーウインドーが揺れ
めまいがした
それで手を広げ雨を受けた


風は遠くの街上にあつた。
は、周囲の風景
女たち、
ポスト、
僕の欲望
その状態


それにしてもと、また惟(おも)ひもする。
は、もう一度、反省し
もう一度、立ち上がる僕
という具合に
僕は僕自身の表現をだつて信じはしない。


(ここでこの詩の山場にたどり着きます)
とある六月の夕(ゆふべ)、
僕は、
松井須磨子のビラ
つまり
長谷川泰子を見るのです

いまごろ、
石版刷屋の女房になつてゐる。――さよなら。
なのです

さて9へ
詩人は
いまの気持を
ナポレオンに頼みました

泣いても泣いても泣ききれなかつたから
なんでもいい泣かないことにしたんだらう

こうして
詩人はいま
人の世の喜びを離れ、
縁台の上に莚(むしろ)を敷いて、
夕顔の花に目をくれないことと、
反射運動の断続のほか、
私に自由は見出されなかつた。

夕顔の花に目を向けず
日々お行儀よく繰り返し
私に自由を見つけようとしても
見つけ出せなかったのです

以上が
1932年の詩人の
脱毛の時です
この頃、
詩人のレゾン・デートルを
自問自答する時が
あったのです。

「脱毛の秋」の秋は、
「とき」と読みます

 *
 脱毛の秋 Études
 
 1

それは冷たい。石のやうだ
過去を抱いてゐる。
力も入れないで
むつちり緊(しま)つてゐる。

捨てたんだ、多分は意志を。
享受してるんだ、夜の空気を。
流れ流れてゐてそれでも
ただ崩れないといふだけなんだ。

脆(もろ)いんだ、密度は大であるのに。
やがて黎明(あけぼの)が来る時、
それらはもはやないだらう……

それよ、人の命の聴く歌だ。
――意志とはもはや私には、
あまりに通俗な声と聞こえる。

それから、わたしには疑問が遺つた。
それは、蒼白いものだつた。
風も吹いてゐたかも知れない。
老女の髪毛が顫(ふる)えてゐたかも知れない。

コークスをだつて、強(あなが)ち莫迦(ばか)には出来ないと思つた。

所詮、イデエとは未決定的存在であるのか。
而(しか)して未決定的存在とは、多分は
嘗(かつ)て暖かだつた自明事自体ではないのか。

僕にはもう冷たいので、それを運用することを知らない。
僕は一つの藍玉(あいだま)を、時には速く時には遅くと
溶かしてゐるばかりである。

僕は僕の無色の時間の中に投入される諸現象を、
まづまあ面白がる。

無色の時間を彩るためには、
すべての事物が一様の値ひを持つてゐた。

まづ、褐色の老書記の元気のほか、
僕を嫌がらすものとてはなかつた。

瀝青(チヤン)の空があった。
一と手切(ちぎ)りの煙があつた。
電車の音はドレスデン製の磁器を想はせた。
私は歩いていた、私の膝は檪材(くぬぎざい)だつた。

風はショウインドーに漣(さざなみ)をたてた。
私は常習の眩暈(めまい)をした。
それは枇杷(びわ)の葉の毒に似てゐた。
私は手を展げて、二三雨滴を受けた。

風は遠くの街上にあつた。
女等はみな、白馬になるとみえた。
ポストは夕陽に悪寒してゐた。
僕は褐色の鹿皮の、蝦蟇口(がまぐち)を一つ欲した。

直線と曲線の両観念は、はじめ混り合はりさうであつたが、
まもなく両方消えていつた。

僕は一切の観念を嫌憎する。
凡(あら)ゆる文献は、僕にまで関係がなかつた。

それにしてもと、また惟(おも)ひもする。
こんなことでいいのだらうか、こんなことでいいのだらうか?……

然(しか)し僕には、思考のすべはなかつた

風と波とに送られて
ペンキの剥(は)げたこのボート
愉快に愉快に漕げや舟

僕は僕自身の表現をだつて信じはしない。

とある六月の夕(ゆふべ)、
石橋の上で岩に漂ふ夕陽を眺め、
橋の袂(たもと)の薬屋の壁に、
松井須磨子のビラが翻るのをみた。

――思へば、彼女はよく肥つてゐた
綿のやうだつた
多分今頃冥土では、
石版刷屋の女房になつてゐる。――さよなら。

9 

私は親も兄弟もしらないといつた
ナポレオンの気持がよく分る

ナポレオンは泣いたのだ
泣いても泣いても泣ききれなかつたから
なんでもいい泣かないことにしたんだらう

人の世の喜びを離れ、
縁台の上に莚(むしろ)を敷いて、
夕顔の花に目をくれないことと、
反射運動の断続のほか、
私に自由は見出されなかつた。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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