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2010年2月 2日 (火)

1932-1937年の詩篇<2>(汽笛が鳴つたので)

(汽笛が鳴つたので)は、
ダダの詩でしょうか?

鉄道があり
汽船があり
トンネルがあり
樹々が生える野があり
青い空があり……

どこだかの景色は、
旅の途上で
東京の景色ではなく

詩人は
普段の暮らしとは違って
車窓から
世界を見ているかのようです

謎の詩句があります
第3連、

硝子(ガラス)の響きは、
大人の涎と縁がある。

硝子は
列車の窓ガラスのことでしょうか
それとも……

大人のよだれは、
何のことでしょうか
大人が夢中になって
涎を流すような
何か
とても幸せなことでも
意味しているのでしょうか

硝子の響きが
大人の涎に縁がある、
とは、
何か、
赤ん坊をあやす大人が
アババババーって
幸福な時を過ごすことをでも
暗示しているのでしょうか

この詩句を不思議がっているだけで
この詩の不思議な世界に
いつしかはまり込んでいることに
気が付きます

列車は
トンネルを抜け
木々の立つ野を抜け
何もない
青い空の中を行きます

そこに
あめ色の牛がいないのは
おかしい
間違っているよ

僕は
その青の中に
ポツンと残されます。

僕の眼も
青く染まり
大きく
哀れげでした。

*
(汽笛が鳴つたので)

汽笛が鳴つたので、
僕は発車だと思つた。
冗談ぢやない、人間の眼が蜻蛉の眼ででもあるといふのかと、
昇降口では、二人の男が嬉しげに騒いでゐた。

沖には汽船が通つてゐた。
白とオレンジとに染分けてゐた。

硝子(ガラス)の響きは、
大人の涎と縁がある。

また隧道(トンネル)であるといふことは、
なんとも自由の束縛である。

樹々は野に立つてゐる、
従順な娘達ともみられないことはない。

空は青く、飴色の牛がゐないといふことは間違つてゐる。

僕の眼も青く、大きく、哀れであつた。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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