早大ノート以外の1932年詩篇<6>お会式の夜
中原中也は、
1932年8月に
豊多摩郡千駄ヶ谷町872(現千駄ヶ谷2-29-30)から、
荏原郡馬込町北千束621(現・大田区北千束2)に
転居しましたが、
日蓮上人入寂の地として有名な
池上本門寺はこの新居の近くにあり、
この年もお会式の
通夜客がピークに達する
10月12日の夜を、
テンツクテンテンツク……と
お太鼓の鳴り響く本門寺界隈で
過ごしたのに違いありません
その様子を
1932・10・15の日付入りで
歌ったのが
「お会式の夜」です
この作品は
「漂流感と土着感」の題で
2009年5月25日にすでに読みましたが、
最終連、
東京はその夜、電車の終夜運転、
来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとほす、
には、
太鼓の音を
遠くに近くに聞きながら
夜が明けるまで歩き通すほど
お会式に魂の休まるものがあったことが思われ、
毎年、ここを訪れては
夜をふかし、
眠い朝を迎えた詩人が
くっきりと目に浮かんできて、
なぜか
和やかになります
*
お会式の夜
十月の十二日、池上の本門寺、
東京はその夜、電車の終夜運転、
来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとほす、
太鼓の音の、絶えないその夜を。
来る年にも、来る年にも、その夜はえてして風が吹く。
吐く息は、一年の、その夜頃から白くなる。
遠くや近くで、太鼓の音は鳴つてゐて、
頭上に、月は、あらはれてゐる。
その時だ僕がなんといふことはなく
落漠たる自分の過去をおもひみるのは
まとめてみようといふのではなく、
吹く風と、月の光に仄(ほの)かに自分を思んみるのは。
思へば僕も年をとつた。
辛いことであつた。
それだけのことであつた。
――夜が明けたら家に帰つて寝るまでのこと。
十月の十二日、池上の本門寺、
東京はその夜、電車の終夜運転、
来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとほす、
太鼓の音の、絶えないその夜を。
(1932・10・15)
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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