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2010年2月17日 (水)

早大ノート以外の1932年詩篇<2>材木

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中原中也は、
山口の実家に帰省中の1932年の8月初旬、
足を延ばして
詩友、高森文夫の実家、宮崎県東臼杵を訪ねました
それから二人して、
延岡、青島、天草、長崎を旅行し、
その後、単身、山口へ戻り、
金沢経由で帰京しました

「夏休み」みたいなことをしたのですが、
「材木」という詩は、
この、宮崎訪問の時、
東臼杵東郷町の
若山牧水記念館へ行った帰り道で
目にした製材所がモデル、
ということが分かっています

高森文夫本人の証言などから
明らかになっていることですが、
なぜ、製材所が詩になるのか
というところが、
いかにも、中原中也らしく、
中原中也という詩人が
製材所を詩にしてしまう詩人であることを
あらためて
発見するきっかけになる詩です

詩人はこの時、

「この村に製材所を建て、二人でやろうじゃないか。君も学校なんかやめちまって村に帰って暮らせよ。松脂の匂でも嗅ぎながら……。」

と、高森に語ったことが
知られています。(「新編中原中也全集第2巻詩Ⅱ解題篇」)

第3連、
日中(ひなか)、陽をうけ、ぬくもりますれば、
    樹脂(やに)の匂ひも、致そといふもの。

とあるように、
詩人は、
樹脂の匂いや香りに、
特別の感情を抱いていたことは、
出世作「朝の歌」の
樹脂の香に朝は悩まし、
にも見られることです。

立つてゐるのは、空の下(もと)によ、
    立つてゐるのは材木ですぢやろ。

このリフレインは
単純で何の変哲もありませんが
そういえば
材木屋さんて見かけなくなったなあ、と
郷愁を誘い、
あの木屑の香りが
都会の町中にも流れていた日があったんだ、と
ノスタルジアが乗り移り
詩人と同じ姿勢に
なっていたりはしませんか?

 *
 材木

立つてゐるのは、材木ですぢやろ、
    野中の、野中の、製材所の脇。

立つてゐるのは、空の下(もと)によ、
    立つてゐるのは材木ですぢやろ。

日中(ひなか)、陽をうけ、ぬくもりますれば、
    樹脂(やに)の匂ひも、致そといふもの。

夜(よる)は夜(よる)とて、夜露(よつゆ)うければ、
    朝は朝日に、光ろといふもの。

立つてゐるのは、空の下によ、
    立つてゐるのは、材木ですぢやろ。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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