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2010年3月 8日 (月)

早大ノート1930年の詩篇<1>干物

「早大ノート(1930年―1937年)」から
1931年と1932年制作の詩篇を読み、
「草稿詩篇」(1931年―1932年)を読み終えましたから、
こんどは
「早大ノート」の1930年制作の詩篇へ
さかのぼります。

その冒頭にあるのが
「干物」ですが、
この詩も
2009年5月20日に読みましたが
中原中也の1930年には
どんなことがあったのか
年譜を見ておきましょう

昭和5年(1930) 23歳
1月 「白痴群」第5号発行。
4月 「白痴群」第6号をもって廃刊。
5月 「スルヤ」第5回発表会で「帰郷」「失せし希望」「(内海誓一郎作曲)「老いたる者をして」(諸井三郎作曲)が歌われる。
8月 内海誓一郎の近く、代々木に転居。
9月 中央大学予科に編入学。フランス行きの手段として外務書記生を志し、東京外国語学校入学の資格を得ようとした。
秋、吉田秀和を知り、フランス語を教える。
12月、長谷川泰子、築地小劇場の演出家山川幸世の子茂樹を生み、中也が名付け親となる。
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」巻末資料より)

この年に
一度転居がありました

それまでは
高井戸町中高井戸37に住んでいましたが
近くに住んでいた高田博厚がまもなく渡仏するのと
中央大学に通いやすかったのと
新住居の近くには内海誓一郎が住んでいた、
などの理由で、
代々木山谷112近間方に引っ越したのは
9月はじめのことでした

「干物」は、
この引っ越し前の作か後の作か、
「ひもの」か「ほしもの」か、
解釈が分かれているようですが
1930年の
外苑にも千駄ヶ谷にも
2010年現在からは想像もつかない
生活風景が残っており
すんなり「ひもの」と取りましたが
「ほしもの」であっても通じます

新しい住居に来て
そこの風景を歌っている感じと
外苑、千駄ヶ谷は
代々木山谷の地続きでもあるので、
引っ越し後の作と読みました

神宮外苑あたりの森の道に
どこからともなく漂ってくる
魚の匂いを嗅ぎ、
蝉の声を聞きながら
午後のひととき
詩人は
まどろみに誘われていきます

 *
 干物

秋の日は、干物の匂ひがするよ

外苑の舗道しろじろ、うちつづき、
千駄ヶ谷、森の梢のちろちろと
空を透かせて、われわれを
視守る 如し。

秋の日は、干物の匂ひがするよ

干物の、匂ひを嗅いで、うとうとと
秋蝉の鳴く声聞いて、われは睡る
人の世の、もの事すべて患らはし
匂ひ嗅いで睡ります、ひとびとよ、

秋の日は、干物の匂ひがするよ

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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