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2010年3月14日 (日)

早大ノート1930年の詩篇<5>砂漠の渇き

987

「砂漠の渇き」は
(休みなされ)とは
しばらく間をおいて制作された、
と考えられているのは、
筆記具や筆跡の比較分析の結果ですが、
可能性としては
1931年(昭和6年)の制作もある、
と見なされて、
結局は
1930年秋から1931年9月中旬までの間の制作と
約1年の幅を想定されている作品です。

詩内容から判断すると
「三毛猫の主の歌へる」に近似するところから
1931年前半から9月中旬までの間の作と
推定する考えがあって、
この期間を含めて考えて
幅を大きくとったのです。

「三毛猫の主の歌へる」は
「青山二郎に」と
献辞のつけられた
(1931.6.1)の日付のある作品で、
この詩の中には
詩人と青山二郎らしき人物が登場し、
わたしが詩人で
おまえが三毛猫で
この二人の関係を
三毛猫の主、つまり詩人の側から
歌った詩になっていて、
「砂漠の渇き」も
その構造と似た作りになっています

こちらでは、
私の伴侶、
として出てくる人物が
青山二郎らしいのですが
らしいだけで
断定できることではありません

この頃付き合いのあった友人とか
詩の仲間とか
フランス語の生徒とか
伴侶はだれでもよいのですが
青山二郎であるとすれば
詩人は
1931年5月に彼と知り合うのですから
作品もそれ以後に作られた、
ということになってきます

特定のだれそれと
断定できなくとも詩を読むことはできますし
できなけれできないで
その時は想像をめぐらしながら読めばよいでしょう

詩は
いかにも「創作者の渇き」を
歌っているようで
砂漠を旅する
同好の二人が
共に苦しみ
励まし合うものの
渇きは癒されることのない状態がつづき

私の伴侶は私に嘆き、
伴侶の嘆きに私は嘆き、

仕舞いには
対立が生まれてしまうかもしれない
そんなピンチさえが予感されて……

しかし、
そんなことのないように!
と祈る詩人が登場して
その声が浮かび上がって
無理やりに
この詩を終わらせた感じで
終わります

 *
 砂漠の渇き

1
私の胃袋は、金の叫びを揚げた。
水筒の中にはもはや、一滴の水もなかつた。

私は砂漠の中にゐた。
私の胃袋は金の叫びを揚げた。

しかし私は悲しみはしなかつた。
私はどこかに猶オアシスを探さうと努力してゐた。

けれども其の時私の伴侶の、
途方に暮れた顏をみては私は悲しくなつた。

「ああ、渇く。辛いな」と私は云つた。
「辛いな、辛いな」。

そしてはや、私はオアシスのことは忘れてゐた。
私は私の伴侶への心づかひで一杯だつた。

日は光り、砂は焦げ、空はグルグル廻(ま)つた。
私は私の伴侶への心づかひで一杯だつた。

2

私達二人は渇いてゐた。
しかし差当りどうすることも出来なかつた。

私は努力しながら、
しかし、奇蹟を信じてゐた。

そして私は伴侶のためには、
やがて冗談口を叩きはじめた。

私は莫迦げきつたことを、さも呑気さうに語りながら、
遇には伴侶を笑はせることに成功した。

でもその都度、ともするとつのりゆく私の渇きは、
私の冗談口を裏切つた。

伴侶は険しい目付で其の時私を見守つた。
おまへの冗談口なぞ、あまり似つかはしくないよとばかり。

しかし我々は差当り渇きをどうしやうもなかつた。
私は祈る代りのやうに、冗談口を叩いてゐた。

3

日は光り、私は渇き、
地平はみえず。

わたくしの、理性はいまだ
狂ひもえせず。

私の伴侶は私に嘆き、
伴侶の嘆きに私は嘆き、

日は光り、空気は蒸れて、
足重く、倒れんばかり。

4

私はかくて死にゆくのだが、
しかし伴侶をいたみながらだ。

5

「対立」の概念の、去らんことを!

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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