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2010年3月 6日 (土)

早大ノート以外の1932年詩篇<9>修羅街挽歌 其の二

6669

「彼の口にするのは、離反した友人たちの名であった。」(「中原中也の手紙」所収「中原中也のこと」)

と、親友・安原喜弘が書いた
1932年後半という時期の
中原中也の孤立した状況は、
「お会式の夜」
「蒼ざめし我の心に」
(辛いこつた辛いこつた!)から
測り知ることができますが、
もっとも激しい調子を持つのが
「修羅街挽歌 其の二」です。

2008年10月31日付け本欄で
「憤怒」のタイトルで一度読みましたが
今ここで読み直しても
受け止め方に特に変るものはありません

第1章は、
「友に与うる書」です
自分から去った友へ
呼びかける口調はか弱く
遠慮がちにはじまります……

暁は、紫の色、
明け初めて
わが友等みな、
我を去るや……
否よ否、
暁は、紫の色に、
明け初めてわが友等みな、
一堂に、会するべしな。

友らは私から去って
どこかで
集まっているようだな

弱き身の、
強がりや怯(おび)え、おぞましし
弱き身の、弱き心の
強がりは、猶(なお)おぞましけれど
恕(ゆる)せかし 弱き身の
さるにても、心なよらか
弱き身の、心なよらか
折るることなし。

どうせか弱き人間のことよ
強がり
おびえ……
折れ合う心もないのであろうよ

第2章は、
「ゴムマリの歌」に転じます 

詩人がゴムマリか
友人たちがゴムマリか
たぶん
詩人はゴムマリのように扱われたことがあり
いまゴムマリになってみて
ゴムマリを代弁します

ゴムマリか、なさけない
ゴムマリか、なさけない
ゴムマリは、キャラメル食べて
ゴムマリは、ギツダギダギダ
ゴムマリは、ころべどころべど
ゴムマリはゴムのマリなり
ゴムマリを待つは不運か
ゴムマリは、涙流すか
ゴムマリは、ころんでいって、
ゴムマリは、天寿に至る
ゴムマリは、天寿に至り
ゴムマリは天寿のマリよ

第3章は、
Ⅲと章番号だけの無題ですが、
ゴムマリを分析しています

ゴムマリにも色々あり
みんな人であることに変りはない、と
ゴムマリのスタンスをとります

第4章は、
Ⅳの章番号だけの無題ですが、
僕の主張になります

僕にも非があったが
僕の友にも非があった
と歌い
でもまあいい、もうすんだこと
と、終わったことにしますが、

最後には、
君等 また はやぎめで顔見合わせて嬉しがらずに呉(く)れ。
と、
君たち、
早合点して
みんなで顔を見合わせて
嬉しがらずにいてくれよ
と、
注文をつけるのです

詩人も
あくまで
妥協しないのです

 *
 修羅街挽歌 其の二

Ⅰ 友に与うる書

暁は、紫の色、
明け初めて
わが友等みな、
我を去るや……
否よ否、
暁は、紫の色に、
明け初めてわが友等みな、
一堂に、会するべしな。
弱き身の、
強がりや怯(おび)え、おぞましし
弱き身の、弱き心の
強がりは、猶(なお)おぞましけれど
恕(ゆる)せかし 弱き身の
さるにても、心なよらか
弱き身の、心なよらか
折るることなし。

Ⅱ ゴムマリの歌 

ゴムマリか、なさけない
ゴムマリか、なさけない
ゴムマリは、キャラメル食べて
ゴムマリは、ギツダギダギダ
ゴムマリは、ころべどころべど
ゴムマリはゴムのマリなり
ゴムマリを待つは不運か
ゴムマリは、涙流すか
ゴムマリは、ころんでいって、
ゴムマリは、天寿に至る
ゴムマリは、天寿に至り
ゴムマリは天寿のマリよ

強がつたこころといふものが、
それがゴムマリみたいなものだといふことは分かる
ゴムマリといふものは
幼稚園ではある
ゴムマリといふものが、
幼稚園であるとはいへ
幼稚園の中にも亦(また)
色んな童児があらう
金色の、虹の話や
蒼窮(そうきゅう)を歌ふ童児、
金色の虹の話や、
蒼窮を、語る童児、
又、鼻ただれ、眼はトラホーム、
涙する、童児もあらう
いづれみな、人の姿ぞ
いづれみな、人の心の、折々の姿であるぞ

僕が、妥協的だと思つては不可(いけ)ない
僕は、妥協する、わけではない

僕には、たくらみがないばかりだ
僕の心持は、どう変りやうもありはしない

僕の心持が、ときどきとばつちることはあつたが
それは僕の友が、少々つれなかつたからでもあつた

もちろん僕が、頑(かたく)なであつたには相違ないが、
それにしても、君等、少々冷淡であつた。

風の中から僕が抜け出て来た時
一寸(ちょっと)ばかり、唇(くち)が乾いてゐたとて
一寸ばかり、それをみてさへくれれば、
僕も猶和やかであつたろう

でもまあいい、もうすんだこと
これからは、僕も亦猶
ヒステリックになるまいゆゑに
君等 また はやぎめで顔見合わせて嬉しがらずに呉(く)れ。

(「中原中也全詩集」角川ソフィア文庫より)

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