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2010年4月27日 (火)

草稿詩篇1933―1936<6>(とにもかくにも春である)

_4262533

(とにもかくにも春である)は
4節で構成される力のこもった作品で
詩の冒頭、第1節には
「此の年、三原山に、自殺する者多かりき。」という
エピグラフが置かれています

「草稿詩篇(1933年―1936年)」の
2番目にある「小唄」で、
三原山の自殺を歌ったのは
1933年2月17日で、
2か月少し経っているだけですから
詩人の関心は4月になっても
持続していたということになります

第2節のエピグラフは
「パツパ、ガーラガラ、ハーシルハリウーウカ、ウハバミカー
キシヤヨ、キシヤヨ、アーレアノイセイ」

第3節はエピグラフがなく
第4節は、
「おゝ、父無し児、父無し児」が
それぞれ付されていて
各節は▲で区切られている作品です

旧全集編集では
(形式整美のかの夢や)
(風が吹く、冷たい風は)と
一体の作品と考えられていましたが、

いいだもも宅から発見された草稿や
安原喜弘宛の書簡(1933年4月25日付)に
同封された本篇などを
再考証した結果、
それぞれ独立した作品として
扱われることになりました

第1節で
三原山の自殺のニュースを
エピグラフとするスタンスは
第2節以降
三原山から離れているように見えながらも
堅持されます

第4節のエピグラフ
「おゝ、父無し児、父無し児」は、
詩人の視線が
自殺者が残したものへと向かい
やがて
残された者に成り代わって
詩人は歌いはじめるものだ、と
その瞬間を歌い
その経緯を歌い
詩人としての決意が表明されているかのように
読み取れなくもないのですが……

決意の表明にしては
その口調は
沈鬱(ちんうつ)であり
元気がありません

 *
(とにもかくにも春である)

         ▲

                此の年、三原山に、自殺する者多かりき。

 とにもかくにも春である、帝都は省線電車の上から見ると、トタン屋根と桜花(さくらばな)とのチヤンポンである。花曇りの空は、その上にひろがつて、何もかも、睡がつてゐる。誰ももう、悩むことには馴れたので、黙つて春を迎へてゐる。おしろいの塗り方の拙(まず)い女も、クリーニングしないで仕舞つておいた春外套の男も、黙つて春を迎へ、春が春の方で勝手にやつて来て、春が勝手に過ぎゆくのなら、桜よ咲け、陽も照れと、胃の悪いやうな口付をして、吊帯にぶる下つてゐる。薔薇色(ばらいろ)の埃りの中に、車室の中に、春は来、睡つてゐる。乾(ひ)からびはてた、羨望(せんぼう)のやうに、春は澱(よど)んでゐる。

        ▲

        パツパ、ガーラガラ、ハーシルハリウーウカ、ウハバミカー
        キシヤヨ、キシヤヨ、アーレアノイセイ

十一時十五分、下関行終列車
窓から流れ出してゐる燈光(ひかり)はあれはまるで涙ぢやないか
送るもの送られるもの
みんな愉快げ笑つてゐるが

旅といふ、我等の日々の生活に、
ともかくも区切りをつけるもの、一線を劃(かく)するものを
人は喜び、大人なほ子供のやうにはしやぎ
嬉しいほどのあはれをさへ感ずるのだが、

めづらかの喜びと新鮮さのよろこびと、
まるで林檎の一と山ででもあるやうに、
ゆるやかに重さうに汽車は運び出し、
やがてましぐらに走りゆくのだが、

淋しい夜(よる)の山の麓、長い鉄橋を過ぎた後に、
――来る曙は胸に沁(し)み、眺に沁みて、
昨夜東京駅での光景は、
あれはほんとうであつたらうか、幻ではなかつたらうか。

        ▲

闇に梟(ふくろう)が鳴くといふことも
西洋人がパセリを食べ、朝鮮人がにんにくを食ひ
我々が葱(ねぎ)を常食とすることも、
みんなおなしやうなことなんだ
秋の夜、
僕は橋の上に行つて梨を囓(かじ)つた
夜の風が
歯茎にあたるのをこころよいことに思つて

寒かつた、
シャツの襟(えり)は垢(あか)じんでゐた
寒かつた、
月は河波に砕けてゐた

        ▲

        おゝ、父無し児、父無し児
 雨が降りさうで、風が凪(な)ぎ、風が出て、障子が音を立て、大工達の働いてゐる物音が遠くに聞こえ、夕闇は迫りつつあつた。この寒天状の澱んだ気層の中に、すべての青春的事象は忌(いま)はしいものに思はれた。
 落雁を法事の引物にするといふ習慣をうべなひ、権柄的気六ヶ敷(けんぺいてききむずかし)さを、去(い)にし秋の校庭に揺れてゐたコスモスのやうに思ひ出し、やがて忘れ、電燈をともさず一切構はず、人が不衛生となすものぐさの中に、僕は溺れペンはくづをれ、黄昏(たそがれ)に沈没して小児の頃の幻想にとりつかれてゐた。
 風は揺れ、茅(かや)はゆすれ、闇は、土は、いぢらしくも怨めしいものであつた。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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