草稿詩篇1933―1936<1>(あゝわれは おぼれたるかな)
(あゝわれは おぼれたるかな)は
未定稿ですから
タイトルも仮のもので
連の構成も未完成と推定されていて
2連の詩として表記されることになっています
(角川版全集編集委員会)
いずれは
4-4-3-3のソネットへ
作り上げられる予定であったことが推定されるものの
断言はできず
2連の詩と見做されているのです
この詩は
「朝の歌」の第3次形態が記された
原稿用紙の裏に
鉛筆で書かれているということですから
俄(にわ)かに
第一詩集「山羊の歌」に占める
「朝の歌」という作品、
いや、
中原中也という詩人の詩業に占める
「朝の歌」という作品の大きさに思い致し
その草稿の裏に書かれ詩なのだ
ということに
襟をたださずにはいられません
襟をたださなくとも
おやっと、目を向けざるを得ません
「朝の歌」は
第3次形態に
わずかの修正を加えただけで
印刷用の草稿に書き直され
「山羊の歌」に収録されました(第4次形態)
その、第3次形態の「朝の歌」」が書かれた
原稿用紙の裏に
(あゝわれは おぼれたるかな)は書かれた
ということは
「朝の歌」にてほゞ方針立つ。方針は立つたが、たつた十四行書くために、こんな手数がかかるのではとガツカリす」(詩的履歴書)
と後に、詩人が回想した
「詩を作る苦闘」の
陽の目を見た「朝の歌」と
陽の目を見なかった(あゝわれは おぼれたるかな)
というとらえ方ができるという意味で
興味深いのです
(あゝわれは おぼれたるかな)は
14行の詩、ソネットへの途中で
詩人がいったん放棄した詩ということになります
「朝の歌」は自他ともに認める作品になりましたが
その陰に
陽の目を見なかった
(あゝわれは おぼれたるかな)という作品があります
陽の目を見なかった作品が
このように
未発表詩篇には
犇(ひしめ)いています
*
(あゝわれは おぼれたるかな)
あゝわれは おぼれたるかな
物音は しづみゆきて
燈火(ともしび)は いよ明るくて
あゝわれは おぼれたるかな
母上よ 涙ぬぐひてよ
朝(あした)には 生みのなやみに
けなげなる小馬の鼻翼
紫の雲の色して
たからかに希(ねが)ひはすれど
たからかに希ひはすれど
轣轆(れきろく)と轎(くるま)ねりきて
――――――――――――
澄みにける羊は瞳
瞼(まぶた)もて暗きにゐるよ
――――――――――――
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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