草稿詩篇1933―1936<3>早春散歩
空は晴れてても、建物には蔭があるよ、
とはじまる「早春散歩」は、
冬が去り
ようやく春めいた季節の
ある晴れた日の昼下がりか
強い風が
心待ちにしていた春の訪れを喜ぶ気持ちを
薄絹かハンカチかを吹き散らすかのように
こっぱみじんにして吹いている
早春の情景を描いているようで
すでに
詩人の抱いている感懐を
1行でほのめかします
私はもう、まるで過去がなかつたかのやうに
と、ほんとうのところは
いろいろな出来事を経験した詩人なのに
何ものもなかったかのように
風の中を
吹き過ぎていく
詩人が吹き過ぎていく! のです
異国人の眼差しして
確固として
隙間風にさえ吹かれて消えてしまうもののように
春なのに
詩人の心を淋しくするものは消えやらず
今年も春を迎えて
ゆるやかに
春が訪れたのだということを
土手を歩きながら
遠くの空を眺めながら
ぼくは思い
そう思うことにも慣れてしまって
ぼくは……
特定の何それという事象を超えて
春先の「ものうい感情」が伝わってきますが
弟の死を歌った
「死別の翌日」の呼吸や声調が流れ込んでいる
と読み取る
詩人中村稔のような評者もいます
*
早春散歩
空は晴れてても、建物には蔭があるよ、
春、早春は心なびかせ、
それがまるで薄絹ででもあるやうに
ハンケチででもあるやうに
我等の心を引千切り
きれぎれにして風に散らせる
私はもう、まるで過去がなかつたかのやうに
少なくとも通つてゐる人達の手前さうであるかの如くに感じ、
風の中を吹き過ぎる
異国人のやうな眼眸(まなざし)をして、
確固たるものの如く、
また隙間風にも消え去るものの如く
さうしてこの淋しい心を抱いて、
今年もまた春を迎へるものであることを
ゆるやかにも、茲に春は立返つたのであることを
土の上の日射しをみながらつめたい風に吹かれながら
土手の上を歩きながら、遠くの空を見やりながら
僕は思ふ、思ふことにも慣れきつて僕は
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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