カテゴリー

2022年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 草稿詩篇1933―1936<4>(形式整美のかの夢や) 高橋新吉に | トップページ | 草稿詩篇1933―1936<6>(とにもかくにも春である) »

2010年4月27日 (火)

草稿詩篇1933―1936<5> (風が吹く、冷たい風は)

_4262528

(風が吹く、冷たい風は)は、
旧全集では
(形式整美のかの夢や)と
(とにもかくにも春である)との間にあり
この3篇が一体の作品であると考えられていましたが
新全集編集以来、
3篇はそれぞれ独立した作品と
見做されるようになりました

とはいうものの
この詩が
(とにもかくにも春である)の第2節へと
改稿されていったことが容易に推測され、
3篇は無関係に別個の作品ではありません

(とにもかくにも春である)の第2節は、
以下の通りです

        パツパ、ガーラガラ、ハーシルハリウーウカ、ウハバミカー
        キシヤヨ、キシヤヨ、アーレアノイセイ

十一時十五分、下関行終列車
窓から流れ出してゐる燈光(ひかり)はあれはまるで涙ぢやないか
送るもの送られるもの
みんな愉快げ笑つてゐるが

旅といふ、我等の日々の生活に、
ともかくも区切りをつけるもの、一線を劃(かく)するものを
人は喜び、大人なほ子供のやうにはしやぎ
嬉しいほどのあはれをさへ感ずるのだが、

めづらかの喜びと新鮮さのよろこびと、
まるで林檎の一と山ででもあるやうに、
ゆるやかに重さうに汽車は運び出し、
やがてましぐらに走りゆくのだが、

淋しい夜(よる)の山の麓、長い鉄橋を過ぎた後に、
――来る曙は胸に沁(し)み、眺に沁みて、
昨夜東京駅での光景は、
あれはほんとうであつたらうか、幻ではなかつたらうか。

(風が吹く、冷たい風は)が、
1933年4月25日付け安原喜弘宛の書簡に
「つまらない詩を同封します」と記され
添付された詩が
(とにもかくにも春である)であり
だから、
この前日の1933年(昭和8年)4月24日に
制作されたと推定されているのです

詩人は
同年3月21日に山口に帰省し
4月6日の夜、
東京に戻っています

第2連
僕の希望も悔恨も
もう此処(ここ)までは従(つ)いて来ぬ

には、「戦士の休暇」を思わせる安堵感が現れ
東京は「戦場」であり
その戦場を離れた戦士が
昨日の東京駅の雑踏を思い返して
昨日は何をしたらうか日々何をしてゐたらうか
皆目僕は知りはせぬ

と、一種、ふて腐れた感じで
無関係を装っている節があります

やがては戻る東京ですが
この時
一瞬でも忘れていたい気持ちがあったことは間違いなく
希望も悔恨も
いっしょくたになくなって
胸平板のうれしさよ
とまで、詩人に言わせたのでした

 *
 (風が吹く、冷たい風は)

      ▲
風が吹く、冷たい風は
窓の硝子(ガラス)に蒸気を凍りつかせ
それを透かせてぼんやりと
遠くの山が見えまする汽車の朝

僕の希望も悔恨も
もう此処(ここ)までは従(つ)いて来ぬ
僕は手ぶらで走りゆく
胸平板のうれしさよ

昨日は何をしたらうか日々何をしてゐたらうか
皆目僕は知りはせぬ
胸平板のうれしさよ

(汽車が小さな駅に着いて、散水車がチヨコナンとあることは、小倉服の駅員が寒さうであることは、
幻燈風景
七里結界に係累はないんだ)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

« 草稿詩篇1933―1936<4>(形式整美のかの夢や) 高橋新吉に | トップページ | 草稿詩篇1933―1936<6>(とにもかくにも春である) »

041中原中也/未発表詩篇のすべて」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 草稿詩篇1933―1936<5> (風が吹く、冷たい風は):

« 草稿詩篇1933―1936<4>(形式整美のかの夢や) 高橋新吉に | トップページ | 草稿詩篇1933―1936<6>(とにもかくにも春である) »