カテゴリー

2022年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 草稿詩篇1933―1936<11>蝉 | トップページ | 草稿詩篇1933―1936<13>夏過(あ)けて、友よ、秋とはなりました »

2010年4月30日 (金)

草稿詩篇1933―1936<12>夏(なんの楽しみもないのみならず)

7765_2

「夏(なんの楽しみもないのみならず)」は、
「虫の声」
「怨恨」
「怠惰」
の3篇と、
書かれた原稿用紙
筆記具
インク
筆跡が同じものと考証されている作品。

制作日だけみると、
「虫の声」、8月9日
「怨恨」、8月9日
「怠惰」、8月10日
「夏」、8月15日と
1週間足らずで
4篇作ったことになります

「夏」は、
「怠惰」の終わりの、
僕は寝ころびたいのだよ、
とか
目をつむつて蝉が聞いてゐたい!――森の方……
につらなる
「倦怠の旋律」が歌われ

冒頭の、
なんの楽しみもないのみならず
悲しく懶い(ものうい)日は日毎続いた。
日を転ずれば照り返す屋根、
木々の葉はギラギラしてゐた。

は、「山羊の歌」の中の
「少年時」の終わり、

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……

に、ワープしたかのような
既視感(デジャブ)を覚えるフレーズです
しかし、それはつかの間、

噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた!

と、命の燃焼が歌われたのとは違って
このような夏が繰り返され
いま

心は海に、帆をみることがなかつた。
漁師町の物の臭(にお)いと油紙(あぶらがみ)と、
終日陽を受ける崖とは私のものであつた。

の状態であり、

可愛い少女の絨毛(わくげ)だの、パラソルだの、
すべて綺麗でサラサラとしたものが、
もし私の目の前を通り過ぎたにせよ、そのために
私の眼が美しく光つたかどうかは甚だ(はなはだ)疑はしい。

という、感動のない日々なのです

夕方までには浜には着かうこの小舟。
という、安泰の日々は

偶々(たまたま)に、過ぎゆく汽船の甲板からは
たまたま通りがかった汽船の甲板から見ると

ちっちゃな風呂敷包みが
ころがっているようで
面白そうなのです
それで
あきずに眺めているわけなのです

風よ
願わくば
吹いておくれよ
風よ吹け

詩人は
安泰を怖れ
風の族(カゼノヤカラ)を
待望している様子です

 *
 夏

なんの楽しみもないのみならず
悲しく懶い(ものうい)日は日毎続いた。
目を転ずれば照り返す屋根、
木々の葉はギラギラしてゐた。

雲はとほく、ゴボゴボと泡立つて重なり、
地平の上に、押詰つてゐた。
海のあるのは、その雲の方だらうと思へば
いぢくねた憧れが又一寸(ちよつと)擡頭(たいとう)する真似をした。

このやうな夏が何年も何年も続いた。
心は海に、帆をみることがなかつた。
漁師町の物の臭(にお)いと油紙(あぶらがみ)と、
終日陽を受ける崖とは私のものであつた。
可愛い少女の絨毛(わくげ)だの、パラソルだの、
すべて綺麗でサラサラとしたものが、
もし私の目の前を通り過ぎたにせよ、そのために
私の眼が美しく光つたかどうかは甚だ(はなはだ)疑はしい。

――今は天気もわるくはないし、暴風の来る気配も見えぬ、
よつぽど突発的な何事かの起らぬ限り、
だから夕方までには浜には着かうこの小舟。
天心に陽は熾り(さかり)、櫓の軋(きし)る音、鈍い音。
偶々(たまたま)に、過ぎゆく汽船の甲板からは
私の舟にころがつたたつた一つの風呂敷包みを、
さも面白さうに眺めてござる
エー、眺めてゐるではないかいな。

     波々や波の眼(まなこ)や、此の櫂や
     遠(をち)に重なる雲と雲、
     忽然(こつぜん)と吹く風の族、
     エー、風の族、風の族
          (一九三三・八・一五)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

 

« 草稿詩篇1933―1936<11>蝉 | トップページ | 草稿詩篇1933―1936<13>夏過(あ)けて、友よ、秋とはなりました »

041中原中也/未発表詩篇のすべて」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 草稿詩篇1933―1936<12>夏(なんの楽しみもないのみならず):

« 草稿詩篇1933―1936<11>蝉 | トップページ | 草稿詩篇1933―1936<13>夏過(あ)けて、友よ、秋とはなりました »