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2010年4月30日 (金)

草稿詩篇1933―1936<13>夏過(あ)けて、友よ、秋とはなりました

「夏過(あ)けて、友よ、秋とはなりました」は、
「夏(なんの楽しみもないのみならず)」から
1週間後(8月21日)に
「燃える血」
「夏の記臆」とともに作られました

8月初旬が立秋ですから
暦の上ではとうに秋ですし
「虫の声」
「怨恨」
「怠惰」
「夏(なんの楽しみもないのみならず)」の
4作が作られたのも
すべて暦上の秋ではありますが……

8月21日ともなると、
秋は目に見えて秋らしくなり
初旬の
「目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」の
かすかな秋の気配とは
いちだんと異なってきて
実感的に秋めきます

行く夏を惜しむ感情が
詩人にも抱かれたのでしょうか
一夏の経験を
語る物語の詩が
まず作られ
思い出は少年時代に飛び
また近い夏へと戻ります

3篇続く思い出の歌の
一番目、

ねえ、聞いてくれる?
僕が、この夏、どこにいたか――

僕は、島にいたんだ、小さな漁村だった
そこで、
散歩したり、
舟に乗って酒を飲んだり、
たくさんの詩を読んだり、
何にも煩わされない時間を過ごしたよ

この夏
詩人がどこかの島へ行ったという
記録は残されていません
島は
架空の
外界から孤絶した場所を示し
特定のどこそこでなくてよく
どこであってもいいのです

全般に充実した時だったけど
時には、ひどく退屈し、
無性に君たちと会いたくなったよ
でも
君たちとの長々しい会合、
だらだらとした終わりのない会合、
飲みたくもないのに飲み、
話したくもないのに話さなければならない辛さを思い出し、
やっぱり
会わなくていいんだと
僕は僕の脆弱な気持ちをなだめすかして
押え込んでいたのさ

そんな時には勉強できなかった
散歩もできなかった
酒場に出かけた
青と赤のまざったけばけばしい酒場で
ジンをあおって
しまいには悪酔いして
テーブルにうつぶしてしまった

ある夜には
浜辺で舟にもたれて
波間に輝いている月を見た
遠くのほうの空が凄まじく(美しく)
舟のそばでは虫が鳴いていた

僕は思いっきりのんびりと
夢をみていた
その時の波の音がまだ耳に残っているよ

(ここで1節は終わり、現在に時制転換します)

暗い庭で虫が鳴き、
雨まじりの風が吹いている
僕は書斎にいます
またここへ帰ってきた

靄に乗って
死者が
地平のほうから書斎の窓の下まで来て
ああ、かわいそうに
顔を合わせるのを恥ずかしがっているように思える
死者たちは、
いったいどうしてしまったのだろうか

過ぎた夏よ
島の夜々よ
お前は、一種、血みどろの思い出
でも、すがすがしく懐かしい思い出
印象に残るのに、
ほんとうにあったのかと、疑いたくなるような思い出
分かっていながら、
いまさらのように、
ああ、やはり、本当のことだったのだと
あらためて驚くような思い出

 *
 夏過(あ)けて、友よ、秋とはなりました

友達よ、僕が何処にゐたか知つてゐるか?
僕は島にゐた、島の小さな漁村にゐた。
其処(そこ)で僕は散歩をしたり、舟で酒を呑んだりしてゐた。
又沢山の詩も読んだ、何にも煩(わずら)はされないで。

時に僕はひどく退屈した、君達に会ひたかつた。
しかし君達との長々しい会合、その終りにはだれる会合、
飲みたくない酒を飲み、話したくないことを話す辛さを思ひ出して
僕は僕の惰弱な心を、ともかくもなんとか制(おさ)へてゐた。

それにしてもそんな時には勉強は出来なかつた、散歩も出来なかつた。
僕は酒場に出掛けた、青と赤との濁つた酒場で、
僕はジンを呑んで、しまひにはテーブルに俯伏(うつぶ)してゐた。

或る夜は浜辺で舟に凭(すが)つて、波に閃(きら)めく月を見てゐた。
遠くの方の物凄い空。舟の傍では虫が鳴いてゐた。
思ひきりのんびり夢をみてゐた。浪の音がまだ耳に残つてゐる。

暗い庭で虫が鳴いてゐる、雨気を含んだ風が吹いてゐる。
茲(ここ)は僕の書斎だ、僕はまた帰つて来てゐる。
島の夜が思ひ出される、いつたいどうしたものか夏の旅は、
死者の思ひ出のやうに心に沁(し)みる、毎年々々、

秋が来て、今夜のやうに虫の鳴く夜は、
靄(もや)に乗つて、死人は、地平の方から僕の窓の下まで来て、
不憫(ふびん)にも、顔を合はすことを羞(はず)かしがってゐるやうに思へてならぬ。
それにしても、死んだ者達は、あれはいつたいどうしたのだらうか?

過ぎし夏よ、島の夜々よ、おまへは一種の血みどろな思ひ出、
それなのにそれはまた、すがすがしい懐かしい思ひ出、
印象は深く、それなのに実際なのかと、疑つてみたくなるやうな思ひ出、
わかつてゐるのに今更のやうに、ほんとだつたと驚く思ひ出!……
                 (一九三三・八・二一)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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