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2010年4月13日 (火)

千葉寺雑記の詩篇<3>泣くな心

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昭和12年(1937)2月7日から8日の間に
制作されたと推定されている
「泣くな心」は、
結果的には
2月15日に退院する詩人が
退院許可が下りないことに苛立ち
退院を切望する理由を
詩の形にしたものです

詩を読んでみましょう

私は17歳のときに、はじめて都会に出た
私はなにもできないわけではなかった
しかし、私が思う存分に出来る仕事があり
それは誰にでも出来る、通俗な仕事ではなかった

誰も自分が積み上げてきた経歴を放棄して
後戻りしようなんて思わないだろう
ということで、運を天に任せて、ますます自分が出来る仕事だけをした
そうして10数年の歳月が過ぎた
母だけは独り故郷で気を揉んでいた

私はそれを気の毒だと思った
しかしどうすることも出来なかった
私自身もそれで気を揉むことがあった
そのために友達と会っていても急に気がそっちのほうに行っていることがあった

そんなことだから、どうもあいつはくさいと思われたこともあった
後になっていつも了解して貰えたけれど。
しかしそうこうしているうち母のことで気を揉むことはとうとう私のくせになった
そうであるから私は憂鬱な男とみなされるようになった

そうであるから褒められるのは作品ばかり
人間はどうもつき合いにくいと思われることもよくあった
それは誤解だとばかり私は弁解に努めた
そうしてなおさら嫌われることにもなった

そうこうしていうるちに子どもを亡くした
私はこればかりには参ってしまった
その挙句が今度の神経衰弱
なんとも面目ないことでございます

今はもう治療が功を奏して大体何もかも分かり
さて今度こそはほがらかに本業に立ち返りたいと思っても
予後の養生のためなのか
まだ退院の許可が出ず

日々訓練作業で心身の鍛錬をしているが
もともと実生活人のための訓練作業なので
まがりなりにも詩人である小生には
えてしてひょっとこ踊りの材料にしかなりませんわな

なにしろ芸術というものは、いわば人が働いている時にはそれを眺め
人が休んでいる時になってはじめて仕事がはじまるもの
人が働く時にその働く真似をしているようでは
とんだ喜劇にしかなりません、しかしながら

これも何かの決まりなのかと
出来る限り努力して
そんな具合に努力するのは
本業の詩のためには何の役にたつことか

たった少し自分に出来ることをも
減らしてしまうのではないかと
時には杞憂におちいることもあるけれど
院長に話すのは恐れ入ることだし

万事は前世の決まりなのかと
ばあさんの言葉もじっくり味わい
こうして未だに患者生活
「泣くな心よ、怖るな心」
……
……
……

こうして読んでみると
難解な語句一つもなく
出来得る限りのやさしい言葉で
だれにでも伝わるように
書かれていることがわかります

それに加えて
この詩には
追記なるものが添えられていて

母を悪く言うのではないが
母の愛情も過ぎれば害を生むこともある、と
詩の中で言わなかったことを
吐露します

ついに
吐露してしまう
という感じです

まだ入院中のことですから
おとなしくしていなければならない身でした

母君よ涙のごひて見給へな
 われはもはやも病ひ癒えたり

と、数日前(推定)に作った歌5首の
最後には
母を歌った詩人でした

 *
 泣くな心

私は十七で都会の中に出て来た。
私は何も出来ないわけではなかつた。
しかし私に出来るたつた一つの仕事は、
あまり低俗向ではなかつた。

誰しも後戻りしようと願ふ者はあるまい、
そこで運を天に任せて、益々(ますます)自分に出来るだけのことをした。
さうして十数年の歳月が過ぎた。
母はたゞ独りで郷(くに)で気を揉んでゐた。

私はそれを気の毒だと思つた。
しかしそれをどうすることも出来なかつた。
私自身もそれで気を揉む時もあつた。
そのために友達と会つてても急に気がその方に移ることもあつた。

そのうちどうもあいつはくさいと思はれた時もあつた。
あとでは何時(いつ)でも諒解(りょうかい)して貰へたが。
しかしそのうち気を揉むことは遂に私のくせとなつた。
由来憂鬱(ゆううつ)な男となつた。

由来褒められるとしても作品ばかり。
人間はどうも交際(つきあ)ひにくいと思はれたことも偶(たま)にはあつた。
それは誤解だとばかり私は弁解之(これ)つとめた。
さうして猶更(なおさら)嫌はれる場合もあつた。

さうかうするうちに子供を亡くした。
私はかにかくにがつかりとした。
その挙句が此度の神経衰弱、
何とも面目ないことでございます。

今もう治療奏効して大体何もかも分り、
さてこそ今度はほがらかに本業に立返りたいと思つても、
余後の養生のためなのか、
まだ退院のお許しが出ず、

日々訓練作業で心身の鍛練をしてをれど、
もともと実生活人のための訓練作業なれば、
まがりなりにも詩人である小生には、
えてしてひよつとこ踊りの材料となるばかり。

それ芸術といふものは、謂(い)はば人が働く時にはそれを眺め、
人が休む時になつてはじめて仕事のはじまるもの、
人が働く時にその働く真似をしてゐたのでは、
とんだ喜劇にしかなりはせぬ、しかしながら、

これも何かの約束かと、
出来る限りは努めてもをれど、
そんな具合に努めることは、
本業のためにはどんなものだか。

たつた少しの自分に出来ることを、
減らすことともなるではあるまいかと
時には杞憂(きゆう)も起るなれど、
院長に話すは恐縮であるし

万事は前世の約束なのかと、
老婆の言葉の味も味はひ、
かうして未だに患者生活、
「泣くな心よ、怖るな心」か。

追記、詩は要するに生活側より云へば観念的現実なれば、実生活的現実には非(あらざ)れど、聊(いささ)か弁解を加え置かんこと何れにせよよきことと思へば、左に一言附加へ申す。この詩でみれば、小生院長を怖れゐるかの如く見ゆるかも知れねど、病院迄余を伴ひたる母を怖れるなり。而(しか)も母を悪く思ふどころにはあらね、母のいたつてさばけぬ了見が人様に物申す時、兎角(とかく)事実を尨大(ぼうだい)にすることを怖るなり。これは幼稚園以来のことにて、幼稚園の先生に会ひにゆきて「少しうちの子をひどくして下され」なぞ申すなり。格別小生が悪いのでもなんでもないなり、たゞだよい上にもよくしようとの母の理想派的気性より出づるなり。何のことはない、急に幼稚園の先生がこはい顔したりする日ありけり。考へてみれば前日あたり母が幼稚園に来たのなり。
 母を悪く申すではなけれど、謂はば母のあまりに母らし過ぎたるは及ばざるが如しとか、母の愛も過ぎては、害生ずる時もあり得るなるか。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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