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2010年5月 3日 (月)

草稿詩篇1933―1936<19>(小川が青く光つてゐるのは)

僕は汽車に乗つて、富士の裾野をとほつてゐた。

(小川が青く光つてゐるのは)は
10月の快晴のある日、
富士の裾野を通過する
汽車の窓から見えた風景を歌いました

詩を、一通り読んで後、
どこかで読んだ記憶があると思い返せば

(ポロリ、ポロリと死んでゆく)のエピグラフに、

俺の全身(ごたい)よ、雨に濡れ、 
富士の裾野に倒れたれ 
        読人不詳
とあり、
ここに、「富士の裾野」が出てきました

山口へ帰省する
車中からの眺めでしょうか
それならば
見合いのことが
詩人の脳裏にはあったでしょうか

小さな川が、時々、見えて
青く光っています
あれは
空を映しているから
青いのだ、そうだ

列車が走っていく軌跡が
青く光っているのは
あれは
空を映しているから
青いのだ、そうだ

小川や列車が行くレールが
青白く光る
というのは
すでに、秋が深まり
冷え冷えとした季節の訪れを感じているからでしょうか

だれかが、
あれが青白く光っているのは
空の色を反映しているからだ、と
詩人に伝え
詩人も同調します

しかし、この詩は
それだけのことを
歌っているのではありません

山の彼方(かなた)に、雲はたたずまひ、
山の端(は)は、あの永遠の目ばたきは、
却(かえ)つて一本(ひともと)の草花に語つてゐた。

と、1本の草花へと
視線を誘導します

この草花とは
何の花のことだろうか
ひまわりか
ききょうか
百合の花か
などと考えあぐねますが……

むしろ
あの永遠の目ばたき
とは、何だろうと、
疑問は広がります

死んだ弟・恰三が
山の端に
落ちようとしている太陽の
一瞬、
静止してしまったかのような時間の中に現れて
1本の草花に語りかけている、
のだろうか

「永遠の目ばたき」に冠した
「あの」とは何だろう

さらに次の連の
――葡萄畑(ぶどうばたけ)の、
あの唇黒い老婆に眺めいらるるままに。
の、「唇黒い老婆」とはだれだろう
「あの」とは何だろう
と疑問は深まっていきます

新全集の解説は
中原中也が千駄木八郎の名で翻訳した
ルナールの「オノリーヌ婆さん」が
ここに登場していることを
指摘しています

その老婆に
慈しまれて
葡萄畑に咲いている草花

どうも
この草花こそ
死んだ弟・恰三の化身であるような
象徴化が
行われているらしいのですが……

となると、
秋の日よ! 風よ!
は、自然賛美というより
死者への呼びかけ、
といった趣き(おもむき)を帯びてきます

 *
 (小川が青く光つてゐるのは)

小川が青く光つてゐるのは
あれは、空の色を映してゐるからなんださうだ。

山の彼方(かなた)に、雲はたたずまひ、
山の端(は)は、あの永遠の目ばたきは、
却(かえ)つて一本(ひともと)の草花に語つてゐた。

一本の草花は、広い畑の中に、
咲いてゐた。――葡萄畑(ぶどうばたけ)の、
あの唇黒い老婆に眺めいらるるままに。

レールが青く光ってゐるのは、
あれは、空の色を映して青いんださうだ。

秋の日よ! 風よ!
僕は汽車に乗つて、富士の裾野をとほつてゐた。
                   (一九三三・一〇)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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