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2010年5月 9日 (日)

草稿詩篇1933―1936<22>玩具の賦(昇平に)

0987

「草稿詩篇(1933年―1936年)」中の 1933年制作(推定)詩篇を読み終えて ようやく 1934年に入ります その一番目に 1934.2の日付をもつ 「玩具の賦(昇平に)」があります この詩については 2009年9月7日から10月12日にかけて 「ダダのデザイン」という枠の中で 合計7回にわたって 書きましたが 言い足りなかったことが まだまだたくさん残っている感じがあります 言い足りなかったことの中で 最も重要なことの一つが 「玩具の賦(昇平に)」という詩への ダダイスト辻潤の影響です 「玩具の賦(昇平に)」にある 「玩具」は 辻潤が 読売新聞に寄稿して 1924年(大正13年)7月22日から24日の3日間 連続して掲載された 「惰眠洞妄語」(だみんどうもうご)という標題の論文の中に 書かれてあるのです これを 中原中也はどのようにして読んだのか 「玩具の賦(昇平に)」を制作した 1934年2月に どのような経緯で 「惰眠洞妄語」に書かれた 「芸術は玩具だ」という1節を想起したのでしょうか 約10年の歳月が流れていますが 論文連載時に読んだものか それとも 論文掲載以後に なんらかの理由があって読んだのか わかっていないのですが これを読んだかどうかは別にしても 中原中也が 辻潤の「玩具=芸術論」を 聞き知っていたことは 確かなことでしょう 辻潤は 高橋新吉の詩集「ダダイスト新吉」を編集し 刊行をサポートしたことでも知られる ダダイズムの思想家で 中原中也は 京都時代に「ダダイスト新吉」を読んで ひどく感激し 以後、ダダイストを自称するほどに 強い影響を受けたのですし、 中原中也の 1927年(昭和2年)9月11日の日記には (辻潤を訪問す)と記していて 実際に会っているほどの間柄でもありますし この時の会見によって 「芸術=玩具論」を 知ったのかもしれませんし 真実のところは わかっていませんが 1934年という年に 道化歌が多く書かれたと 大岡昇平らが指摘していることの背景には やはり ダダの影がある ということを証(あか)すものでしょう そのことを証明する作品として 「玩具の賦(昇平に)」は現れました そうであるなら  中原中也の ダダのデザインの 有力な根拠を 「惰眠洞妄語」に見出すことができるというわけで これは大発見になります  *  「玩具の賦(昇平に)」      どうともなれだ 俺には何がどうでも構はない どうせスキだらけぢやないか スキの方を減(へら)さうなんてチャンチャラ可笑(をか)しい 俺はスキの方なぞ減らさうとは思はぬ スキでない所をいつそ放りつぱなしにしてゐる それで何がわるからう 俺にはおもちやが要るんだ おもちやで遊ばなくちやならないんだ 利権と幸福とは大体は混(まざ)る だが究極では混りはしない 俺は混ざらないとこばつかり感じてゐなけあならなくなつてるんだ 月給が増(ふ)えるからといつておもちやが投げ出したくはないんだ 俺にはおもちやがよく分つてるんだ おもちやのつまらないとこも おもちやがつまらなくもそれを弄(もてあそ)べることはつまらなくはないことも 俺にはおもちやが投げ出せないんだ こつそり弄べもしないんだ つまり余技ではないんだ おれはおもちやで遊ぶぞ おまへは月給で遊び給へだ おもちやで俺が遊んでゐる時 あのおもちやは俺の月給の何分の一の値段だなぞと云ふはよいが それでおれがおもちやで遊ぶことの値段まで決まつたつもりでゐるのは 滑稽だぞ 俺はおもちやで遊ぶぞ 一生懸命おもちやで遊ぶぞ 贅沢(ぜいたく)なぞとは云ひめさるなよ おれ程おまへもおもちやが見えたら おまへもおもちやで遊ぶに決つてゐるのだから 文句なぞを云ふなよ それどころか おまへはおもちやを知つてないから おもちやでないことも分りはしない おもちやでないことをただそらんじて それで月給の種なんぞにしてやがるんだ それゆゑもしも此(こ)の俺がおもちやも買へなくなった時には 写字器械奴(め)! 云はずと知れたこと乍(なが)ら おまへが月給を取ることが贅沢だと云つてやるぞ 行つたり来たりしか出来ないくせに 行つても行つてもまだ行かうおもちや遊びに 何とか云へるものはないぞ おもちやが面白くもないくせに おもちやを商ふことしか出来ないくせに おもちやを面白い心があるから成立つてゐるくせに おもちやを遊んでゐらあとは何事だ おもちやで遊べることだけが美徳であるぞ おもちやで遊べたら遊んでみてくれ おまえに遊べる筈はないのだ おまへにはおもちやがどんなに見えるか おもちやとしか見えないだろう 俺にはあのおもちやこのおもちやと、おもちやおもちやで面白いんぞ おれはおもちや以外のことは考へてみたこともないぞ おれはおもちやが面白かつたんだ しかしそれかと云つておまへにはおもちや以外の何か面白いことといふのがあるのか ありそうな顔はしとらんぞ あると思ふのはそれや間違ひだ 北叟笑(にやあツ)とするのと面白いのとは違ふんぞ ではおもちやを面白くしてくれなんぞと云ふんだろう 面白くなれあ儲かるんだといふんでな では、ああ、それでは やつぱり面白くはならない写字器械奴(め)! ――こんどは此のおもちやの此処(ここ)ンところをかう改良(なほ)して来い! トットといつて云つたやうにして来い!                                  (一九三四.二.) (角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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