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2010年5月17日 (月)

草稿詩篇1933―1936<27>詠嘆調

1934年(昭和9年)4月22日の日付をもつ
4篇の詩、
「昏睡」
「夜明け」
「朝(雀の声が鳴きました)」
「狂気の手紙」
を制作してまもなくの1934年5月のある日、
中原中也は
昭和2年(1927年)12月を最後につけるのをやめていた
日記を再開します

大岡昇平は
中原中也のこの日記再開の理由について

こうして文学社会と交際が出来たことから、再び環境との間に摩擦が生じ、種々の感想が生れた。昭和2年以来7年振りで日記をつけはじめる。
(角川文庫「中原中也」所収「中原中也全集解説・日記・評論」)

と記しています。

「文学社会と交際ができた」とは、
近くは、
1933年(昭和8年)末の結婚を機に
四谷区花園町の花園アパートへ
転居したことからはじまった文学的交流のことであり、
ここには主の青山二郎をはじめ、
小林秀雄、河上徹太郎、大岡昇平、中村光夫らが
入れ替わり立ち替わり出入りしてしましたし、
遠くは、
小林秀雄や河上徹太郎らの
文壇での活動や
同人誌「紀元」などへの参加や
「半仙戯」「四季」「日本歌人」などへの
詩の発表を通じて
盛んになった文学的活動のことです

詩作そのものからの必要というより
文学者との交流が広がるに連れて
社会的な摩擦が生じ、
それらを整理し、
記録する必要に迫られて
日記が再開された、
という位置づけになります

「詠嘆調」の制作日は
1934年から1935年前半の間と
幅広く推定されていますから、
日記に書かれた状況との
因果関係を特定するのは
そもそも非常に困難です

ですから
社会との軋轢(あつれき)と
結婚生活の間に生れる
焦燥とか苦悩とか……が
「詠嘆調」に歌われているものとは
一概には言えないものがありまして
冒頭にいきなり飛び出してくる
「悲しみ」は
詩人がそれまでの長い間抱き続けてきたものと
受け取るのが自然でしょう

詩の前半部は
ことさらこの時期の状況から
突然生れたものではない
ずっとこれまでもあった悲しみ
これからもずっと続くものであろう
悲しみを歌います

後半部の
「夜は早く寐(ね)て、朝は早く起きる!」で
パートナーの孝子のものと思われる発言が登場し
俄然、この時期の状況とつながる
生活感覚が現れますが
これもすぐさま、
昔の、小学校の先生の言葉へと
オーバーラップしてゆき、
「夕空霽(は)れて、涼虫(すずむし)鳴く」という
音楽の授業で唱歌を歌った時間へとさかのぼり
次いで
「腰湯がすんだら、背戸(せど)の縁台にいらつしやい。」と
中原家の家族の時間へと移動していきます

こうした時間は
詩人に
意志とは何の、関係もないのでした……
という詠嘆を吐かせるものでした
こうした時間は
いまも……

かくして
悲しみは
長く続いてきたものでしたが
これからはどうなっていくのやら
ああ!

 *
 詠嘆調

悲しみは、何処までもつづく
蛮土の夜の、お祭りのやうに、その宵のやうに、
その夜更のやうに何処までもつづく。

それは、夜と、湿気と、炬火(たいまつ)と、掻き傷と、
野と草と、遠い森の灯りのやうに、
頸(うなじ)をめぐり少しばかりの傷を負はせながら過ぎてゆく、

それは、まるで時間と同じものでもあるのだらうか?
胃の疲れ、肩の凝りのやうなものであらうか、
いかな罪業のゆゑであらうか
この駱駅(らくえき)とつづく悲しみの小さな小さな無数の群は。

それはボロ麻や、腓(ハギ)に吹く、夕べの風の族であらうか?
夕べ野道を急ぎゆく、漂泊の民(たみ)であらうか?
何処までもつづく此の悲しみは、
はや頸を真ッ直ぐにして、ただ諦めてゐるほかはない。……

     ※

「夜は早く寐(ね)て、朝は早く起きる!」
――やるせない、この生計(なりはひ)の宵々に、
煙草吹かして茫然と、電燈(でんき)の傘を見てあれば、
昔、小学校の先生が、よく云つたこの言葉
不思議に目覚め、あらためて、
「夜は早く寐て、朝は早く起きる!」と、
くちずさみ、さてギョッとして、
やがてただ、溜息を出すばかりなり。

「夜は早く寐て、朝は早く起きる!」
「夕空霽(は)れて、涼虫(すずむし)鳴く」
「腰湯がすんだら、背戸(せど)の縁台にいらつしやい。」
思ひ出してはがつかりとする、
これらの言葉の不思議な魅力。
いかなる故にがつかりするのか、
はやそれさへ分りはしない。

「夜は早く寐て、朝は早く起きる!」
僕は早く起き、朝霧よ、野に君を見なければならないだらうか。
小学校の先生よ、僕はあなたを思ひ出し、
あなたの言葉を思ひ出し、あなたの口調を、思ひ出しさへするけれど、
それら悔恨のやうに、僕の心に浸(し)み渡りはするけれど、
それはただ一抹の哀愁となるばかり、
意志とは何の、関係もないのでした……

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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