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2010年5月23日 (日)

草稿詩篇1933―1936<31>悲しい歌

「悲しい歌」は、
はじめ
「悪達者な人にかゝりて」というタイトルでした
1934年11月26日の制作で
まもなく
山口に帰省するのですが
東京でやらねばならない仕事が
山積していましたので
帰りたくても帰れません

どんなに忙しかったか

同年11月15日付け、安原喜弘宛書簡で、
「此の間から二度ばかり(一度は朗読会、一度は出版記念会)に出ましたが、一生懸命飲まないやうにしてゐながらとうとうは一番沢山飲んでしまひました。何しろ来年二月迄毎日二十行づつランボウを訳さねばならぬのですからたまりません 完全に事務です 尤も詩も童話も書いています。」(「新編中原中也全集・第二巻・詩Ⅱ解題篇」より)

と記しているのを読めば
察しがつくというものです

ここに書かれている朗読会こそ
麻布・龍土軒で行われた
「歴程」主催の詩の朗読会のことで
中原中也が
「サーカス」を自ら朗読したことが
よく知られています

出版記念会とは
新宿・白十字で行われた
前奏社主催の
「一九三四年詩集」出版記念会のこと

「一九三四年詩集」は
この年、1934年に発表された
詩作品のアンソロジーで
中也の作品は
「憔悴」が収録されました

この日のことを
中也は、11月13日の日記に
「前奏社一九三四年刊詩集出版記念会に出る。こんな会に出るものではなし」(前掲書より)
と記しました

ランボウは、
建設社の企画で進行していた
「ランボウ全集」全3巻の
第1巻「詩」の翻訳のことで
第2巻「散文」を小林秀雄、
第3巻「書簡」を三好達治
という分担で進んでいました

この翻訳に集中するために
山口に帰省し
年を越しての作業に専念することになりますが
1935年3月から
毎月1巻ずつ刊行の予定だったこの計画は
出版自体が頓挫し
実現されませんでした

1934年11月28日付け、前川佐美雄宛書簡には
「小生ランボウの翻訳にて毎日六時間はつぶれ、へとへとになつてゐます」(前掲書より)
と記しています

以上のほかに
「山羊の歌」の刊行のために
時間を費やしました
装丁を急遽、
高村光太郎に依頼することになり
11月15日から28日の間には
文圃堂書店社主・野々上慶一と直談判し
出版交渉を成立させました

刷り上った詩集を
予約者へと発送し、
寄贈本への署名を終えて
山口へ向ったのは
12月10日の夜でした

四谷・花園アパートに居住中のことです
多くの文学者、芸術家の
出入りがあったことが推察されますし

「歴程」の主宰者、草野心平を通じて
檀一雄を知り
檀を通じて、
太宰治を知ったのもこの頃です

一つひとつの仕事が達成されてゆく、
という歓びや充実感もあったのでしょうが
ひたすらめまぐるしく
遮二無二、動き回っていたというのが
実際だったかもしれません

机に向かい
詩作し
翻訳もしたのです
おそらくこれは
深夜の作業であったでしょう

生まれたばかりの長男・文也を
まだ見ていません

(つづく)

 *
 悲しい歌

こんな悪達者な人にあつては
僕はどんな巻添えを食ふかも知れない
僕には智恵が足りないので
どんなことになるかも知れない

悪気がちつともないにしても
悪い結果を起したら全くたまらない
悪気がちつともないのに
悪い結果が起りさうで心配だ

なんのことはない夢みる男にとつて
悪達者な人は罠(わな)に過ぎない
格別鎌を掛けられるのではないのであつても
鎌を掛けられたことになるのだからかなはない

それを思へば恐ろしい気がする
もう何も出来ない気がする
それかといつて穴に這入(はい)つてもゐられず
僕はたゞだんだんぼんやりして来る
          (一九三四・一一・二六)

 2

あゝ、神様お助け下さい!
これははやどうしやうもございません。
貴方(あなた)のお助けが来ない限りは、
これは、どうしやうもございません。

このどうしやうもないことの理由を
一度は詳しく分解して人に示さうとも考へました
その分解から法則を抽(ひ)き出し纏(まと)め、
人々に教へようとも考へました

又はわたしの遭遇する一々の事象を極めて
明細に描出しようとも考へました
しかし現実は果しもなく豊富で、
それもやがて断念しなければならなくなりました。

それから私はもう手の施しやうもなく、
たゞもう事象に引摺(ひきず)られて生きてゐるのでございますが、
それとて其処(そこ)に落付いてゐるのでもなく、
搗(か)てて加へて馬鹿さの方はだんだん進んで参るのでございます

かくて今日はもう、茲(ここ)に手をついて、
私はもう貴方のお慈悲を待つのでございます
そして手をつくといふことが
どのやうなことだかを今日初めて知るやうなわけでございます。

神様、今こそ私は貴方の御前に額(ぬか)づくことが出来ます。
この強情な私奴(め)が、散々の果てに、
またその果ての遅疑・痴呆の果てに、
貴方の御前に額づくことが出来るのでございます。

  ※

扨(さて)斯様(かよう)に御前に額づいてをりますと、
どうやら私の愚かさも、懦弱(だじゃく)の故(ゆえ)に生ずる悪も分つてくるや
うな気も致します、
然しそれも心許(こころもと)なく、
私は猶如何様(いかよう)にしたらよいものか分りません。

  ※

私はもう泣きもしませぬ
いいえ、泣けもしないのでございます
茲にかうしてストイック風に居りますことも
さして意趣あつてのことではございません

せめてこのやうに足痛むのを堪(こら)へて坐つて、
呆(ほう)けた心を引き立ててゐるやうなものでございます。

  ※

妻と子をいとほしく感じます
そしてそれはそれだけで、どうすることも出来ないし
どうなることでもないと知つて、
どうしようともはや思ひも致しません

而(しか)もそれだけではどうにも仕方がないと思つてをります……

  3

僕は人間が笑ふといふことは、
人間が憎悪を貯(た)めるゐるからだと知つた。
人間が口を開(あ)くと、
蝦茶色(えびちゃいろ)の憎悪がわあツと跳び出して来る。

みんな貯まつてゐる憎悪のために、
色々な喜劇を演ずるのだ。
たゞその喜劇を喜劇と感ずる人と、
極(ご)く当然の事と感ずる馬鹿(ばか)者との差違があるだけだ。

私は見た。彼は笑ひ、
彼は笑つたことを悲しみ、
その悲しんだことをまた大したことでもないと思ひ、
彼はたゞギヨツとしてゐた。

私は彼を賢者だと思ふ
(そしたら私は泣き出したくなつた)

私は彼に、何も云ふことはなかつた
而も黙つて何時まで会つてゐることは危険だと感じた。

私は一散に帰つて来た。

  ※

私はどうしやうもないのです。

  ※

あゝ、どうしやうもないのでございます。

         (一九三四・一一・二六)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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