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2010年5月23日 (日)

草稿詩篇1933―1936<31-2>悲しい歌

「悲しい歌」が作られたのは、
まもなく山口への帰省をひかえた
1934年11月26日のことでした
タイトルははじめ
「悪達者な人にかゝりて」でした

悪達者はワルダッシャと読むのでしょうか
世間知にたけた
世間を渡っていく技術を身につけた
悪賢い=ワルガシコイ者のことですが
「悪」といっても
悪知恵ワルジエがよく働く程度の悪で……

真底には悪気がない悪で
悪意があるのではなく
生きていくために身に着けた
必要悪みたいな悪なので
こんな悪に巻き込まれて
妙な結果になったらたまらない
こんな悪気のない悪で
変な結果になるのは困りものだ

僕みたいに
なんのことはない夢みる男にとって
悪達者な人というのは
単なる罠みたいなもので
鎌をかけられて攻撃されるのではないが
鎌をかけられたと同じになるのだからかなわない

と思うと怖い
何もできない気がしてくる
しかし、穴に入ってもいられないし
逃げられない
気が遠くなりそうになって
ぼんやりと
呆然としてくる

こちらが注意していないと
仕掛けられた罠に
落ち込んでしまう

それは
むき出しの悪意をもって
鎌を振りかざして
こちらを襲ってくるような悪ではないから
怖い
そんな「悪」に気が付くと
逃げるわけにも行かず
余計に怖ろしくなってくる

あゝ、神様お助け下さい!
これではどうにもなりません
あなたのお力を借りなければ
どうしようにもなりません

このどうしようもないことの理由を
一度はことこまかに分解して
人に分かってもらおうとして
示そうと考えました
その分解から法則を引っ張り出してまとめ
人に教えてやろうともしました

またわたしが遭遇する一つひとつの事実を突き詰めて
詳細にわたって描出しようとも考えました
しかし事実というのは果てしもないほど豊富で複雑で
それもやがて断念せざるをえませんでした

それから私はもう手の施しようもなくなり
ただもう事実に引きずられて生きているのでございます
それでもそこに落ち着いちゃっているわけでもなく
それに加えてバカさのほうはだんだん進んでくるので参ってしまうのです

こうして今日はもう、ここに手をついて
私はもうあなたのお慈悲を待つのでございます
そして手をつくということが
どのようなことだかを今日はじめて知ることになるわけでございます

神様、今こそ私はあなたの御前に額ずくことが自然にできるのです
この強情な私めが、散々の果てに
またその果てに疑い深くグズグズして
まるで痴呆のようになってその果てに
あなたの御前に額ずくことが出来るのでございます

さてこのように、御前に額ずいておりますと
どうやら私の愚かさも、
懦弱(だじゃく)のせいで生じてくる悪ということも分かってくる気がします
しかし、それも心もとないもの
私はなおどのようにしてよいのか分からなくなります

私はもう泣きません
いいえ、泣けないのでございます
ここにこうして禁欲的な風にしておりますことも
たいして考え抜いたことでもございません

せめてこのようにして足が痛むのをこらえて座って
バカになった心を引き立てているようなものなのでございます

妻と子のことを愛おしく感じます
それはそれだけのことで、どうすることもできないし
どうなることでもないと知っては
どうしようとも思いません
しかもそれだけではどうにも仕方がないことだとも思っております……

僕は人間が笑うということは
人間が憎悪を貯めこんでいるからだと知った
人間が口をあけると
えび茶色をした憎悪が
ワーッと飛び出してくる

みんな貯まっている憎悪のために
いろいろと喜劇を演じるのだ
ただその喜劇を喜劇と感じる人と
喜劇とも感じないで
当然のことと感じる馬鹿者との違いがあるだけだ

私は見た。
彼は笑い、
彼は笑ったことを悲しみ
その悲しんだことをまた大したことでもないと思い
彼はただギョッとしていた

私は彼を賢者だと思う
(そしたら私は泣き出したくなった)

私は彼に何も言うことはなかった
しかも黙っていつまでも会っているということは危険だと感じた

私は一目散に帰ってきた

私はどうしようもないのです

ああ、どうしようもないのでございます

 *
 悲しい歌

こんな悪達者な人にあつては
僕はどんな巻添えを食ふかも知れない
僕には智恵が足りないので
どんなことになるかも知れない

悪気がちつともないにしても
悪い結果を起したら全くたまらない
悪気がちつともないのに
悪い結果が起りさうで心配だ

なんのことはない夢みる男にとつて
悪達者な人は罠(わな)に過ぎない
格別鎌を掛けられるのではないのであつても
鎌を掛けられたことになるのだからかなはない

それを思へば恐ろしい気がする
もう何も出来ない気がする
それかといつて穴に這入(はい)つてもゐられず
僕はたゞだんだんぼんやりして来る
          (一九三四・一一・二六)

 2

あゝ、神様お助け下さい!
これははやどうしやうもございません。
貴方(あなた)のお助けが来ない限りは、
これは、どうしやうもございません。

このどうしやうもないことの理由を
一度は詳しく分解して人に示さうとも考へました
その分解から法則を抽(ひ)き出し纏(まと)め、
人々に教へようとも考へました

又はわたしの遭遇する一々の事象を極めて
明細に描出しようとも考へました
しかし現実は果しもなく豊富で、
それもやがて断念しなければならなくなりました。

それから私はもう手の施しやうもなく、
たゞもう事象に引摺(ひきず)られて生きてゐるのでございますが、
それとて其処(そこ)に落付いてゐるのでもなく、
搗(か)てて加へて馬鹿さの方はだんだん進んで参るのでございます

かくて今日はもう、茲(ここ)に手をついて、
私はもう貴方のお慈悲を待つのでございます
そして手をつくといふことが
どのやうなことだかを今日初めて知るやうなわけでございます。

神様、今こそ私は貴方の御前に額(ぬか)づくことが出来ます。
この強情な私奴(め)が、散々の果てに、
またその果ての遅疑・痴呆の果てに、
貴方の御前に額づくことが出来るのでございます。

  ※

扨(さて)斯様(かよう)に御前に額づいてをりますと、
どうやら私の愚かさも、懦弱(だじゃく)の故(ゆえ)に生ずる悪も分つてくるや
うな気も致します、
然しそれも心許(こころもと)なく、
私は猶如何様(いかよう)にしたらよいものか分りません。

  ※

私はもう泣きもしませぬ
いいえ、泣けもしないのでございます
茲にかうしてストイック風に居りますことも
さして意趣あつてのことではございません

せめてこのやうに足痛むのを堪(こら)へて坐つて、
呆(ほう)けた心を引き立ててゐるやうなものでございます。

  ※

妻と子をいとほしく感じます
そしてそれはそれだけで、どうすることも出来ないし
どうなることでもないと知つて、
どうしようともはや思ひも致しません

而(しか)もそれだけではどうにも仕方がないと思つてをります……

  3

僕は人間が笑ふといふことは、
人間が憎悪を貯(た)めるゐるからだと知つた。
人間が口を開(あ)くと、
蝦茶色(えびちゃいろ)の憎悪がわあツと跳び出して来る。

みんな貯まつてゐる憎悪のために、
色々な喜劇を演ずるのだ。
たゞその喜劇を喜劇と感ずる人と、
極(ご)く当然の事と感ずる馬鹿(ばか)者との差違があるだけだ。

私は見た。彼は笑ひ、
彼は笑つたことを悲しみ、
その悲しんだことをまた大したことでもないと思ひ、
彼はたゞギヨツとしてゐた。

私は彼を賢者だと思ふ
(そしたら私は泣き出したくなつた)

私は彼に、何も云ふことはなかつた
而も黙つて何時まで会つてゐることは危険だと感じた。

私は一散に帰つて来た。

  ※

私はどうしやうもないのです。

  ※

あゝ、どうしやうもないのでございます。

         (一九三四・一一・二六)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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