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« 草稿詩篇1933―1936<40>僕が知る | トップページ | 草稿詩篇1933―1936<41―2>(おまへが花のやうに) »

2010年6月15日 (火)

草稿詩篇1933―1936<41>(おまへが花のやうに)ほか

(おまへが花のやうに)は
1935年1月11日に
「初恋集」
「月夜とポプラ」
「僕と吹雪」
「不気味な悲鳴」とともに作られました

5作品が
同じ日に作られたのですから
この日の創作意欲は旺盛
ということができるでしょう

これらの詩の内容の関連性がどうであったか
無関係だったのか
無関係であるということがあり得るのか
5作品を
一挙に
読んでしまいますが

まず
(おまへが花のやうに)の
第2連の

僕にみえだすと僕は大変、
狂気のやうになるのだつた

とある「狂気」が
2日前に制作された
「僕が知る」にある「狂気」とは
意味には違いが込められているようでありながら
つながっていることに注目しておきましょう

こちらの「狂気」は
狂喜する、狂ったように嬉しい
I am crasy for you
というような意味ですが
「僕が知る」で
「乾蚫(ほしあはび)」のようであった
と比喩された「狂気」とも
つながっているのは
「乾蚫(ほしあはび)」が
石っころや土くれといった
もはや完全に死んでしまった
無機質なものとは異なって
生きているものであり
どちらもがその異なる姿である
ということを歌っているところでしょうか

どちらの狂気も
詩人そのものが映っているのですし
その対極に
「死」はあります

(おまへが花のやうに)は
初恋の思い出を歌ったものですが
次の「初恋集」は
いまだ、といわんばかりに
初恋体験のコレクションです

次々に
初恋の思い出が
湧き上がってきたかのように
連続して
「すずえ」
「むつよ」と
生命の横溢、躍動、燃焼
つまりは、狂気を
歌うのです

しかし、次の
「月夜とポプラ」は
幽霊の話に転じます
生まれたばかりのコウモリに似た
弱々しいはねをもつコウモリが
君の命を狙って
木の下で待ち構えている……
不気味な「死」の世界の入口に
詩人はいますが
「死」は影に過ぎず
手に取ることができません

「僕と吹雪」では
「僕という貝」に
激しく吹きつける「花吹雪」と
これは
ダダイズムっぽい言い回しで
僕=詩人の来し方を振り返り

次の作品では
不気味なもの、
すなわち
「死」そのものを歌います

僕は次第に灰のやうになつて行つた。
振幅のない、眠りこけた、人に興味を与へないものに。

このイメージは
不死身の「乾蚫(ほしあはび)」と
紙一重の関係といってよいでしょう

やがて

僕はいつそ死なうと思つた。
而(しか)も死なうとすることはまた起ち上ることよりも一層の大儀であつた。

と、「倦怠のうちに死を夢む」(汚れつちまつた悲しみに…)と同じの
怠惰(=大儀)の中で

かくて僕は天から何かの恵みが降つて来ることを切望した。

と、「神」に祈願する詩人が
現れるのです

狂気にはじまり
初恋の思い出を通じて
生の躍動が歌われる過程で
死の世界が現れ
両者は
際立って断絶することなく
グラデーションでつながっています
そして
神の恩寵を切望する詩人の
登場となりました……

1935年1月11日の1日に制作された
これら5篇の詩には
詩人のありったけが
投入されているかのような小世界が
キラキラと広がっています

*
(おまへが花のやうに)

おまへが花のやうに
淡鼠(うすねず)の絹の靴下穿(は)いた花のやうに
松竝木(まつなみき)の開け放たれた道をとほつて
日曜の朝陽を受けて、歩んで来るのが、

僕にみえだすと僕は大変、
狂気のやうになるのだつた
それから僕等磧(かわら)に坐つて
話をするのであつたつけが

思へば僕は一度だつて
素直な態度をしたことはなかつた
何時でもおまへを小突(こづ)いてみたり
いたづらばつかりするのだつたが

今でもあの時僕らが坐つた
磧の石は、あのまゝだらうか
草も今でも生えてゐようか
誰か、それを知つてるものぞ!

おまへはその後どこに行つたか
おまへは今頃どうしてゐるか
僕は何にも知りはしないぞ
そんなことつて、あるでせうかだ

そんなことつてあつてもなくても
おまへは今では赤の他人
何処で誰に笑つてゐるやら
今も香水つけてゐるやら
       (一九三五・一・一一)

 *
 初恋集

 すずえ

それは実際あつたことでせうか
 それは実際あつたことでせうか
僕とあなたが嘗(かつ)ては愛した?
 あゝそんなことが、あつたでせうか。

あなたはその時十四でした
 僕はその時十五でした
冬休み、親戚で二人は会つて
 ほんの一週間、一緒に暮した

あゝそんなことがあつたでせうか
 あつたには、ちがひないけど
どうもほんとと、今は思へぬ
 あなたの顔はおぼえてゐるが

あなたはその後遠い国に
 お嫁に行つたと僕は聞いた
それを話した男といふのは
 至極(しごく)普通の顔付してゐた

それを話した男といふのは
 至極普通の顔してゐたやう
子供も二人あるといつた
 亭主は会社に出てるといつた
          (一九三五・一・一一)

 むつよ

あなたは僕より年が一つ上で
あなたは何かと姉さんぶるのでしたが
実は僕のほうがしつかりしてると
僕は思つてゐたのでした

ほんに、思へば幼い恋でした
僕が十三で、あなたが十四だつた。
その後、あなたは、僕を去つたが
僕は何時まで、あなたを思つてゐた……

それから暫(しばら)くしてからのこと、
野原に僕の家(うち)の野羊(やぎ)が放してあつたのを
あなたは、それが家(うち)のだとしらずに、
それと、暫く遊んでゐました

僕は背戸(せど)から、見てゐたのでした。
僕がどんなに泣き笑ひしたか、
野原の若草に、夕陽が斜めにあたつて
それはそれは涙のやうな、きれいな夕方でそれは
あつた。
          (一九三五・一・一一)

終歌

噛んでやれ、叩いてやれ。
吐(ほ)き出してやれ。
吐(ほ)き出してやれ!

噛んでやれ。(マシマロやい。)
噛んでやれ。
吐(ほ)き出してやれ!

(懐かしや。恨めしや。)
今度会つたら、
どうしよか?

噛んでやれ。噛んでやれ。
叩いて、叩いて、
叩いてやれ!
        (一九三五・一・一一)

 *
 月夜とポプラ

木(こ)の下かげには幽霊がゐる
その幽霊は、生まれたばかりの
まだ翼(はね)弱いかうもりに似て、
而(しか)もそれが君の命を
やがては覘(ねら)はうと待構へてゐる。
(木(こ)の下かげには、かうもりがゐる。)
そのかうもりを君が捕つて
殺してしまへばいいやうなものの
それは、影だ、手にはとられぬ
而も時偶(ときたま)見えるに過ぎない。
僕はそれを捕つてやらうと、
長い歳月考へあぐむだ。
けれどもそれは遂に捕れない、
捕れないと分つた今晩それは、
なんともかんともありありと見える――
          (一九三五・一・一一)
          
 *
 僕と吹雪

自然は、僕という貝に、
花吹雪(はなふぶ)きを、激しく吹きつけた。

僕は、現識過剰で、
腹上死同然だつた。

自然は、僕を、
吹き通してカラカラにした。

僕は、現職の、
形式だけを残した。

僕は、まるで、
論理の亡者。

僕は、既に、
亡者であつた!
       祈祷す、世の親よ、子供をして、呑気にあらしめよ
       かく慫慂するは、汝が子供の、性に目覚めること、
       遅からしめ、それよ、神経質なる者と、なさざらん
       ためなればなり。
          

 *
 不気味な悲鳴

如何(いか)なれば換気装置の、穹窿(きゆうりゆう)の一つの隅に
蒼ざめたるは?    ランボオ

僕はもう、何も欲しはしなかつた。
暇と、煙草とくらゐは欲したかも知れない。
僕にはもう、僅(わず)かなもので足りた。

そして僕は次第に灰のやうになつて行つた。
振幅のない、眠りこけた、人に興味を与へないものに。
而(しか)もそれを嘆くべき理由は何処にも見出せなかつた。

僕は眠い、――それが何だ?
僕は物憂い、――それが何だ?
僕が眠く、僕が物憂いのを、僕が嘆く理由があらうか?

かくて僕は坐り、僕はもう永遠に起ち上りさうもなかつた。

   ※

然(しか)しさうなると、またさすがに困つて来るのであつた。
何をとか?――多分、何となくと答へるよりほかもない。
何となら再び起(た)ち上がれとは誰も云ふまいし、
起ち上らうと思ふがものもないのにも猶(なお)困つて来るのであつたから。

僕はいつそ死なうと思つた。
而も死なうとすることはまた起ち上ることよりも一層の大儀であつた。

かくて僕は天から何かの恵みが降つて来ることを切望した。
而もはや、それは僕として勝手な願ひではなかつた。
僕は真面目に天から何かゞ降つて来ることを願つた。
それが、ほんの瑣細(ささい)なものだらうが、それは構ふ所でなかつた。

   ※

――僕はどうすればいいか?
          (一九三五・一・一一)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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